★阿修羅♪ > 議論22 > 184.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 読後感想 投稿者 町医者 日時 2005 年 10 月 17 日 11:11:15)
ここのスレを読まずに下(http://asyura.com/0510/dispute22/msg/183.html)に関連したようなことを書き込んでしまいましたが・・・・。
>ここまで確固たる生死感の信念の持ち主に対しては、その信念を尊重し、貫き通させるしかないでしょう。
>現代日本人がそういう人ばかりなら、医療も変わらざるを得ないでしょう。
今の俺の心境は、う〜ん納得。
>確か昔の武士道を説いた、「葉隠れ」という書物がありますが、「生きる事は死ぬ事と見つけたり」という記述があるそうです。
この言葉は以前から知っていますが、
以前は「武士は戦いばっかりしているからいつ死んでもおかしくないよう悔いのないように生きろ」とか「死ぬ瞬間を味わう為に生きるんだ」とかを思っておりました。
ただ今は、少し違う解釈を・・・。
もし「死」を受け入れ、「生」と同じ様に「死」が解放されたのなら、そして医者に認めてもらって社会に認めてもらって、死ぬ事と生きる事を同等に扱ってくれるとしたら、「生」について「なぜ生きるのか?」と真剣に考えることができ、「生」に責任が持て、結果的に「生」が生き生きするのかな〜と。(ただ「生」に絶望する道もあるかも・・・。絶望して、しかし死ねない人も急増?)
また下の方で話題に上がったことに関連して、今思い出したのでついでに書くと・・・。
医者が「余命は○ヶ月ほどです」なんて、別に医者に分かるわけないんだろうけど、患者は間違いなく「生」について自覚することはできると思う。
それが良い悪いではなく、あと○ヶ月と言われたら、あと少しで全ては無になるかもしれない。財産も地位や名誉も、全て意味が無くなってしまう。一生懸命掻き集めても全ては無に。だったら無にならないものを、死んでも持っていけそうなことを掻き集めようとするのではないだろうか。
そして最後に行き着くのは、一体俺の人生って何のために生きてきたんだろうって。
死んだ後に考えるより、少しの期間でも生きている間に、マジに考えることの方が有意義にも思う気がする。ただ、この「マジ」というのがポイントで、間違いなく死が目前に来ると実感した者の「マジ」というのは、俺にも計り知れないと思う。
また、期間の問題ではあるけど、俺達が「マジ」な心境になれないのは、「死」を解放しない社会にも問題があると思う。
・・・と、やっぱり今の心境は、
「生きる事は死ぬ事と見つけたり」かな?
・・・・
・・・・
いや、「なぜ死ぬ必要があるのか?従って何故生きる必要があるのか?」