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欺まんの構図 サダム・フセインの情報工作とプロパガンダ 1990−2003 前編 [在日アメリカ大使館]
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投稿者 white 日時 2005 年 8 月 15 日 11:17:10: QYBiAyr6jr5Ac
 

□欺まんの構造 サダム・フセインの情報工作とプロパガンダ 1990−2003 前編 [在日アメリカ大使館]

 http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-jp0283.html

欺まんの構造

サダム・フセインの情報工作とプロパガンダ 1990−2003年

[概要]

「嘘をついても、それが命令されたものなら、嘘をついたことにはならない」
 −イラクの生物兵器担当高官

 1998年12月、国連の兵器査察官リチャード・スパーツェル博士は、イラクの言い逃れや虚偽の陳述にいら立ち、イラクが生物兵器計画の責任者であるとしていたリハブ・タハ博士を詰問した。「あなたが嘘をついているとわれわれが知っていることを、あなたもわかっているはずだ。それなのになぜ嘘をつくのですか」。すると彼女は姿勢を正してこう答えた。「スパーツェル博士、嘘をついても、それが命令されたものなら、嘘をついたことにはならないのです」(注1)

 タハ博士のそっけない回答は、徹底的に嘘をつくことによりイラク政府に対する支持を勝ち取ろうとするために巧みに組み立てられ、高度に組織・統制された計画を象徴している。この綿密な計画は、イラク政府が政治、軍事、外交上の目的を遂行するための、最も強力な武器のひとつである。イラクは、その情報工作やプロパガンダ作戦において、入念な策略や明らかな欺まん、秘密工作や虚偽の公式発表、そして周到な準備やチャンスの活用といった手段を利用している。その多くは、決して新しい手法ではないが、イラク政府は、現在、世界の他のいかなる政府よりも積極的かつ効果的にそれらの手法を利用し、より深刻な事態をもたらしている。

 今後数週間、国際社会が国連安全保障理事会決議の履行と、イラクの武装解除を求めるに当たり、各国政府、メディア、そして一般市民は、その恐ろしい欺まんの記録を考慮し、イラクの言葉や行動や映像を検討することが求められる。

 「欺まんの構造」では、イラクがプロパガンダと情報工作のために利用してきた虚構について、大きく次の4分野に分けて述べる。

* 作り出される悲劇:イラク政府は、悲劇を巧妙に作り上げるため、武力衝突の際に当然攻撃目標となる軍事設備・施設や軍隊の近くに民間人を配置している。イラクは、湾岸戦争の際、イラク人と外国人を人間の盾として公然と利用し、後に国際社会からの圧力に屈して彼らを解放した。イラクはまた、モスクや古代文化財の隣あるいは中に軍事施設を置いた。さらに、自らの施設を故意に破壊し、それを連合軍による爆撃によるものと非難し、また地震などの天災による被害を爆撃によるものと主張してきた。

* 苦難の利用:サダム・フセインは、国民の苦難を利用するため、飢餓や医療の決定的不足(その多くはフセインが自ら引き起こした)を、国連または米国とその連合国によるものと非難している。この策略は非常に効果的であるため、イラク政府は故意に苦難を作り出したり、あるいはそれを放置し、国民の苦難を積極的に利用している。過去数年にわたり、イラクは、劣化ウランがイラク国民のガンや先天性異常の原因となっているという誤った見解を強硬に推進してきた。劣化ウランは、湾岸戦争中に徹甲弾に使われたもので、比較的無害な物質である。ガンや先天性異常の発生率が上昇しているとすれば、それはイラクによる化学兵器使用が原因である可能性が高いことは、科学的証拠により示されている。

* イスラム教の利用:専門家の間では、フセインが、宗教とは関係のない、無神論的でさえある政党の出身であり、信心深い人間ではないことが知られている。しかし彼は、イスラム教徒の感情に訴えるため、公式の発言では信仰心を示す表現を使う。またイラクのプロパガンダ機関が、祈とうその他の敬虔な行為を行うフセインの姿を描いた看板を立て、その肖像画を配布する一方で、フセイン政権は巡礼者のメッカ巡礼を妨害している。またイラクは、イスラム教徒の反イスラム主義者に対する反感を煽るため、虚偽の情報を多数流してきた。

