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(回答先: 寺田学氏「平和主義貫徹こそが、日本の生きる道であり、日本の行く末を握る根幹である」 投稿者 下戸彩 日時 2005 年 9 月 19 日 20:40:37)
http://www.manabu.jp/current_event/050507.html
■改憲論議について 2005/05/07
今年も憲法記念日を機会に、
憲法に関する考えを述べてみたい。
今年の憲法記念日における報道各誌の様子をみてみると、
改憲論議は進んでいるように思う。
昨年は、「護憲か改憲か」を問う二分論が大半だったが、
確かに今年は「憲法のどの分野が改正の余地があるか」の具体論に入っている。
この一年、改憲論議が進んだことは事実であるが、
永田町の一員である私の考えは、その流れに反し停滞している。
私の結論を簡単に述べる。
依然として「憲法は改正しなくていい」と考えている。
その考えは、昨年よりも増して強まった。
(昨年の日記:
http://www.manabu.jp/diary/index.php?20040506)
一般的な原理として、
物事を変える際には理由が必要となる。
さて、
現在永田町を席巻している「改憲」の理由とは如何なるものか。
以下、代表的な理由を列挙するが、
すべての理由において、心底納得出来るものがない。
なんとなく。。。ぐらいの理由では憲法は変えることが出来ない。
そう思うのだ。
まず、
「現行憲法はアメリカに押し付けられたものだ、だから自分達で創るのだ」
との意見が昨年に増して多い。
この自主憲法制定を改憲の理由としてあげる人は、
特に自民党で多い(党是であるから当然の事かもしれないが)。
現に、安倍晋三氏も毎日新聞のインタビューの中で、
「日本人が初めて議論して、国民の代表が草案につい論争を戦わせ、
それを憲法に書き上げていく。それが新しい憲法の意義だ。
中身よりも、むしろその意義のほうが大きいと思う」と答えている。
確かに自主憲法を作り上げることは、立派であり、
国民の高揚感を湧き上がらせる手段ではあるだろう。
だが、私は賛同できない。
憲法改正はお祭り等のイベントの類ではない。
国家権力を如何に制限していくかを規定するのが憲法であり、
それを改正することは、間接的に国民生活に多大な影響を与える。
その憲法改正をイベントのように扱い、
精神論だけで盛り上げていくことに大きな虚無感と恐怖感を覚える。
憲法前文のような抽象論だけならまだしも、
本文をそのような態度で臨まれるのはいかがなものか。
「自主憲法制定の意義より、中身が大事」と私は思う。
次に、
「現憲法は現実に合っていない」との声がある。
これにも違和感を感じる。
少し冷静に考えてみたいのだが、
そこでいう「現実」とはなんだろうか。
安全保障を例にとって考えてみると、
その「現実」とは、
憲法が障害となって、果たすことの出来ない領域のことであろう。
その領域がどれ程のものかは、未知であるが、
イラクへの自衛隊派遣の程度では止まらず、
日本により一層、海外における武力活動を行わせる領域であるのは確かだ。
とすれば、
イラクの自衛隊派遣を「憲法違反」として反対した人ならは、
その改憲によって多少スッキリ(論理性において)するだろうが、
それ以外の、日本の海外における武力行使に対し抑制的に考えてきた人は、
この「現実」にあわせる改憲は、強い違和感を持つ将来を招くことになる。
「環境権などの新しい権利が明記されていない」
そのような声も聞こえる。
確かに、現憲法には環境権やプライバシー権の規定はない。
その点は認める。
だが、規定がないからと言って、不便なことがあるだろうか。
現状においても、環境権やプライバシー権は司法の場において、
非常に重要な発想として取り扱われているし、
プライバシー権に立脚した判決も幾度と無く下されている。
新憲法に盛り込むメリットはないわけではないが、
盛り込まないことで生まれるデメリットも少ないのではないか。
