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(回答先: Re:サイパン『玉砕』、バンザイ突撃、「棄民」「棄兵」の責任を負わずに『英霊』となった恥について聞いて見てください。 投稿者 木田貴常 日時 2005 年 7 月 11 日 11:50:12)
先ず、以下に述べる事も、他の全ての場所で私が述べる意見も、
私個人の見解であり、東條由布子さんは、私の見解と何ら関係を
持たれません。その事を御承知の上で、以下をお読み下さい。
私は、靖国神社は、国によって維持されるべきだと思ひます。
そして、当然、首相や天皇、衆参両院議長、最高裁判所長官は、
靖国神社での慰霊行為に参加するべきだと思ひます。
理由は簡単で、かつて、国は、戦死したら、靖国神社に祀ると
言ふ約束の下で、国民を戦地に駆り出したからです。
国が戦死者を祀ると約束し、その場所として靖国神社を
約束したのだから、その約束は守るべきです。
ですから、ここが重要ですが、これは、約束の問題であって、
歴史観の問題ではないのです。
即ち、国が、戦死者を靖国神社で祀る事は、歴史観に基いて
祀るか祀らないかを決める事ではなく、あの戦争が「聖戦」で
あろうが「侵略」であろうが、国の国民に対する約束として、
守られるべきだ、と言うのが私の立場です。
靖国神社に関する宗教的、文化的問題も、国が靖国神社で
戦死者を祀る事を否定する理由には成りません。靖国神社の
過去の歩みや明治以降の神道に関する議論は全く自由であり、
私自身、個人としては、靖国神社と言う神社を盲目的に美化
する立場では毛頭有りませんが、それも、首相や天皇が靖国神社
に行くべきかと言う問題とは無関係です。即ち、約束したの
だから、行くべきなのです。
靖国神社の在り方について、議論されるべき事は多々有ると思ひますが、
約束は約束です。靖国神社で戦死者を祀ると約束して、国民を戦地に
駆り出した国が、その約束を反故にする事は、同義的には、
国が、軍人恩給を払うと言って戦地に駆り出した兵士に軍事恩給を
払わない事に等しい事だと、私は、思ひます。