* 公文書の改ざん:イラク政府は、公文書を改ざんするため、虚偽の公式発表、虚偽の記事掲載、自作自演の破壊行為、文書偽造、虚偽のインタビューなどの手段を併用している。

 イラク政府は、いくつかの手段を組み合わせて利用することで、虚偽の情報や画像を配布し、イラクの支持者やニュース解説者らがそうした情報をメディア全体に行き渡らせることを期待している。そのような虚偽の情報の多くはすぐに消えるが、到底信じがたい主張でさえも信じる者がおり、あるいは少なくとも公文書に永久保存される。情報が偽りであることが証明された後も、状況によっては、それが勢いを増し繰り返されることもある。

 イラクは、長年にわたり、状況に合わせさまざまなテーマや手法を組み合わせて利用し、また新たな機会をすばやくとらえて偽りの情報を広めてきた。イラクの情報工作は、細心の注意が払われ入念に計画されている。イラク政府は、この情報工作活動に多大な資源をつぎ込み、いくつかの目覚ましい成功を収めている。

イラクの主な情報工作手段

* 演出された苦難と悲嘆
* 軍事施設と民間人・施設の併設
* ジャーナリストの移動制限
* 虚偽の主張または情報開示
* 虚偽の一般市民インタビュー
* 自作自演の破壊行為
* 虚偽の公式発表
* 虚偽の記事の秘密裏の配布
* 検閲
* 虚偽の、編集加工された、または古いフィルム映像や画像
* 偽造文書

 フセインの欺まんの手段における最優先事項は、世界に向けて放映されるテレビ映像の操作である。そのために、外国人ジャーナリストの移動を制限し、ニュースの送信内容を監視および検閲し、古い映像または虚偽の映像を配給し、慎重に演出された事件や場面を用意する。中でも、イラク政府による最も皮肉に満ちた戦略は、実際に自国の民間人に苦難を与え、あるいは彼らに死さえももたらすような状況を作り出し、その責任を国連や外国の制裁措置に転嫁することにより、自国民の苦難を悪用することである。

 「欺まんと抵抗の10年」をはじめとする最近の米国政府の報告書は、国連の決議や兵器査察に対するフセインの欺まん行為を証明している。イラク政府によるその他多くの偽りに満ちた行為、特に今後繰り返される可能性の高い欺まんについての認識を高めるため、「欺まんの構造」では、1990年以降のイラクによる情報工作とプロパガンダの裏にある事実を考察する。フセイン政権の性格と歴史を考慮すると、さらなる欺まんの証拠が明らかになることはほぼ確実である。


[作り出される悲劇]

 「文民たる住民又は個々の文民の所在又は移動は、ある種の地点又は地域が軍事行動から免れるため、特に、軍事目標を攻撃から掩護し又は軍事行動を掩護し、有利にし若しくは妨げるために利用してはならない。紛争当時国は、軍事目標を攻撃から掩護し、又は軍事行動を掩護するために文民たる住民又は個々の文民の移動を命じてはならない」
− 1949年ジュネーブ条約議定書第51条(訳=有斐閣『国際条約集1992』、p.505)

 サダム・フセインの過去の行動に照らし、もしイラクとの戦争が始まれば、彼が世界のメディアに対し「欺瞞のわな」を仕掛けることはほぼ確実である。明らかにフセインは、イラクに対する軍事行動への反感を誘発させる最も強力な武器はイラク国民の死であると信じている。

 「砂漠の嵐作戦」の期間中、連合軍は慎重に標的を選び、罪のない民間人に対する爆撃を回避するための厳しい交戦規則を自らに課していた。しかしながら、標的の慎重な設定、厳しい発射規則、そして精密(誘導)兵器の使用にもかかわらず、ある程度の民間人の死傷者が出た。フセインは、米国主導の連合軍に対する国内外の支持を弱めるために罪のない人々の死を利用し、連合軍が民間人を標的とし無辜の命を奪ったとの主張を幾度も繰り返した。