「軍隊は持たないと憲法9条で謳っているのに、自衛隊が存在するではないか」
この論点は旧来から言われている。
確かに、不可解かもしれない。
だが、
国である以上、自国を防衛するのは当然の義務であり、
その一手段として防衛力を保持する事に違和感は無い。
いわば、自衛隊の存在は当然の範囲内と言っても過言ではないだろう。
よって、自衛隊が実在することは違憲とは言えない。
「だって、軍隊は持たないと言っているのではないか」と、
ある種、憲法の文言を言葉通りに捉え、違和感を持つ人がいるかもしれない。
文言整合性の論点がある。
だが、文言整合性を追及すれば、他の条文も大きな問題を持つ事になる。
例えば、「表現の自由」だ。
文言上無制限に表現の自由は認められているが、
前述のプライバシー権との関係では、制限の対象となる。
憲法には同様の事例が多々ある。
その中で、
9条のみが文言に忠実に解釈されなければならないのか、
いささか不思議に思う。
(詳しくは長谷部恭男教授の考えを参考にされたい)
「憲法がボンヤリした記述で記されているのが問題なのだ」との声もある。
もちろん、解釈のみで改憲の役割を果たすのは認めないが、
解釈の範囲で柔軟に対応するのは容認したい。
そもそも憲法は国家権力を抑制する基本理念であり、
細部まで書き記す事は不可能で、
もし細部まで書き記すのであれば、
頻繁に憲法改正という大事業を行う必要が出てくる。
よって、
解釈により、基本路線を保持しつつ、環境変化に合わせて対応するほうが、
国家としての安定性、ひいては国民の安心感を呼び起こすものと考える。
改憲の理由として挙げらている代表的なものを、
以上ピックアップし、自分の考えを記してみた。
一々反論してきたとおり、どうも改憲理由がしっくりこない。
だからこそ、どうも永田町で流行の改憲論議に注力出来ない。
そもそも、
国家権力を抑制するために憲法は存在する。
その憲法を変える論議を、
権力側の国会が躍起になって議論している現実に違和感を持ってしまう。
一義的には国会が改正論議を盛り上げるべきだが、
国民が関心を持たない現状で、推し進める事は賛成できない。
改憲論議を通じて、
それら必要な改正論点を議論し、
国民的関心を呼び起こすのは一つの手段であるが、
「内容よりも変えること自体が大事だ!」と主張する輩が大勢いる中で、
改正論議を行う事は、決して望んだ実質的論議は出来ないだろう。
やはり、
致命的な欠陥がないのであれば、そして、
現憲法が叩かれながらも充分機能しているのであれば、
そのままでもいいではないか。そう、単純に思ってしまうのだ。
よって、
私は昨年に引き続き「護憲」である。
いや、「護憲」という言葉はイデオロギーのニオイがして避けたいので、
「維持憲」とでも言おうか。
改憲したい人の気持ちも十二分にわかる。
要は順番の問題であると考えている。
「改憲ありき」の発想にはついていけないのだ。
問題点があるから、改憲しようというなら賛同したいのだが。
私は厳密な意味で、改憲論議に参加していないわけではない。
国会の仕組みは現状のままで良いのか、
地方自治の形は(道州制を含む)。
参院の役割とは。。。
それら統治機構に関する論点について、党内で話し合っている。
この論議は、場合によっては改憲に繋がるのだ。
今後私は、憲法改正を論議するのではなく、
地方分権や国会改革、安全保障政策等の個別論点を
丹念に議論していくことに注力したい。
そのような行動は、永田町で出来つつある改憲ムードの中で、
少々取り残された感が漂う。
だがそれは、今日本が抱える難題を解決する方向性を示すと共に、
やみくもに進む改憲論議に、実効性を植えつける役割も果たすはずだ。
そのような形で憲法論議に参加していきたい。
地味であるが、必ず役に立つと信じている。
以上が私の考えである。
昨年と大差ない考えだ。進展が無いことの良し悪しはわからないが、
引き続き冷静に、落ち着いて憲法と付き合っていきたい。
さて、
来年の憲法記念日、
私は何を思っているのだろうか。
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