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(回答先: 慰安所規定を見て読んだ素直な感想。「案外きっちりしてたんだなー」(ある女性のblogから) 投稿者 gataro 日時 2005 年 11 月 14 日 17:22:09)
> 「一番大きな慰安所は、陸軍司令部のあるララ村の、裏手にあたるパアダ村にありました。夏島に日本の兵隊が来はじめたのは千九百四十年です。そのときから女たちも増えていきました。パアダ村の女たちは戦争がはじまった後に、まとまって来たんです。女たちは朝鮮人だけでした。場所は春島の方を向いた斜面のパアダ村です。大空襲のとき、みんなみんな見えなくなった。どうなったかわからない。朝鮮人だから・・」と話してる。(1987年4月、夏島の教会で取材・・)
以上、山田盟子著、「慰安婦たちの太平洋戦争」、p221、より
> 部隊の中に設営された慰安所に、四、五名の朝鮮ピイがいたんだけど、これが敗戦の翌日に姿を消してしまった。それは煙の如くにふわあッと消えてしまった。その慰安所経営者というか責任者というか、人相風体かんばしからぬ、日本人の中年の夫婦者がいたんだけど、この巡査上がりみたいな夫婦も、ピイと共に見えなくなってしまった。みんな銃殺されたという噂が飛んだ。「そういえば銃声を聞いたぜ」なんて言う兵隊もいた。朝鮮ピイたちは将校専用といってもいいくらいで、われわれ兵隊は時どき遠くからチラチラと、そのナマメカシイ姿を見かけるだけだった。何が慰安所だい、ふざけやがって。それにしても、何も銃殺することはねえと思うんだけどな。朝鮮へ帰してやればいいじゃねえか。可哀想だよ。おそらく不法拉致してきた女たちにきまってる。深く考えると滂沱と涙が出る。戦争というものはヒドイものだ。ヒドイものだ。だからですね、日本国は武器という武器はみんな捨ていしまいました。そして、新しいのをどんどん買ってます。もう1度やるつもりなのよ、ヨ・ロ・シ・ク。・・
以上、殿山泰司著、「三文役者あなあきい伝」、p233、より
> 「そのヴァイオリンやバンドネオンはどうしたんですか」
> 「うん、うん慰安所においてあったんだ、前からあったそうだ」
> 「へええそうですか、バンドネオンてのは珍らしいナァ。ところで、ピイ屋のオヤジたちは、どうしたんですかね軍曹どの」
> 「ええ、いやあ、知らんなあ、とにかくキミ、集めなくっちゃあ、なあキミ」
以上、殿山泰司著、「三文役者あなあきい伝」、p240、より
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