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(回答先: 05/16 19:06 死者7百人超か ウズベク、東部一帯で暴動 キルギスに2千人越境 共同 投稿者 倉田佳典 日時 2005 年 5 月 16 日 20:40:32)
軍事・諜報ニュース−ウズベクの「アクロミヤ」とは何か?(2005/05/16)
○ウズベクの「アクロミヤ」とは何か?
ロスバルト通信社の情報によれば、「アクロミヤ」運動は、宗教的にも、
世俗的にも刷新と浄化を訴える青年団として、既に1990年代中盤に生まれた。
15年後、青年は成長した。一部は、ビジネスに去った上に、非常に成功した。
一部は、信仰とイスラム抵抗運動、「ヒズブ-ウト・タフリル」、並びに
ウズベキスタン・イスラム運動に去った。ミニ政党「アクロミヤ」の設立者かつ
党首ユルダシェフは、以前に逮捕され、投獄されている。「アクロミヤ」と
いうような「政党」自体は、1990年代初め〜中盤、フェルガナ峡谷に複数存在し、
活動の徴候は、最近までほとんど発見されなかった。
「アクロミヤ」を一義的にイスラム過激集団/セクトとして分類することは
できない。これは、明らかな単純化である。ここでの事件は、より複雑である。
「アクロミヤ」は、宗教・氏族機構である公算が大きく、その抵抗は、大部分、
カリモフ体制とその代官(ホキム)、言い換えれば、「サマルカンド氏族」の
専横に向けられた。勿論、煽動には、イスラムの構成要素もあったが、これは、
主要要素ではなく、ましてや、「暴発」の原因でもない。
http://www.emaga.com/bn/?2005050054504494001068.intelljp