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もう70後半の私の父の遺言に近い手紙です。彼は16歳で特攻志願をしました。知覧に私と私の子供達を連れて特攻隊の本当の姿を教えました。ちなみに私の父に阿修羅のことは教えていません。靖国問題を話し合いながら、ポロっと「現天皇は昭和天皇に変わって退位すべきだ」といっていました。おそらく生き残りのもと特攻隊の最後の遺言になるでしょう。これから死に行く20歳以下の若い特攻隊員たちの最後を見た生き証人の言葉としてお読み下さい。
「福島さん
先日お電話をありがとうございました。 手書きだと遅いし漢字を忘れて時間がかかるのでパソコンで書きます。宮崎に行く前に「指揮官の特攻」を買い読みました 感想を書きます
宇佐には20年2月から4月の3ヶ月居りましたが記憶は薄れましたが断片的な事件は鮮明です。
20年3月18日のグラマンの急降下銃爆撃の直撃です。一式陸攻18機の翼の下で寝転んで昼食が届くのを待っているときでした。敵の狙いはその18機そのものと司令部のある建物でした。たちまち火を噴いた機体を確かめるようにまた急降下銃撃、操縦士の顔が見えるほどの接近と銃撃に約30人の部隊は指揮系を失い各個に滑走路を横切って機体から離れました。機銃は着弾を確かめる為に曳光弾を混ぜて撃ちますがその全てが自分に向かって来ます。実際はそう見えるだけで着弾はしないが、眼の錯覚です。敵機は約30機だが繰り返し繰り返しなので100機以上に感じます。長く感じましたが、5分位でしょうか、気を取り直した誰かが「行くぞ」と叫び皆が一斉に飛び出して機体に取り付き消火を始めました。誘爆の不安、再銃撃の警戒、指揮の混乱の中で懸命の消火作業でした。・・・・・
その日何故そこにいたのかの説明は長くなるので省きますが18機の陸攻は「指揮官の特攻」に記された神雷部隊のものです。消火はしましたが半数は使用不能、内地の戦闘基地が攻撃を受け被害を受けたのはこの日が初めてです。そして、制空権が失われたことが露呈しました。
いやしくも、基幹航空基地が敵襲に無防備のまま為す術がなかったとは、とんだ恥さらし、対空戦闘に戦闘機が上がらなかったのは何故か?奇襲攻撃の予測はなかったのか?と当時は思いました。10数人の搭乗員を地上で失う失態、敵を追って機動部隊を攻撃する常識の戦法も不発、常在戦場と唱えながら指揮作戦機能は眠りこけていました。本土防衛は陸軍の受け持ちと考えていた節がありますが、この時点で海軍は会社でいえば倒産寸前の状態になったのです。(勿論当時の私には知り得ないことでしたが)
この日の記憶は部分的には鮮明なのですが、不思議なのは昼食がどうなったのか、着ていた服装は何か、その晩は何処に寝たのか、など前後の記憶はすっかり欠落して思い出せません。
3月18日の前後、教員(下士官)に掩体壕に連れていかれマルダイ(桜花の呼称)の説明を受けました。「計器は三つしかない、エンジン無しだからお前たちでも操縦できる」・・翼が木製で350ノット、そして800キロの爆装とのこと、実物を前にすると粗末なものです。「13期が訓練中」と言われても生死に鈍感になっていたのか切実な印象がありません。肝心の母機一式陸攻の数が日々に少なくなる宇佐空でした。
戦後になって桜花とは酷いことだったと思いました。生身の人を棺桶に入れて自爆させるなど誰が考えたのでしょう。日頃優遇され威張っている将官、士官、の順で出撃したのなら海軍の名誉も保たれたでしょうに。その頃の服装、食事、ベッドの記憶がさっぱりありません。
或る夜、飛行服の13期が風呂敷に饅頭を包んで「14期いるか」とやってきました。面会の親が来てもってきた、貴様たち食えと乱暴に言うが手が出せません。13期と14期は6ヶ月の差しかありませんから彼らはいつも最下の下士官で窮屈なのでしょう。威張れるのは14期相手のときだけです。焚き火を作れと言われて何とか木を集めました。だれもマッチを持っていません。13期がおもむろにマッチを取り出し火をつけ、タバコを吸い始めました。予科練ではタバコは厳禁ですから勧められてもだれも手を出しません。自由時間とはいえ焚き火などしていたらどんな罰があるかわからず心配でした。「明日XXへ移動する、貴様たちも早く来い」という訳で事態を知りましたが、強がっている稚ない顔が引きつって見えました。焚き火の温もりで彼も我々もやっと和んで話が始まりました。故郷の話、学校の話、飛行訓練などの話をして「じゃあな」と娑婆の言葉で静かに去っていきました。誰かに自分の過去を告げたかったのでしょう。未熟な戦士が初めて戦闘に出る直前、それが特攻であったのか、機密を口にすることはできません。
定例の甲板士官の巡検が何故か当夜にはありませんでした。常時戦闘態勢にあると緊張しますが定例の日課やルールが適宜に省かれて楽にもなります。ただし焚き火はその夜だけです。ファイヤーストームの火もいいですがあの夜の焚き火は何度も思い出します。そして彼のその後を思います。