 イラク政府によるプロパガンダ作戦は、通常予想される民間人の犠牲に対する抗議をはるかに超えるものであった。イラクは、戦車、ミサイル、指揮・統制施設などの軍事施設を民間人や民間施設の近くに置くことが、それら軍事施設を攻撃から守るために大いに役立つことを直ちに悟った。フセインは、民間人や民間施設を盾に軍事施設を防御すれば、連合軍は民間人の近くにある標的への攻撃を回避するか、さもなければ純然たる軍事施設と思われた場所で意図に反し民間人の犠牲を出すことで、連合軍が大きな政治的打撃を受ける危険があると考えた。

 こうした民間人・施設を利用する戦略には、次の3つの目的がある。

* 軍事施設の隠匿
* 隠ぺいできない軍事施設に対する連合軍の攻撃の阻止
* 以上2つの目的が達成できなかった場合、民間人の犠牲者や文化遺跡の破壊の利用

 イラク政府によるこうした民間人利用作戦のいくつかは、衛星画像で明らかにされた。しかしながら、探知できなかったものには悲劇的な結果がもたらされ、活発なプロパガンダの口実にされた。これは、長年にわたりイラクが取ってきた方法である。イラク政府は国中で、軍事施設を民間施設や史跡の近くに配置し続け、軍事区域内あるいはその近辺にモスクなどの民間施設を建設している。

・過去の民間人・施設の利用

 CNNのピーター・アーネット記者は、湾岸戦争中、他の記者と共に宿泊していたアルラシド・ホテルの前庭に、ある晩スカッド・ミサイルと発射台が現れたと書いている(注2)。

 海外のメディアは、イラクが1990年に、子どもを含めた1000人以上の欧米人・日本人を、国内約70カ所の空軍基地、駐屯地、兵器工場、発電所等に人質として拘束したことを大きく報道した。その後イラクは、国際社会からの圧力を受け人質を解放した。

 湾岸戦争中イラク政府は、タリルに近い古代ウルのジグラットの近くに軍用機2機を配備した=写真下。連合軍がこの軍用機を爆撃していたら、古代メソポタミアの文化財に多大な損害が及んでいた。

 連合軍の指導者が宗教施設を標的としないことを発表すると、フセインは、軍事設備機器や部隊を防衛するため、これらの民間施設を利用するようになった。また、軍民両用施設がプロパガンダに利用された。

 1991年1月21日、連合軍の爆撃機が、バグダッドでイラク側が「ベビーミルク」工場であると主張する建物を爆撃した。米国は、この建物が生物兵器開発施設であると主張した。この建物は、イラク政府が生物兵器開発工場として利用する以前は、1979年から1980年にかけてと1990年の春から夏にかけての短期間、「ベビーミルク」工場として機能していたようである。

 米国政府当局者が当時指摘したように、イラク政府はこの工場を軍事施設を防護するのと同様の方法で防御していた。湾岸戦争後、国連特別委員会(UNSCOM)の査察官は、イラク政府の主要な生物兵器施設に所属する科学者3人が、この「ベビーミルク」工場で勤務していたことを明らかにした。

・現在の民間人・施設の利用

 湾岸戦争以降、イラク政府は、公園、モスク、病院、ホテル、商業地区、古代文化遺跡、宗教施設、さらには墓地を含む数々の民間施設およびその周辺に、防空ミサイルや関連設備機器を配備してきた。また、実際に使用されているサッカー場の隣にロケット発射装置を設置したり、民間の工業地域に使用可能な地対空ミサイルシステムを配置している。

 1997年末、イラク政府は、世界のメディアに、女性や子どもを含むイラクの民間人が軍事および工業施設にいる様子を撮影させた。米国政府が後に得た情報によると、イラク政府はその後、これら民間人をひそかに受刑者と入れ替えた。受刑者のほとんどは反政府主義者であったが、中には犯罪者も含まれていた。イラク政府は、これらの施設が攻撃された場合には、殺されたのは受刑者ではなく当初そこにいた民間人であると主張するつもりであった。

