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(回答先: 欺まんの構図 サダム・フセインの情報工作とプロパガンダ 1990−2003 前編 [在日アメリカ大使館] 投稿者 white 日時 2005 年 8 月 15 日 11:17:10)
□欺まんの構造 サダム・フセインの情報工作とプロパガンダ 1990−2003 後編 [在日アメリカ大使館]
http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-jp0283.html
[イスラム教の悪用]
サダム・フセインは、自らの立場を有利にするため、イスラム教徒の連帯感を利用しようとしている。フセインは敬けんな信者を演じ、国際社会との争いにアラーの名を引き合いに出すことによって、彼はその抗争をイスラムの闘争とし、自分自身をイスラム教徒の旗手として位置付けようとしている。祈りを捧げるフセインの肖像や、フセインのイスラム教への献身を称賛するイメージが、国内各地の看板に描かれ、写真、出版物、ビデオで広められている。
1990年に行なわれたある分析調査では、次のような結論が述べられている。「近年、バース党員は、宗教を戦闘員動員の手段として利用することをためらわない。イランとの戦争の初期から、バース党幹部は、宗教式典への参加を公に誇示してきた。サダム・フセインが祈りを捧げる姿を描いたポスターは、国中に掲げられている。さらに、バース党は、重要なモスクの改装のために多額の資金を提供している」(注22)これは、サダム・フセインのバース党の非宗教的な原点からの離脱である。バース党は、イスラム教を、アラブ文化の産物であり汎アラブ主義への架け橋であると見ており、1990年までは、イラクはこの地域で唯一の公式な非宗教国だった。その後、サダム・フセインという人間がバース党の教義に取って代わったが、変わらない要素がひとつだけある。それは、イラクの政権および支配政党の主要幹部たちは依然として非宗教的であり、無信仰ですらあるという点である。
2002年11月8日、「CNNアメリカン・モーニング」のインタビューで、「恐怖の王―サダム・フセインの伝記」の著者で英国のデイリー・テレグラフ紙の編集者コン・コフリンは、次のように語っている。
「フセインは日和見主義者だ。彼は真に敬けんなイスラム教徒ではないが、都合のいいときには、イスラム教の指導者を演じる。CNNの特派員がバグダッドに行けば、いたる所で、建国者、将軍であるフセイン、そして宗教的指導者であるフセインの肖像が見られる」
イラク国内で消費財や多くの必需品が不足し、あるいは手に入らない状態を抱えながら、フセイン政権が1990年代半ば以降行なってきたぜいたくなモスク建設事業に関する報道の中で、ロサンゼルス・タイムズ紙は、バグダッド駐在の、あるヨーロッパ人外交官が匿名を条件に語った次のような言葉を引用した。
「国民の幸福は、この政権の優先事項ではない。政権が生き残ることだけを考えている。大規模なモスク建設計画は、以前は非宗教的、ほとんど無神論的な社会主義政権が、アラブ諸国というファミリーの中に再び深く入り込むために役立つかもしれない。しかし一方で、大多数の一般国民の窮状が、政府のプロパガンダという盾として使われるのだ」 (注23)
・聖地巡礼でのゆすり行為
フセインの宗教的レトリックと実践の二律背反を示すものとして、メッカ巡礼を望む信心深いイラク人に対する扱いほど明白なものはない。イラク政府は、メッカやメディナに巡礼しようとするイラク人イスラム教徒、およびイラク国内の各聖地を訪れるイラク人および非イラク人イスラム巡礼者による宗教的巡礼を妨害している。イラク政府は、政府に直接収入をもたらさない旅行計画はすべて拒否してきたのである。
