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(回答先: ある特攻隊生き残りの手紙 投稿者 サラ 日時 2005 年 8 月 28 日 08:05:42)
http://www.ibaraki-np.co.jp/serialization/04/page04.htm
「本来は着陸する必要がないから車輪は付いてなかった。訓練用は機体の下にソリを付け、着陸できるようにしていた。爆弾の代わりに水や砂を積んで、一人一回ずつ訓練した」
第二次大戦当時、神之池海軍航空隊(神雷部隊)で、桜花隊の分隊長を務めた男性(81)=東京都国立市=は、神之池基地で行っていた特攻機・桜花の訓練の様子をはっきり記憶している。
神雷部隊は一九四四年十月、戦局の厳しさを一気にばん回する狙いから、人間爆弾といわれた桜花を主戦兵器に組織された。部隊の大部分は翌年一月、鹿児島県・鹿屋基地に移され、新たに桜花搭乗員の養成を行う竜巻部隊が組織された。
桜花搭乗員に求められたのは、敵艦に向かって降下する技術で、着陸技術ではなかった。投下訓練を一回終了した隊員は、あらゆる状況で作戦可能とされる練度「A」の判定を受け、前線の特攻基地に送られた。
■機体に1トンの爆弾
桜花は全長約六b、両翼を含めた全幅約五bの小型機。機体の先端に一d前後の大型爆弾を積み、中央部にパイロットの座席、後部には推進用のロケットを搭載していた。
桜花は、母機である全長約二十bの一式陸上攻撃機に搭載されて飛び立ち、敵艦の上空で放たれる。その後、滑空したり、ロケットを噴射して下降し、敵艦に体当たりする作戦だ。
「配属される搭乗員は優秀なパイロットが多かった」(同分隊長)。隊結成後、桜花搭乗員として部隊に配置された兵士は五百人を超え、訓練は終戦まで続いた。
このうち、約百五十人の桜花隊員が特攻作戦で死亡、神雷部隊全体では八百人以上が戦死した。
■砂地が好都合
神雷部隊が置かれた神之池基地は、現在の鹿嶋、神栖両市町の境界付近にある堀割川の北側に広がっていた。広さ約五百fで、大半は当時の高松村(現・住友金属工業鹿島製鉄所周辺)に位置し、同川を挟んで南側の内閣中央航空研究所鹿島実験場と隣接していた。
南北と東西二本の大きな滑走路が整備された神之池基地に対し、同実験場には、広い砂地の野原に、南北に長さ二`以上の砂地の滑走路が造られていた。車輪を持たない桜花にとって、この滑走路が着陸するのに好都合だった。
桜花隊の別の元分隊長(81)=神奈川県座間市=は、「ソリで着陸するのに、コンクリートの滑走路では摩擦熱で機体が炎上しかねなかった」と説明する。訓練は、母機が神之池基地内の飛行場を離陸し、上空で放たれた桜花は、同実験場内の滑走路に着陸する方法で行われた。
当時、基地内は閉鎖的な状況下で厳しい訓練が続けられたという。元桜花隊員(80)は「町や村の様子を知る機会はほとんどなかった。毒ガス兵器なんて見たことがなかったし、教育を受けたこともなかった」と話した。