 2002年4月、商業衛星からの画像により、イラク政府がバグダッドから南東へ31マイル離れたサリバディの町にある学校の付近15カ所に軍事用防護壁を建設したことが明らかになった。防壁は、基本的には、軍用車を空襲から防護するために入れる穴であるが、そのいくつかは学校周囲の塀から11ヤードも離れていない。

 米国政府は2002年、イラク政府がタクシーやバスを軍用車に見せかけるため色を塗り替えるよう命じたとの情報を得た。

 2003年1月8日のAP通信などの報道によると、イラクのタリク・アジズ副首相は、外国人ボランティアがイラクに来て、武力衝突の際に民間施設で人間の盾となることを歓迎すると述べ、民間施設が攻撃対象となるとの考えを植え付けた。イラクは、1990年にも同様の発言をしている。そのような人間の盾は、武力衝突の際には軍事目標の周辺に配置される可能性が最も高い。これは、そうした標的に対する攻撃を阻止するため、あるいは攻撃による犠牲者を出させるためである。

・ケーススタディー

アミリヤ避難壕

 1991年2月13日早朝、連合軍の精密誘導爆弾が、バグダッドのアミリヤ避難壕に命中した。テレビ局は、建物から黒焦げの遺体が運び出される悲惨な映像を放映した。イラク側は、主に女性と子どもを中心とする300名以上が死亡したと報告した。

 この避難壕は、イラン・イラク戦争中に防空壕として建設されたもので、後に軍の指揮・統制センターに転用された。1991年には、軍事通信基地として使われ、有刺鉄線が張られ、偽装工作が施され、武装護衛兵が配置されていた。情報機関の報告によると、イラク軍高官がこの施設を軍事通信に使用していた(注3)。

 イラクは、民間の防空壕が意図的に爆撃されたと主張した。連合軍が知らなかったのは、イラク軍が建物の下階を引き続き指揮・統制センターとして使用する一方で、夜間に民間人を建物上階に招じ入れていたことである。フィンランドのヘルシンギン・サノマット紙の1991年2月14日付記事の中でフィンランドの専門家は、イラクにあるアミリヤ壕のような建造物は、2階建構造で計1500人を収容できると述べている。フィンランドのペルシティマ社とスウェーデンのABV社が、このような構造の建物をバグダッド市内に30棟建設した。

 イラクのキディル・ハムザ元核兵器計画担当長官は、著書「サダムの爆弾製造者」の中で、湾岸戦争中の状況について次のように述べている。

 「われわれは何度か(アミリヤ)壕に避難した。しかし、防空壕はいつも満員だった。壕の中には、テレビ、飲料水、自家発電機があり、通常兵器の攻撃に耐える強度を備えているように見えた。しかしある晩、私は何台かの大型の黒いリムジンが、裏手にある地下ゲートを出入りするのを見て、壕に入るのをやめた。調べた結果、そこが司令部であることがわかった。熟考した後、私はそこがおそらくフセイン自身の作戦基地であるとの結論に達した」(注4)

 米国政府はまもなく、フセインが、以後イラクにあるすべての軍事用避難壕に民間人を居住させるよう命じたとの情報を得た(注5)。


[苦難の利用]

 イラク政府は、国連制裁措置を維持しようとする国際社会の決意を弱める機会をとらえること、またそうした機会を作り出すことに長けている。その目標達成のために同政権が使う最も効果的な手段のひとつが、イラク国民が困窮と苦難に陥る状況を組織的に作り出すことである。イラク政府は、豪華な宮殿や膨大な兵器計画に多大な資源をつぎ込む一方で、一般市民には食糧や医薬品が不足する状況を作り出している。そして、フセインの政策が生んだ国民の苦難の責任を、制裁措置を課した国連に転嫁している。泣き叫ぶやせ細った子どもたち、医薬品や医療品の不足を嘆く医師、そして助けを乞う親たちの姿が感情に訴える大きな力に、苦難の真の原因はかき消されてしまう。

 フセイン政権は、国際世論を感化するため、特に国連がイラク国民を死に追いやっているとの虚偽の主張を裏打ちするため、悲劇的な映像を利用している。その中には次のようなものがある。