1998年、国連制裁委員会は、メッカ巡礼者に交通費および経費のクーポン券を配布することを申し出たが、イラク政府はこれを拒否した。1999年には同委員会が、中立的な第3者を介してメッカ巡礼の関連費用を負担すると申し出たが、イラク政府はこれも拒否した。1999年12月に国連安保理決議1284が可決された後、制裁委員会は、巡礼者ひとりにつき現金250ドルと1750ドルのトラベラーズチェックを提供し、バグダッドの国連事務所で国連およびイラク政府当局者立ち会いの下でこれを配布することを提案した。しかし、イラク政府がこの提案をも拒否したため、イラクの巡礼者はこの提供資金も、許可された飛行機も利用できなかった。イラク政府はまた、自らの経済的利益のために、制裁を回避する手段として巡礼を利用しようとした。2001年に、イラク政府は、国連がメッカ巡礼者のために提供する資金を巡礼者に与える代わりに、政府が管理する中央銀行に預金し、支出を政府役人の管理下に置くことを、引き続き主張した。(注24)
イラク政府は、宗教巡礼者が費用を直接イラク中央銀行に支払うことを義務付けることによって、彼らから金を引き出すための、さまざまな画策を行ってきた。推定額には大きな幅があるが、サダム・フセインがこうした手段によって毎年数百万ドルの資金を得ていることは明白である。国際正義連盟は次のように記している。
「1999年、国連によるメッカ巡礼旅費援助計画を再び拒絶した後、イラク政府は、約1万8000人のイラク人巡礼者をバスでサウジアラビアとの国境まで連れて行き、そこで巡礼者たちにデモ行進をさせ、彼らの旅費のために、サウジアラビアがイラクの凍結資金を放出するよう要求させた。これに対し、サウジアラビアのファハド国王は、イラク人巡礼者を歓迎し、サウジアラビアが無料ですべての手配をすることを約束した。サウジアラビアが凍結資金その他の財源からイラク政府に支払いを行う見込みがなくなったため、フセインはイラク人巡礼者をバグダッドに連れ戻すよう命じた」
・シーア派イスラム教徒の弾圧
サダム・フセイン政権のイスラム教への献身が偽善的な行為であることは、同政権が長年にわたり、イラクのイスラム教多数派であるシーア派を弾圧してきたことに表れている。シーア派イスラム教徒への制限・禁止事項には、次のようなものがある。金曜日の共同祈とうの制限または完全禁止、シーア派モスク図書室の書籍貸し出し禁止、国営ラジオ局またはテレビ局によるシーア派番組の放送禁止、祈とう書や説明書を含むシーア派の書籍の発行・販売禁止、政府が計画したものを除く多くの葬列および他の葬儀に関わる儀式の禁止、そしてシーア派の聖なる日を記念する特定の行進や集会の禁止。シーア派グループは、1991年のシーア派反乱の際に、発禁処分となったシーア派宗教書数千点を列挙した治安機関の文書を入手した、と報告している。(注25)
・湾岸戦争:中東における非イスラム教軍隊に関する嘘
湾岸戦争中、フセインは、非イスラム教徒の軍隊がイスラム教国イラクと戦っているという事実を利用した。これは、この戦争をイスラムに対する戦争として位置付けるためだった。イラクは、イスラム教ゆかりの土地が攻撃を受けたと主張し、欧米諸国の道徳観やイスラム教に対する態度についてイスラム教徒が持つ不信感に訴えかけることで、多国籍軍が聖地を冒とくし、サウジアラビアに不道徳をもたらしたと主張した。
多国籍軍を結成するに当たり、ジョージ・H・W・ブッシュ元大統領は、イラクによるクウェート侵攻の不道徳性と非合法性を指摘し、クウェート国民の解放を要求した。国連安保理は、クウェート解放を目的とした軍事力行使を認める決議を可決した。イラクは、多国籍軍の米国人および他の西側諸国の兵士がクウェートの解放者であるという概念を弱めようとし、アラブの地に武装した部外者が入ることに対する不安を利用しようとした。こうした目的を達成するため、イラク政府は、欧米諸国の軍隊が一般のイスラム教徒や重要な国家的シンボルに対して犯罪を犯したとの報告書をねつ造した。アラブあるいはイスラム世界で反戦の声が高まっているという印象をさらに強めるために、多国籍軍に反対する抗議活動に参加していた人々が殺傷されたと主張する報告書もあった。例えば、以下のような主張があった。
