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(回答先: 靖国神社問題は「歴史観」の問題ではありません 西岡昌紀 投稿者 西岡昌紀 日時 2005 年 7 月 12 日 17:28:50)
西岡さん、単純に答えて欲しい。
(1)
「国の為に死んだら靖国神社に祀ってやる」とはそんなに有り難いことですか?
私はありがたくない重石だと思いますよ。
だって現実は、
「靖国に祀ってやるから天皇の為に死ね」
だったのですから。
あなたは祀られて、嬉しいですか?
(2)祀られて嬉しくないどころか、怒り骨髄の人まで強制的に祀るのも、「約束」だからですか?
(3)あなたは、処方すると逆効果であることがわかった適用外のクスリを、医師としての信念もなく、一度患者さんに約束したという理由だけで、投薬を続けるのですか?
(4)あなたは、
「靖国に祀ってやるから死ね」といった東条など戦争指導者、
あるいは、といわせた当時の天皇の優柔不断、これらを肯定するのですか?
不問に付すのですか?
私は、それを否定することから戦後は出発したと思います。
前の天皇も今の天皇も、
「靖国に祀ってやるから天皇の為に死ね」
とは、もういいません、と「人間宣言」をし、
以後もいろいろ苦心しているのだと思いますよ。
(5)じつは、
「(A)国の為に死んだら靖国神社に祀ってやる」という約束と、
「(B)靖国に祀ってやるから天皇の為に死ね」という命令は、コインの裏表で、
切り放せないですよね。違いますか?
命令をしちゃってその結果死んだのだから祀らねばならぬ、と
西岡様はいっているんでしょう。
あなたは、歴史観をどがえしして約束は守るべきということは、
その約束が守られたら、(B)の約束も肯定、守らねばなりませんね。
「(B)靖国に祀ってやるから天皇の為に死ね」が否定されるなら、
なにもそれを肯定している人の総本山に祀ってもらうことはないですよね。
約束はご破算でしょうが。
※ 玉砕命令を出しながら、生き残ってしまった現地軍将校の方が、
死んだ戦友への約束だ、と断腸の思いで靖国参拝をするのは、
心情としてはよく分かります。しかし、
あなたのような、戦争にも、あるいは戦死者にも、何のリアリティを
感じず、脳内世界だけで少年の時から行きつづけた方に、
「約束」を説かれても、なんの説得力もないのです。
(あなたの文章が、形式仮説と形式論理の山であることから、あなたが、
現実の人間を考究される方でないことはよくわかります。)
もちろん、今の靖国神社がそのような断腸の思いにたえているかどうかは
大いに疑問ですが。
(6)現実は、
靖国神社は、
「靖国に祀ってやるから天皇(国)の為に死ね」
「靖国に祀ってもらうから天皇(国)の為に死ぬ」
という誓いを立てるための日本版「チェチェ思想塔」であることは歴然としているのです。
教義に曰く、戦争を行ったときの大日本帝国と現在の日本は価値観の上で少しも変わらぬ。
教義に曰く、戦争を行ったことを悔いるのではなく、日本国が敗戦で変わったことを悔いるべきだ。
こうした合唱の「思想塔」ではありませんか?
(7)戦後日本が、
「(B)靖国に祀ってやるから天皇の為に死ね」という命令、約束を否定した以上、
「(A)国の為に死んだら靖国神社に祀ってやる」という約束を、国家としては反故にして何の違和感もありません。少なくとも国家としては。
いかが?
(8)まあ世の中には、いろんな口車、手練手管、トリックスピーチがありますが、
靖国神社の国家護持は「歴史観」と無関係の「約束」だなんて、「世のため人のための豊田商事」といっているようなもんにきこえます。
「東条英機は歴史の濁流に流された可哀相な被害者だ」といって同情を買おうとするのと、どっこいどっこいですが。
歴史を自己満足風に書き換えても、生活に困らない人たちが増えてきたから仕方ないのでしょうか?
まあまあ、あなた方の文化サロンには、「あの戦争を肯定して欲しい」階級、つまり「玉砕命令で虫けらのように死んでいった」土俗日本人ではない人士、そんなバーチャル貴族だけが、きっと集まっているのでしょう。
「歴史観は問わない約束」と、
「あの大戦は、日本にとって、強いられた戦争だった」という歴史観をもつ人が、
主張している。
いったいどのような利得を求めて? いつも不思議に思います。
(そんなことをしても西岡様には大した利得はないでしょう。お医者様ですから。しかし、一度世に名が売れたひとは、再び脚光を浴びようと、利害損得抜きでムキになるのだそうですね。他の人の迷惑も顧みず。・・・ああ、これは先生のご専門分野(精神外科)の症状でした、失礼)