* 外国のテレビカメラ向けに、病気や栄養失調の子どもたちを利用する。
* 合同葬儀を演出する。
* 商品も人気もない市場や荒れ果てた病院を選んで見学させる。
* 明らかに病んでいるイラク国民を見せ、制裁措置により近代的な医療機器が入手できないことが病気の原因であると非難する。
* テレビ映像を検閲し、ジャーナリストやテレビ撮影スタッフの移動を制限する。

 中でも衝撃的な手段として知られるのは、イラク政府が、死亡した乳児の遺体を集め、何カ月も保存し、大規模な合同葬儀を演出し、国連の制裁措置が幼子たちを死に至らしめているとの印象を作り出そうとしていることである。

 イラク政府は、食糧、医薬品などの必需品のための資金を、兵器計画や政権のエリート層のぜいたくのために流用している。国連制裁措置の例外として、イラクは食糧や各種医薬品など必需品の輸入を明確に認められており、国連安保理は、人道上・インフラ上のニーズに対応し、数回にわたり輸入認可対象項目を拡大してきた。イラク政府は、意図的に医療品の欠如や栄養失調という状況を作り出したか、あるいは自らの政策が引き起こした国民の苦難を、プロパガンダに利用できると考えたにすぎないかである。

 いずれにせよ、軍隊のための武器とエリート指導層のぜいたくが、国民の食糧や医薬品より優先された。フセイン政権はまた、自らの義務を果たし国民の苦難をなくすより、窮状を継続させ、それを制裁措置のせいにする方が有用であると考えた。2000年の「フォーブス」誌によると、フセインの個人資産は70億ドル推定とされ、その大半を石油と密輸から得ていた。

・政権の失敗を制裁措置に転嫁

 国連安保理は、計29の決議(注6)において、制裁措置の理由は、イラクにそれ以前の国連決議を順守させるためである、と明確に述べている。しかし、フセインはこれを拒否している。国連は1990年、安保理決議661で食糧と医薬品の輸入を許可した。安保理はまた、1991年に、イラク産原油の売却収入を国連が管理する口座に蓄え、イラク国民のための食糧や医薬品などの人道物資購入に充当する原油食糧交換計画を提案したが(注7)、イラク政府はこれを拒絶した。

 1995年、安保理はイラクの抗議を押し切り、別の原油食糧交換決議を採択した(注8)。イラク政権は1年半にわたりこの計画を拒否し続けたが、国際社会の圧力を受け、1996年ようやく同計画に同意し、第1回の輸入を1997年に受け入れた。しかし、イラクは計画導入後も引き続き、国際社会がイラク国民に提供しようとする食糧や医薬品を国民の手に渡さなかった。国連はその後、さらに22の安保理決議により、イラク国民のために原油食糧交換計画を延長、改正、調整、あるいは拡大し、一貫して輸出認可品目を増やしてきた(注9)。

 イラクは、総人口2200万人のうち170万人の子どもたち(うち70万人は5歳未満)が、制裁措置のために死亡した、と主張している。イラク政府のホームページによると、原油食糧交換計画導入後の1996年から2001年までの間に、5歳に達する前に死亡した乳幼児の数が50%増加している。しかし、以下に述べるように、事実は異なる。

* 原油食糧交換計画の下で、フセイン政権は独自の用途に使う資金を得るため食糧を輸出した。同計画によりイラクに売却された乳児用調合乳が、湾岸各地の市場に出回っているが、これはイラク政府が制裁措置を回避して輸出したものと思われる(注10)。

* 国連によると、原油食糧交換計画の下で、イラクの1日の食糧配給量は、1996年の1日当たり約1200キロカロリーから、2002年8月には1日当たり2200キロカロリー以上に増加した(注11)。

* したがって、イラク国民の平均カロリー摂取量が80%上昇し、医療物資の供給が増える中で、子どもの死亡率が急増したとするイラクの主張は、信じがたい。

* フセイン政権支持派の高官が、心臓バイパス手術や、600万ドルの超近代的なガンマナイフによる神経外科手術など、多額の費用がかかる治療を受けている一方、イラク国民は基礎的な医薬品の不足に悩んでいる(注12)。