* 多国籍軍がメッカとメディナを占領した。 (ラジオ・モンテカルロで傍受されたサダム・フセインの声明)
⇒多国籍軍によるこうした軍事行動の事実はない。
* 「NATO情報筋が漏らした情報によると、米国軍の一部で秘密作戦に関する話し合いがあった。それは、イラク攻撃の口実に利用するため、イラクのマークを付けたロケットで、メッカのアル・カーバ神殿を攻撃するという計画であった」 (1990年12月31日付「アンナハール」紙 =イスラエルの親ヨルダン系新聞)
⇒これに該当する計画はなかった。
* 米国の人気スター、マドンナがサウジアラビアで米国軍を慰問した。 ( 1991年1月27日付「インキラブ」紙=パキスタン)
⇒マドンナはサウジアラビアに行ったことはない。
* 米国人の40%は、エイズに感染しており、それを広めるためにサウジアラビアに行こうとしている。 ( バグダッド・テレビジョン、1990年8月末)
⇒事実ではない。
* 米国海軍の奇襲部隊がアラビア海でバングラデシュの商船を乗っ取った。 (1991年1月1日付「サングバッド」紙 [バングラデシュ])
⇒事実ではない。
* 米国情報機関が、サウジアラビア皇太子の暗殺を計画した。 (ラジオ・バグダッド、1991年1月15日)
⇒事実ではない。
・湾岸戦争:イスラム教徒と西側同盟国の衝突に関する嘘
「砂漠の嵐」作戦の多国籍軍は、西側諸国と非西側諸国との広範な同盟であり、多数のイスラム国家が多国籍軍に参加したため、イラク政府は、この争いをイスラムと無信仰者との間の争いであると位置付ける機会を奪われた。イラクは、アラブおよびイスラム諸国の間で多国籍軍への敵対心を高めるため、工作活動と国営メディアを利用して、西側の軍人とイスラム教徒の軍人の間に摩擦あるいは公然たる対立があるという話をねつ造した。これらの作り話には、イスラム国家の軍人が、西側の軍人によって侮辱される、あるいは殺されるが死ぬ前に、彼らを苦しめたと言われる軍人の数人を何とか殺す、という内容のものが多い。こうした話はいずれも事実ではない。作り話の具体例を以下に挙げる。
* 「バングラデシュ兵士がイラク攻撃への参加を拒んだことを理由に、米国軍および英国軍の兵士がサウジアラビアでバングラデシュ兵士を銃撃した。その結果、数百人のバングラデシュ兵士が殺害された……」 (バングラデシュで配布されたパンフレット、1991年1月28日)
* 米国軍がサウジアラビアでモロッコ軍を銃撃し、数人が殺害された。 (ラジオ・バグダッド、1991年1月31日)
* 米国は輸出禁止措置に違反してイラクからの石油輸入を続けていたにもかかわらず、同盟国にはそれを否定していた。 (イラク石油省、1990年8月17日)
[公文書の改ざん]
公文書に記された嘘や虚偽の画像は、イラクの情報工作の重要な要素となっている。イラク政府当局者は、文書ねつ造、国際カメラマンやテレビカメラに向けた場面の演出、新聞や雑誌に虚偽の記事を掲載するためのひそかな工作、そして虚偽の公式発言を行なってきた。湾岸戦争の際、イラクは、イラク軍の勝利、イスラエルの多国籍軍作戦への参加、および多国籍軍内部におけるイスラム諸国と欧米諸国の争いといった虚偽の主張を公式に発表した。明らかにイラクならびにアラブの大衆に向けたものもあった。例えば、1991年1月17日、ラジオ・モンテカルロが報道した「カイロで大規模なフセイン支持のデモが行なわれた」という公式発言、また1991年1月22日、イラク国営通信による「要人も含む2万5000人のサウジアラビア人がイエメンに避難しようとした」との報道などが、その例である。
・自らの手による破壊行為
湾岸戦争中の1991年2月11日、イラクはアルバスラにあるモスクの丸屋根を意図的に取り外して破壊し、多国籍軍の爆撃による被害であるかのように見せかけた。しかし、多国籍軍の兵器で攻撃されていたなら損傷しているはずの尖塔、中庭の建物、あるいは丸屋根の土台には全く被害がなかった(注26)。
・演出された一般市民のインタビュー
