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(回答先: ロンドン同時テロ 平静保つ「英国人魂」 大戦で培われた精神、今も (産経新聞) 投稿者 愚民党 日時 2005 年 7 月 10 日 05:19:29)
紛争処理の役割衰退 一定成果も政治色薄く
【グレンイーグルズ=樫山幸夫】サミットは、地球温暖化対策、アフリカ支援など主要議題で一定の成果を上げた。しかし、テロ対策を除けば、政治色の薄いサミットであったことは否定できない。本来のサミットに戻ったという見方も可能だが、半面、これによってサミットがある時期担っていた世界における紛争処理の役割が衰退してしまったことも否定できない。サミットが地域紛争解決に力を発揮する日は再び来るか。
一九九九年のドイツ・ケルンのサミット。紛争処理機関として存在感を示したのは、このときだった。コソボ紛争の直後で、この事後処理が大きなテーマだったが、議長であるドイツのシュレーダー首相の肝いりで、サミット開会前から外相会談、政務局長会談を頻繁に開き、日本を含めてサミット主導による解決をめざして努力を傾注した。
結果的には米軍による武力介入という事態にはなったが、紛争処理機能が、本来そうした役割を果たしている国連安全保障理事会からサミットの手に移るのではないか−と各国の目に映った。事実、ケルン・サミットに出席した当時の小渕恵三首相は、「サミットに“常設紛争処理機関”としての能力を持たせてはどうか」と提案したほどだった。
しかし、発案者である日本で翌年開かれた沖縄サミットでは、小渕氏の直前の急死などという不幸な事態もあったにせよ、緊急の政治問題が少なかったこともあって、地域紛争に力を発揮することはできなかった。
二〇〇二年、米中枢同時テロの翌年に開かれたカナナスキス(カナダ)・サミット以降、テロ対策、そしてイラク問題など久々に政治問題がテーマとなったが、テロ対策はともかく、イラク問題をめぐっては、米国と欧州の立場の違いが大きかっただけに、それだけがクローズアップされ、建設的な議論を展開するにはいたらなかった。
今回のサミットでも、確かにテロ対策はじめ、北朝鮮、イランの核問題など政治問題も協議されたが、深みにかける印象はぬぐえなかった。
「北朝鮮の核問題にしても、せっかく、中国の胡錦濤国家主席が出席したのだから、北朝鮮に関する特別セッションを開くくらいのことがあってもよかったのではないか。イラン問題でもそうだ」(ワシントンの外交筋)という見方は少なくない。
時あたかも、国連安全保障理事会の改革が論議されているが、日本の常任理事国入りには厚い壁が立ちはだかっている。そうしたなか、サミットが紛争処理機能を回復すれば、「日本にとって常任理事国入りせずに国際的な発言力を高める大きな機会となるだろう」(同)という指摘もなされている。
http://www.sankei.co.jp/news/morning/10pol002.htm