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(回答先: A級戦犯合祀の根拠は何処に? 投稿者 如往 日時 2005 年 7 月 12 日 12:50:03)
御意見をありがとうございました。以下に、小生の見解の続きを述べます。
私は、「自分の頭で考える」事をモットーにして居ます。
ですから、私の言う事は、他の人の言ふ事とは違ふ点が少なくないと
思ひます。その事に御留意の上、以下をお読み下さい。
私は、靖国神社問題は、「歴史観」の問題ではないと思って居ます。
何故なら、戦死者を祀る事は、国の同義的義務であり、戦死者が
倒れた戦争に対する後世の評価によって、ここの義務が守られない
事が有ってはならないと、考えるからです。
即ち、戦死者が倒れた戦争の一つ一つの歴史的評価によって、戦死者が、
を祀られたり、祀られなかったりする事が有ってはいけない訳で、
国は、いかなる戦争においても、戦場に赴き、生命を失った人々の
慰霊を行なふ義務を守るべきだと、私は、考えます。
ですから、ここが、私の言ふ事が、言はゆる「保守」、「民族派」と
少々違ふ点かも知れませんが、日本の首相や天皇は、歴史観を超えて、
靖国神社に行くべきだと言ふのが、私の主張です。
つまり、あの大戦は「聖戦」だったから靖国神社に行くべきだ等と
言ふのではなく、あの大戦が、「聖戦」であろうと、「侵略」であろうと、
そうした歴史的評価を超えて、国は、戦場に駆り出し、犠牲と成った人々の
為に、戦死者を国の予算によって慰霊するべきであり、もし、それが
「違憲」とされるなら、憲法など変えればいいだけの事だと言ふのが、
私の見解です。
私には、私の歴史観が有ります。しかし、それ(私の歴史観)を述べる
前に、私が、首相も天皇も、それから衆参両院議長も最高裁判所長官も、
靖国神社に行くべきだと言ふのは、国は、かつて、戦死したら靖国神社に
祀ると言ふ約束で人々を戦場に送ったのだから、その死んだ人々と遺族
との約束を守るべきだと言ひたいからなのです。
つまり、後世の「歴史観」などによって、国が約束した事が、実行
されたりされなかったりする事が有ってはならないと言ふのが、私の
靖国問題に関する基本的な立場です。
西岡昌紀
http://blogs.yahoo.co.jp/nishiokamasanori/
(続く)