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(回答先: 「百人斬り」判決:歴史事実を判断した個所 投稿者 木田貴常 日時 2005 年 8 月 25 日 14:23:28)
一審勝訴判決を受けて ー ウェブサイト「熊之巣」より
オリジナルはこちら:http://www.ne.jp/asahi/kuma/radical/
●8月23日。本多勝一さんの名誉毀損裁判の判決。原告の請求をすべて棄却する判決が出た。本多勝一さん側の全面勝訴だ。これについて問答有用に書いた文章は以下。
▼当然といえば、あまりに当然の勝訴(こっちは被告側だけど)でありました。裁判を提起した遺族の感じてきた痛みは痛みとして、そもそも両少尉自ら新聞記者に語り、それが記事となったものについて、どうして名誉毀損が成立するだろうか。そんなことはありえない。
▼ありえないにもかかわらず訴訟を提起し、かつ勝訴するつもりでいた原告側支援者の事実認識能力の欠如ぶり、inti-solさんが紹介している稲田弁護士の雑駁な「百人斬りはすべて虚偽」発言に示されている悪い意味でのイデオロギー性など、あまりにお粗末な立ち居振る舞いだったと思う。
▼法廷で「愛する父を戦後もけなされてきたことの痛み」を訴える遺族の陳述を傍聴しながら、もし自分の祖父が両少尉と同じ立場になっていたら――そしてそれはあの時代に生きた父や祖父を持つ人間であれば、空想次元の話ではないはずだ――自分はどうしていただろうか、と考える。遺族の「痛み」を理解することに躊躇しないでいい、と思う。しかしその一方で、両少尉の面白半分の殺人競争によって、突如として、理不尽に、人生を奪われた農民や捕虜たちの痛み、さらにその遺族たちの痛みはどうなるのだ、と私は憤りとともに、より強く感じる。
▼原告側支援者の言動を見ていて、彼らは両少尉の遺族の感じてきた痛みなど、実際にはどうでもいいのだろうと思う。つまりは「百人斬りは虚偽」、そして「南京事件も虚偽」だという宣伝の場を確保すること、本多勝一さんら被告側を攻撃することのみに目的があるのだと思わざるをえない。はっきりといえば、遺族の感情を右翼は利用しただけだ。
▼両少尉の行なった殺人競争は、実はまだ完結されていない。それはまだ続けられている。農民や捕虜たち被害者の痛みと記憶、彼らの存在のかすかな残滓までを完全に抹殺するまで、この競争を続けようとしている人間がいるからだ。であれば、いつまでたっても両少尉の等身大の写真が南京事件記念館から取り去られることはないだろう。それは被害者の痛みを理解しようとしない侵略戦争の非人間性の象徴でありつづける。
▼原告側は控訴するという。諸姉諸兄よろしく日本人としての、いや人間としての良心を発揮し、いっそう被告側への支援を強化して、それを迎えよう。この非人道的な「殺人競争」を完結させるために。