イラクを訪れるジャーナリストや旅行者は、一般市民と思われる人々が「自然に」悲しみや怒りを表現するのを見たり、国連の経済制裁がもたらしたとされる苦労について聞かされることがよくある。砂漠の嵐作戦の際、民間居住地域の付近を攻撃したミサイルに焦点を当てた国際ニュース放送で、通行人を装った女性が、カメラに向かい「イラクに対する犯罪的な爆撃」について流暢な英語で語った。しかし、イラクに駐在したことのある米国の外交官らは、その女性が、イラク外務省のキャリア官僚であるスーハ・ツライヒであることに気付いた(注27)。
・検閲
映像を操作する最も容易な方法は、外国向けの放送を制限・検閲することである。湾岸戦争中、イラクはCNNその他のメディアが、イラクの軍事施設の被害の映像を流すことを許さず、民間人の被害の映像のみを許可した。1991年2月9日付「ワシントン・ポスト」紙によると、「(BBCのカメラマン、ピーター・ジュベノール)の話では、空襲による犠牲者は民間人のみであったと見せかけるために、バグダッドの南、ナッサリヤへの多国籍軍による爆撃で破壊された橋にある軍事標的の被害を映した映像は、検閲者によって削除された。彼は、近くの病院で、空襲で負傷した兵士の撮影を妨害されたとことをBBCに語った。政府の付添人が負傷者の軍服を毛布で被い、民間人のように見せかけたこともあったという」。
・記事掲載のためのひそかな工作
以下に述べるのは、特に悪質な公文書改ざんの例である。イラク政府の情報担当官、外交官、あるいはスパイが、外国のジャーナリストや出版物に、偽の記事を提供する。記事には、そのテーマを裏付けると思われる詳細な情報が含まれているが、その真偽を確認することはできない。記事の情報源や中心人物については、もっともらしく詳細な描写があるものの、実名は出ていない。記事に臨場感と信憑性を与えるため、事件があったとされる日時や場所は書かれている。
イラクはまた、実際に起こった出来事や集会をもとに偽の記事を作ってきた。ジャーナリストに、資料の出所がわかる場合とわからない場合とがあり、またこうした工作はひそかに行なわれるため、必ずしもイラクの画策によるものであると確信を持って言うことはできない。しかし、イラク側の秘密工作に関する知識、記事掲載のためのひそかな工作へのイラクの関与の明白な証拠、そして強力な情況証拠によって、以下の事項についてはそれがイラクの画策であることが裏付けられる。下記の報道はいずれも事実ではない。
* 数百人のサウジアラビア人が、米軍基地の前でデモ行進した後、米国兵が彼らに発砲し、少なくとも10人が死亡し、けが人も出た。
- 1990年8月13日付「サウト・アルシャーブ」紙(ヨルダン)
* サウジアラビアで100を超すキリスト教教会が建設された。米国人は500万ドル以上の酒類をサウジアラビアに輸入した。米国兵が、サウジアラビア人になりすまし、サウジアラビア国内のいたるところにいる。
- サウジアラビア在住のナイジェリア人からナイジェリアの日刊紙「リパブリック」に宛てたとされる偽の手紙、1990年10月28日
* サウジアラビア駐留の米国軍人に売春婦を5000人(後に1万人とされた)提供するため、米国のPR会社がエジプトの人材派遣会社と契約した。
- 1990年8月13日付「タイムズ・オブ・インディア」紙。後にこの記者は解雇された。
* 多国籍軍のパキスタン兵が米国兵と衝突し、米国兵72人、パキスタン兵5人が死亡した。
- 1991年1月16日付「マルカズ」紙(パキスタン)。(1月18日、パキスタンはイラクの報道担当外交官を、「外交官の地位にふさわしくない行動」を理由に国外追放した。)
・ケーススタディー
アルファハド偽造文書
1990年10月下旬、イラクの国連大使は、国連事務総長に宛てて文書を提出した。同大使によると、この文書は、クウェート国家治安長官のファハド・アーメド・アルファハド准将がクウェート内務大臣に宛てた「極秘」メモで、長官が、1989年11月にワシントンで、米国中央情報局(CIA)のウィリアム・ウェブスター長官と行なったとされる会談について記したものである。