* 湾岸戦争以降、サダム・フセインは、20億ドル以上をかけて、48カ所に新たな宮殿を建設した。その中には、金めっきの蛇口や人工の滝を備えたものもある(注13)。

* 20億ドルで、空腹に苦しむ国民のためにどれだけの食糧が買えるだろうか。世界食糧計画は2001年に、全世界で7700万人を対象に66万トン相当の食糧を供給したが、その費用は17億4000万ドルだった(注14)。

・ケーススタディー

赤ん坊の葬儀

 「会葬者に続いて、タクシーの屋根に乗せられたたいくつかの小さな棺が、バグダッドの街を行進していった。それぞれの棺には、死んだ赤ん坊の無残な写真とその年齢が「生後3日」、「生後4日」などと、英語圏のマスコミ向けに英語で書かれていた」 「オブザーバー」紙(ロンドン)

 世界のどこでも、人々は罪のない子どもの苦難や死に心を痛める。フセイン政権は、ことあるごとに、命を落とした子どもたちのイメージを、敵の政策や行動に結び付けようとする。彼らは、多数の子どもたちの死を、国連制裁措置発動の原因となったフセイン政権の政策のせいではなく、国連制裁措置のせいにしてきた。彼らはまた、湾岸戦争時に使われた使用済み弾薬の劣化ウランを浴びたため、多くの子どもたちが命を落したり奇形児が生まれる原因となったと主張した。こうした主張を支えるため、彼らは大規模な合同葬儀を演出し、そのためにも命を落とした子どもたちを必要とするのである。しかし、イラク人亡命者、ジャーナリスト、そしてこうした葬儀に参列した人々によると、ひとつ問題があった。すなわち、効果的な演出に必要な数の遺体をそろえるため、子どもの遺体を集め保存しておく必要があった。

 2002年6月23日に放映された英国放送協会(BBC)特派員によるドキュメンタリーは、フセイン政権によるこうした葬列の演出を暴露した。イスラム教の慣習に従い、死亡した子どもを直ちに埋葬する代わりに、「命を落とした赤ん坊の葬列」を演出するために必要な数の遺体を集めるため、イラク当局は遺体を冷蔵しておく(注15)。 そうした葬儀のひとつでは、フセイン政権は、死亡した子どもの大きな写真を飾った60余の棺を、バグダッドの「殉教者広場」に陳列する一方、政府が動員したデモ隊が反米スローガンを叫び、国連制裁措置の解除を要求した。これらはすべて、その場にいた外国人記者向けに演出されたものである。

 テレビのインタビューで、フセイン大統領の元側近で、現在イラク北部に住むアリと名乗るイラク人が、タクシー運転手から聞かされた内情を次のように語った。「彼は2、3日前にナジャフ(バグダッドから南へ100マイル離れた町)に行き、合同葬儀用に子どもの遺体2体を持ち帰ったそうだ」(注16)

 アリの話は続く。「腐臭がひどく、遺体がどのくらいの期間保存されていたのか彼にはわからなかったが、6、7カ月間ではないかということだった。運転手たちが各地から遺体を集めてくるのだ。彼らは、準備ができるように、いつ合同葬儀が行われるのかを知らされる。彼らは、何カ月も前に死に、合同葬儀用に保存されていた子どもたちの遺体を集めるのさ」(注17)

 番組の司会者は、別の記事では次のように書いている。「別の西側情報筋は、バグダッドの病院を訪れた時、イラク政府の担当者がいない間に霊安室に案内された。その場で医師が、次の合同葬儀に備え積み上げられた多数の乳児の遺体を見せたという」(注18)

・劣化ウランの脅威

 連合軍は湾岸戦争の際、その高濃度性のため理想的な武器となる劣化ウラン製の徹甲弾を使用した。イラク政府は近年、連合軍が使用した劣化ウラン弾が、イラク国内でのガンや先天性異常を引き起こす原因となってきたとの虚偽の主張を広めようとしている。イラクは、先天性の異常を持った子どもたちを写した衝撃的な写真を配布し、劣化ウランがその原因であると主張してきた。この政治的な運動には、プロパガンダとして2つの有利要素がある。

