投稿者 姫子音 日時 2006 年 1 月 04 日 11:18:41: ufZh96zaorBXw
(回答先: 古代の情報伝達ツールと四大銅鐸圏説→『銅鐸民族の謎−争乱の弥生時代を読む−』臼田篤伸著 投稿者 姫子音 日時 2006 年 1 月 01 日 19:27:06)
『弥生は銅鐸の時代』 より抜粋引用
一昨年、弥生時代の開始が500年遡ることが、土器に付着した「おこげ」の炭素年代測定により明らかになったと国立歴史民俗博物館から発表されました。これは、稲作の開始と弥生時代の開始をイコールとする考えにもとづいています。しかし近年、稲作は縄文時代からすでに始まっていたことが数々の事実によって明らかにされています。この「おこげ」の付着した土器自体、縄文式土器の可能性が十分にあるのです。とくに九州では代表的な縄文式火炎土器はみられないため、両時代土器の区分けがキチンとできていません。また下記のように両時代は民族の入れ替わり(断層)を伴っていて土器の形態も基本的に変わります。よって晩期縄文式土器という表現自体が間違っているわけで、これが時代錯誤を生み出す元になっているのです。弥生時代を定義するものさしを根本から見直す必要がおわかりいただけたでしょうか。
そこで、この時代に特徴的に現れた青銅器の意味が重要性を帯びてくるわけです。古代史における時代の大断層とは、侵略者が持ち込んだ未知なる物に翻弄され、先住民が大混乱を引き起すことによって生じるといわれます。弥生の原動力とは、中国の戦国時代を生き延びた難民達によってもたらされた青銅器にあったとみなければなりません。
よって、この時代の青銅器の謎の解明が何よりも重要なのです。とりわけ銅鐸は、この時代の始まりと終わりを決定付けたといって過言ではありません。銅鐸民族は大陸から侵入した後、縄文人の駆逐には成功したものの、あくまでも銅鐸による情報伝達に固執し続け、文字文化にありつけなかったために天孫族の前にあえなく壊滅したのです。この最重要課題が今日、「祭り」と「埋納」に呪縛されたまま迷走を続けている状況です。銅鐸の本を開くと、ことごとく「銅鐸はなぜ埋められたのか?」がメインテーマになっています。銅鐸は一風変わった所から出土するためほとんどの専門家が「埋められた」という先入観に囚われるのです。どのような考古遺物に対しても、その研究へのスタートは「埋まっていた」ことにあるのは言うまでもありません。
「埋められた」との銅鐸論をまず拒否してこの青銅器を捉えると、弥生と銅鐸の謎が次々と氷解していきます。
(1) 銅鐸って何だろう?
銅鐸の形を見るとなんとも奇妙な格好をした鐘というイメージである。 後期のものほど大きい上に装飾が細かく施されていて厳かな感じを受ける。 まさに宝物といったところである。 また絵文字を示唆するような線画の刻まれたものもある(下図)。 銅鐸を全般的に眺めると、上のほうがつぼまっていて、下方、すなわち裾という部分に向かって広がって行く、中が空洞の鐘様の青銅器である。
桜ヶ丘5号銅鐸B面
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横断面は扁円筒形(紡鐘形)である。 本体の上面は平らになっていて、「舞」と呼ぶ。 この名称は平らな舞台のようなイメージから生まれたのであろうか。 その扁円の長径上に鈕という“とっ手”が板状に立ち上がっている。
(2) ノーベル賞を凌ぐ大発明
☆高い音響効果を生む構造体
銅鐸本体のことを 鐸身(たくしん)という。 略してただ、身(み)とも呼ぶ。 身の上方部左右の端寄りと舞の部分に円または四角形の孔が表裏ともに対に計6個開けられている。 さらに身の裾の下端の前後左右にも角形、台形あるいは半円形の開放孔(切り込み)がある。 これは銅鐸鋳造過程と密接不可分の関係にあるのと同時に、音響工学的効果を高めている。 実はこの孔の部分が鋳型では砂で満たされていて、溶けた銅合金が入り込まないシステムを構成し、これによって身の厚みが決定される(型持孔)。 ただし、蝋(ろう)型法によって作られた可能性もある。 この厚さは2ミリほどまでに薄く、銅鐸系弥生人たちの高度な鋳造技術を雄弁に物語る。 この薄い構造体が生み出す音響エネルギーが金属内部に吸収されることなく遠方に向かって甲高く響き渡るシステムとなっている。 同時に軽量化が計られ、ひとたび事に及ぶと、とっさに隠匿場所から持ち出され警報として打ち鳴らされたと考えられる。
銅鐸使用の想像図
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日常的伝達に使用されたことも十分に考えられる。 鈕の孔に竹の棒を通して銅鐸を支え、その両端を人の手または木の枝で支えたのであろう。 そして一人が木の棒で打ち鳴らす(右図)。 側面部の主に下方の裾に近い部分を打ったものと思う。 数々の銅鐸の側面下方部の摩滅が著しいからである。
内部に舌棒をぶら下げて鳴らしたため生じたとする内凸帯の摩滅というのは事実に反している。 鰭は飾りであると同時に共鳴板の役割を果たし、音響効果を一層高めた。 『青銅器の考古学』(学生社、1999年)を著した久野邦雄さんは、上記型持孔の意味について復元銅鐸を使って音響工学的実験を行った。 孔を全く有しないものから多数持つものまでの銅鐸を打ち鳴らして比較検討したところ、6個の孔と4個の切り欠き孔を持つ銅鐸が余韻のある最良の音を発することを発見した。 したがって型持孔の役割は鋳造のためもあろうが、音響性にも重要な意味が存在していた。 ちなみに今日まで発見された銅鐸のほとんどがこの形を示している。
(3) 吊り下げるのに不都合な鈕
☆縁が尖っていて大きい穴は太く固いものを通す孔
吊り下げ型の青銅器 (三星堆出土)
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ものを吊り下げるには丸い断面の取っ手を用いるのが自然の姿である(右図)。 鈕は何故このような薄くて大きな穴が設けられたのだろうか(下図)。 そのヒントは毎日の洗濯物を吊るす物干し竿にある。 あるいは洋服ダンスの天井部にあるステンレス製のパイプを思い浮かべていただけばよい。 そこには円の4分の3、つまり270度の弧を持つハンガーの取っ手が掛けられている。 すなわち太くて固い棒を大きい穴の取っ手に通すと、紐でぶら下げるのとは違って動きにくく安定するのである。 ねじれにくくなるのと、摩擦係数が大きくなるためである。 従って銅鐸というものはブラブラと揺らすものではなく、なるべく固定的に吊るして、外から打ち鳴らすべき性質のものと見る必然性がある。
これをほぼ確信させる材料が実は銅鐸出土地にはふんだんにある。 ズバリ!竹とみてよい。 当然のことながらいろんな太さがある。 そのために鈕には大き目の穴が開けられている。 ステンレスパイプの役目を果たすのが、天然のパイプ=竹に他ならない。
鈕(桜ヶ丘6号銅鐸)
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これなら鈕の表面が硬く鈕縁が尖っていても簡単に凹んだり折れたりはしない。 太さがほぼ一定していて枝が無いので鈕孔に通すのに打って付けだ。 そして叩くのは適当な太さの木の棒で、その辺にある生木の枝が即有効に活用される。 竹と違って中空ではなく、生の木質がずっしりと詰まっているから打つと当然運動エネルギーも大きく、大きな音を発生させるパワーがある。
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