4月5~6日夜明け前午前3時、 艦攻・艦爆の特攻出撃を見送れと滑走路に並ぶ。「非理法権天」「南無八幡大菩薩」の幟りや桜の小枝を持って八幡隊員が搭乗する。2人乗りだが1人しか乗らず、余裕は爆薬を積んでいる。滑走を始めると桜の花が散り、幟りがはためきやがて空中に飛ぶ。編隊は故意か組まず、爆薬が重いのであろうか不安定なバンクをしながら視界から消える。合計36機、「帽振れ」に応じた視線は強く迷いは見えずも、さすが胸がつまり声がでない。残酷な死別に立ち会った六十年前のことが今また鮮明にあり、ただ彼らの健気さを称えたい。その日は南の空ばかり気にして見ていた。援護の戦闘機が決定的に不足して途中で食われたと知ったのはその夜であった。故障して帰還する機は宇佐には帰投せず情報は絶えた。そのころの自分がどんな仕事だったのか正確な記憶が無いが、偵察員は通信と航測が仕事であったから通信室に出入りして無線を受信していたようだ。隊内の特攻体制の中で、通信室には戦況や戦果の機密情報が刻々入電していた。
以上のような訳で宇佐空は濃い思い出があるのですが、城山氏の数ヶ月の訓練期間の体験で書かれた ドキュメントノベルには現場描写がなく、殆どが伝聞や他書からの引用のようです。作者の意図は何なのでしょうか。
軍部は当然批判されるべきです。官僚化した上層は無能でした。彼我の戦力を正当に比較する能力もなく、自分達の権力維持のために戦争を継続したとしか思えません。宇佐空では敵機が頭上に来てロケット弾を打ち込まれるまで「対空戦闘」旗信号を発しないとか、攻撃命令と退避命令を一日おきに繰り返すとか、まるで素人の指揮で現在の政治家や官僚と同じです。間抜けな司令や参謀は、失敗しても責任をとらない、問わないことで現在の官僚と通じます。
「指揮官特攻」では江田島士官と予備士官、特務士官、下士官の扱いに差があったことを書いています。職業軍人の偏狭さはここに象徴され、現在の東大偏重とおなじく明治維新の名残で、栄誉は江田島に、犠牲は予備と下士官にとなった事実は消すこともできません。不思議なのは特攻戦死者の比率が予備士官と下士官で大部分(90%)を占めているのに、城山氏の小説に出てくる指揮官は江田島ばかりです。予備士官や下士官をもっと描かねば「特攻」の真実は伝わりません。
そして、最後に城山氏は「予科錬の少年たち」が牛馬のごとく叩かれて誇りを砕かれたとのべています。表現の当否はおいて事実です。あってはならぬ事で多くの人の理解もその通りなのですが、私について云えば城山氏より一年以上も長く予科錬生活を過ごし、さらに宇佐空やその後の体験で短期の厳しい訓練が役立った面もありました。特に実戦という場面はいわゆる修羅場ですから地獄の訓練がものを言います。入隊直後に砕かれた誇りは一年ほど経つと周囲が回復してくれました。飛行科は単独で戦うので、階級を超えたプロ意識が強く能力主義ですから地上ではともかく空中では予科練の誇りは生きていました。尋常ではない鍛えられ方が役にたったとも云えないことはありません。
多くの人が城山氏と同じ印象を抱くのは仕方がありませんが、私としては少し違うことを予科錬に感じています。勿論、修羅場や猛訓練など二度と遭遇したくありませんが。
余談ですが、海軍には「指揮官先頭單縦陣」という言葉があり指揮官は常に先頭にあるという伝統があったそうです。特攻戦術でも建前はそうでした。しかし、実態はそうでもなかったのは戦死者の比率を見れば歴然です。先頭に将官クラスを出していれば悲劇はもっと早く終わったと思います。
また、旅順港閉塞決死隊を編成したときから真珠湾特潜隊にいたるまで万一の生還見込み無き作戦は許さないという伝統もありました。「桜花」がそれを破ったのは恥ずべきことなのです。出陣した若者は最高の勇者ですが、命じた者は責められるべきです。発案者である大石某なる少尉は終戦直後失踪して行方不明ですが、司令、参謀はどうしたのでしょうか。天皇の責任も例外ではありません。
最後に重いことを書かねばなりません。イスラムの人たちの自爆攻撃のことです。私には彼らの心情を描写することはできません。宗教として死後の安寧が保証されているからと解説する人もいますがその宗教を知りませんから、私には触れられません。特攻と同じだと評する人もいます。評者はどれほど深く特攻の死を考えられたのでしょうか。
若者たちの健気な死を悼みつつも「桜花」は否定され、また同じ倫理で「自爆」も否定されるべきです。これ以外に方法がないというならば権力の高いものから死ぬべきです。その覚悟がなければ宗教者と云えないでしょう。宗教には政治や権力と一体化しているのもあって私たちには理解できないことが多いのですが、政治権力者であってもまず上の人から命をかけるのは当然のことです。
「人の命を武器にしてはならない」これは「人の肉を食べてはならない」というほど絶対のこととして守らなければいけないことです。
長い読後感で申し訳ありません。」