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(回答先: 【日韓併合前史】「乙巳5条約」強制から100年 [朝鮮新報] 投稿者 あっしら 日時 2005 年 11 月 17 日 14:35:19)
日本の大陸侵略の元凶といえる伊藤博文が、「朝鮮の外交権を奪うように」という日本天皇の特命によって韓国にきたのは1905年11月6日のことだった。ソウルの貞(チョン)洞の孫鐸(ソンタク)ホテルに住まいを定めた伊藤は、高宗(朝鮮の26代王)と大臣らを時には脅かしたり時には機嫌を取りながら「日本政府は、韓国の外交関係と外交事務を指揮監督し…」という条約に調印することを促した。
64才の伊藤は、大韓帝国の参政大臣(首相)をはじめ、大臣たちを呼ぶ際、「諸君たち」と呼んだ。
◆「韓国は、君臣の間に陰謀が多い上、自衛できる国防力を持っていない。政府閣僚たちは非常に頭が固く、早く変化する世界情勢に疎い。諸君たちはいったいこの10年国の生存維持のために何をしたのか。韓国は外交を日本に委任して保護されなければならない」。ごう慢極まりない暴言と強引さだった。
大臣たちは、この伊藤が会議をやりたいと呼び出すと、日本公使館だろうが伊藤の宿舎だろうが、労を厭わずに駆け付けた。
◆11月 17日、朝廷の会議が開かれている徳寿(トクス)宮を、重武装の日本軍が堅く取り囲んだ。
条約締結が遅々として進まないと、夕方8時過ぎに伊藤が長谷川朝鮮軍司令官とともに宮廷に入った。参政大臣の韓圭卨(ハン・ギュソル)が、「形式的な外交権でも残してほしい」と哀願したが、駄目だった。
李完用(イ・ワンヨン)が、「昨今の国の事情は、日本を信じて頼ること以外に、これといった方策がない」とし、雰囲気を主導した。
韓圭卨が憤然と立ち上がって外に出る途中気絶すると、林日本公使が部下に命令した。「水を注して頭を冷やしてあげるように」
◆軍隊が動員された抑圧的雰囲気のなかで強引に締結され、大韓帝国の皇帝が最後まで批准を拒否したので、相互合意による条約ともいえなかった。
しかし日帝は、「乙巳(ウルサ)条約」を口実とし、韓国にある各外国公館を閉鎖した。韓国政府の外部衙門(外務部)も廃止してしまった。外交権を奪われたので、対外的には国が滅びたも同然だった。
◆それから丁度100年になる今日、釜山(プサン)では韓国が議長国になるアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議が開かれる。
乙巳条約の当事国であったり、遠因を提供した米国、日本、ロシア、中国の4か国首脳たちが韓国で初めて一堂に会する。
100年前の屈辱を乗り越えて、世界最大の経済ブロックの将来像を話し合う外交の祭典を主催するまでの変化と成功は、簡単に手にしたものではない。
世界の流れに目を背けて、「我が民族どうし」という見かけ倒しの自己満足に陶酔するなら、歴史はいつでも後戻りしかねない。
金泰翼(キム・テイク)論説委員
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/11/17/20051117000007.html