* 一般人は、ウラニウムという言葉に恐怖を覚えるため、この虚偽の主張が比較的通じやすいものとなっている。
* 反核活動家の国際的なネットワークが、劣化ウランの反対運動を独自に展開しており、イラクはこの組織網を利用することができた。

 しかし、世界保健機関(WHO)、国連環境計画(UNEP)、および欧州連合(EU)の科学者らは、劣化ウランに被ばくしても健康に影響はないとしている。

 しかし、こうした真実をもってしても、イラクの偽情報活動は止まることがない。ロンドンのアラビア語新聞「アルクッズ・アルアラビ」紙の2000年11月15日の報道によると、イラクはこの問題を追求するため、タリク・アジズ副首相の直接指揮下に「汚染の影響追跡のための中央委員会」と称する組織を設置した。同紙によれば、イラクのアブドアルワハブ・ムハマド・アルジュブリ少将を長とする、軍関係者や科学者等から成る作業グループが、データの作成や国際メディアのための視察ツアーを企画した。イラクは、劣化ウランの「悪影響」に関する国際会議を主催し、「専門家」を海外に派遣して、この問題について講演をさせている。その「専門家」の中には、イラクの「侵略的爆撃がもたらす汚染に関する委員会」の委員であるイラク人科学者モナ・カマス教授も含まれている。

・イラクの化学兵器による医学的影響に関する事実

 国営イラク通信のウェブサイトは、モスルの町に住む少年の無残な写真にリンクを張り、次のような解説を付けている。「われわれは人権擁護派に訴える。彼らの爆弾がイラクの子どもたちに何をしたか見よ。彼らはイラクに対する侵略に、劣化ウラン弾など国際的に禁止されている武器を使用している現実を見よ」。2000年11月、イラクの「アリフ・バ」誌は、母親が劣化ウランに被ばくしたため、「2つの頭を持ち、腕も3本」ある子どもが生まれたと報道した。

 イラク各地で先天性異常やガンの発生が急増しているとするなら、それは、フセイン政権が1983年から1988年までの間にマスタードガスや神経ガスなどの化学兵器を使用したためである可能性が最も高い。サダム・フセインは、1980年から1988年まで続いたイラン・イラク戦争の際、イラク南部および北部に居住したイラン人に対し化学兵器を使用した。また、広く知られているように、北部の町ハラブジャでは、少数民族のクルド人に対し化学兵器を使用した。マスタードガスがガンを引き起こすことは以前から知られており、先天性異常の原因となることも強く疑われている。

 医療遺伝学が専門のリバプール大学のクリスティーン・ゴスデン教授は、1998年、ハラブジャにおける先天性奇形や生殖能力、そしてガンに関する調査を行った。ゴスデン博士は次のように話した。「私が見た状況は、想像した以上にはるかにひどいものであった・・・。当時ハラブジャに住む人々の間では、不妊症、先天性奇形、ガン(皮膚、頭部、頸部、呼吸器系、胃腸管、乳房のガンおよび小児ガン)の発生率が、攻撃の10年後でさえも、3−4倍以上だった。白血病やリンパ球腫で死ぬ子どもたちの数が年々増え続けている。ハラブジャでは他地域に比べて、ガンの発生年齢がかなり低く、また悪性の腫瘍が多い」(注19)

 ゴスデン博士はまた、ハラブジャで訪問した病院についてこう語る。「分娩室のスタッフによると、胎児に重度の奇形が発生している妊娠が非常に多い。胎児死亡、周産期死亡に加えて、乳児死亡も非常に多い。ハリビヤの女性の間では、こうした死亡例の発生頻度が、隣接するスレイマニアに比べ4倍以上高い。化学兵器攻撃の何年も後に生まれた子どもたちの間で、遺伝性の重度の先天性奇形が見られることは、こうした化学兵器物質の影響が世代を超えて受け継がれていることを示している」(注20)

 スレイマニア大学のフアド・ババン医学部長によると、「(ハラブジャ)における先天性異常の発生率は、広島と長崎における原爆投下後の人口に占める発生率の4−5倍である。この町の死産、流産の発生率は、さらに深刻である。成人や子どもの間でも、珍しいガンや悪性のガンも、世界で最も高い率で発生している」(注21)

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