このメモは、完全に偽造で、米国とクウェートがイラクの安定を乱すための陰謀を企てたという、イラクの虚偽の主張を裏付けることを目的としていた。
この偽造されたクウェートのメモの内容は、以下の通りである。
「われわれは米国側との間で、イラク政府に圧力をかけ、両国間の国境を明確にさせるため、イラク経済の悪化を利用することが重要であるとの合意に達した。米国中央情報局は、圧力をかけるための適切な方法に関して彼らの見解を示し、高いレベルで協調体制をとることを条件として、米・クウェート間の広範囲な協力を進めていく必要があると述べた」
当該メモに添付された手紙で、イラクのタリク・アジズ副首相が、問題となっているクウェートの書類を、次のように非難している。
「・・・(クウェート)政府と米国政府による、イラクの安定を乱す陰謀を明らかにしている。・・・この書類は米国中央情報局とクウェートの前政権情報局との間で、イラクの国家安全保障、領土の保全、および国家経済に反する陰謀を互いに黙認していることを、明白かつ疑いの余地なく確認するものである」(注28)
この偽造文書は、10月30日にマスコミで報道され、その直後にCIAおよびクウェート政府の双方が、これは偽造であると非難した。CIAによると、アルファハド長官によるウェブスター長官訪問は、「通常の表敬訪問であり・・・会合ではクウェートといかなる国との間の関係についての話し合いも、なかった」。(注29) クウェートのサバハ・アルアハマド・アルジャビル・アルサバハ外相は、国連のハビエル・ペレス・デクエヤル事務総長に宛てた10月27日付書簡で、当該文書には「虚偽および根拠のない嘘」、そして「クウェートでは決して使われたことのない言語表現」が含まれていると述べている。同外相はまた、「文章のスタイルが、クウェート当局者の間で使われるものとは異なる」としている(注30)。
・湾岸戦争:虚偽の勝利宣言
「砂漠の嵐」作戦の初期、イラク政府は軍事作戦の成功を伝える一連の虚偽の声明を発表した。この嘘の主な対象はイラク人を含めたイスラム教徒の非エリート大衆であり、イラクは公式声明、虚偽のニュース、そして同調的なジャーナリストを利用して、イラク側の主張を広めた。こうした主張(すべて虚偽)の具体例には次のようなものがある。
* 在モーリタニア米国大使館の報告によると、同国のイラク大使館は、空爆作戦開始のわずか3日後に、捕虜になった多国籍軍兵士とされる人物の白黒ビデオを公表した。ビデオに撮られた「捕虜」の人数が多いこと、そして同ビデオが極めて短時間の間にモーリタニアで製作され公表されたことから、それが偽物であること即座に示している(注31)。
* 戦争中、イラクは、200機以上の多国籍軍航空機および「数十基の」巡航ミサイルを撃墜し、1基の不発巡航ミサイルを再使用のために回収したと主張した。イラクはまた空母1隻を破壊したとも発表した。実際には、戦闘で失われた多国籍軍機は37機であり、破壊された空母はない。
* 湾岸戦争で死亡した西側の兵士は、「英国軍機でサウジアラビアからジブチへ、続いてクレタ島へと運ばれ、ひそかに埋葬された」。これは事実ではない。
- アルジェリアン・プレス・サービス、1991年1月29日
* イラクが、イスラエル国防省をミサイル攻撃し、テルアビブは「ゴーストタウン」と化した。イラクがスカッド・ミサイルでイスラエルを攻撃した事実はあるが、その被害は大きくはなかった。
- イラク国営通信、1991年1月20日、「英国人特派員」からの引用とされる。
* イラクは多国籍軍部隊の6000人を殺害した(この宣言は多国籍軍空爆作戦開始の後わずか4日後に発表された)。実際には、戦闘期間を通じて死亡した米国軍兵士は148人だった。
- 1991年1月20日付「インキラブ」紙(バングラデシュ)
[結論:欺まんは続く]
この報告書は、サダム・フセインとその幹部らが、イラク国民と国際社会を欺くために利用している欺まんの構造を明るみに出すものである。フセイン政権の抑圧的、独裁主義的な性質が、彼の欺まんと嘘を可能にしている。この政権は、1991年の湾岸戦争中に情報工作による混乱工作に巧みになり、それから10年以上の間に、そうした策略を完璧なまでに磨き上げてきた。
今後もこのような欺まんを続けようとするイラクの意図は、最近の行動から明らかである。米国とその同盟諸国が、サダム・フセインを武装解除させるためには軍事行動が必要であると判断した場合、国際社会がどのような状況に直面するかを、2003年1月8日の、イラクのタリク・アジズ副首相の発言が物語っている。フセイン政権の側近の1人であるアジズ副首相は、この独裁者を支持する人々に人間の盾となることを呼びかけたのである。しかし、タリク・アジズは、人間の盾が守るのは、イラクの軍事施設・装備であり、国民を虐げるイラク政府であることには、言及していない。
その一方で、イラク政府は、引き続き国の貧困を公言し、国連の原油食糧交換計画によって多額の金を得ている。同計画によると、2003年1月4日から10日までの期間に、イラクは原油670万バレルを輸出し、推定1億7400万ドルの収入を得た。同計画によると、2002年12月から2003年6月までの間に、イラクは原油輸出により14億ドルの収入を得る見込みであるという。国連安全保障理事会が原油と食糧の交換を許可したのは、イラク国民を飢餓から守るためである。この報告書で強調されているように、大勢のイラク国民が飢餓に近い状態にある中で、サダム・フセインは石油で得た富を、宮殿建設や兵器製造に使っている。そしてその間、フセイン政権は、イラク国民の窮状は国連制裁措置のせいであるという虚偽の主張を続けている。
この報告書は、国連安保理決議1441に対する重大な違反をはじめとするイラクの最近の行動についても、大局的な視点を提供する。同決議は、イラクにおける大量破壊兵器の全面的、最終的、そして完全な情報開示、および検証された武装解除プロセスを求めている。それに対して国連がイラクから得たのは、さらなる虚偽と欺まんだった。
* 2003年1月16日、それまで開示されていなかった化学兵器用の弾頭を、国連査察官が発見した。
* イラク政府は、イラクの科学者たちに対する国連査察官の個人面接に関する方針を変更することによって、科学者たちを脅している。
* イラクの申告書には述べられていない、化学・生物・核兵器の備蓄および計画が多数存在する。
* イラクは国連査察官に「積極的に」協力していない。
コリン・パウエル国務長官が2003年1月19日の「フェース・ザ・ネーション」で語った。「武装解除プロセスにおいて査察官に全面的に協力することが、決議1441に基づく(イラクの)義務である。ブリクス博士(UNMOVIC)は、動かぬ証拠は見つかっていないと言っているが、同時に、イラクからは消極的な協力しか得られていないとも語っている。『見つけられるものなら見つけてみろ。何かが見つかれば認めるかもしれない。しかし、われわれは、だまし、隠し、真実の発見を難しくするために極力努力をしている』。」
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Endnotes(注)
1 "Iraqi Weapons of Mass Destruction Program and the History of UN Inspection Efforts in Iraq," Witnesses: David Kay and Richard Spertzel, Hearing of the House Armed Services Committee, September 10, 2002, p. 30. http://www.fednet.net/archive/. See also "Scientists are Sought as Key to Iraqi Arms," by Joby Warrick, The Washington Post, December 15, 2002.
2 Peter Arnett, Live from the Battlefield, pp. 385-386.
3 U.S. Department of Defense, Final Report to Congress, Conduct of the Persian Gulf War, April 1992, pp. 141, 615.
4 Kidhir Hamza, Saddam's Bombmaker, p. 248.
5 Ibid., 469-470.
6 UNSC Resolutions 661, 687, 706, 712, 778, 986, 1051, 1111, 1129, 1143, 1153, 1158, 1175, 1210, 1242, 1266, 1275, 1280, 1281, 1293, 1302, 1330, 1352, 1360, 1382, 1409, 1443, and 1447.
7 UNSC Resolutions 706 and 712. See "State Department Fact Sheet on UN Oil-for-Food Program for Iraq," December 20, 2002, http://usinfo.state.gov/regional/nea/iraq/text/1221fact.htm.
8 UNSC Resolution 986.
9 UNSC Resolutions 1051, 1111, 1129, 1143, 1153, 1158, 1175, 1210, 1242, 1266, 1275, 1280, 1281, 1293, 1302, 1330, 1352, 1360, 1382, 1409, 1443, and 1447.
10 United States Department of State, Saddam Hussein's Iraq, p. 11.
11 "Oil for Food Programme in Brief," United Nations Office of the Iraq Programme, September 2002. http://www.un.org/Depts/oip/background/inbrief.html
12 Saddam Hussein's Iraq, United States Department of State, p. 10.
13 Ibid., p. 11.
14 "Facts and Figures," The World Food Programme, http://www.wfp.org/index.asp?section=2.
15 "The Mother of All Ironies," BBC Correspondent June 23, 2002. See also "How Saddam 'staged' fake baby funerals," by John Sweeney, The Observer, June 23, 2002, http://observer.co.uk/worldview/story/0,11581,742303,00.html.
16 Ibid.
17 Ibid.
18 John Sweeney, "How Saddam staged fake baby funerals," The Observer, June 23, 2002.
19 Christine Godsen, "Why I Went, What I Saw," The Washington Post, March 11, 1998, p. A19.
20 Ibid.
21 "Experiment in Evil," The Sydney Morning Herald, December 7, 2002.
22 Helen Chapin Metz, Iraq: A Country Study, U.S. Department of Defense, 1990. See Library of Congress:
23 Loiko, Sergei Loiko, "In Iraq, All Sanctions All the Time," Los Angeles Times, January 6, 2003.
24 United States Department of State, "Iraq," International Religious Freedom Report, 2002. (http://www.state.gov/g/drl/rls/irf/2002/13996.htm)
25 United States Department of State, "Iraq," Country Reports on Human Rights Practices, 2001. March 4, 2002.
26 Todd Leventhal, Iraqi Propaganda and Disinformation During the Gulf War: Lessons from the Future (The Emirates Center for Strategic Studies and Research, 1999), p.55.
27 Ibid, p. 55.
28 UNSC document S/21907, October 25, 1990.
29 CIA Statement, October 30, 1990
30 Todd Leventhal, Op. Cit., p. 30.
31 Ibid., p. 54.