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(回答先: これだけ似ている小泉とヒトラ― 投稿者 黄昏時のパルチザン兵士 日時 2005 年 9 月 13 日 20:15:44)
□アドルフ・ヒトラー『わが闘争』から
http://members.at.infoseek.co.jp/hitler/studies/MeinKampf.htm
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○大衆へのプロパガンダについて
”いかなる宣伝も大衆の好まれるものでなければならず、その知的水準は宣伝の対象相手となる大衆のうちの最低レベルの人々が理解できるように調整されねばならない。それだけでなく、獲得すべき大衆の数が多くなるにつれ、宣伝の純粋の知的程度はますます低く抑えねばならない。
”大衆の受容能力はきわめて狭量であり、理解力は小さい代わりに忘却力は大きい。この事実からすれば、全ての効果的な宣伝は、要点をできるだけしぼり、それをスローガンのように継続しなければならない。この原則を犠牲にして、様々なことを取り入れようとするなら、宣伝の効果はたちまち消え失せる。というのは、大衆に提供された素材を消化することも記憶することもできないからである。
”大衆の圧倒的多数は、冷静な熟慮でなく、むしろ感情的な感覚で考えや行動を決めるという、女性的な素質と態度の持ち主である。だが、この感情は複雑なものではなく、非常に単純で閉鎖的なものなのだ。そこには、物事の差異を識別するのではなく、肯定か否定か、愛か憎しみか、正義か悪か、真実か嘘かだけが存在するのであり、半分は正しく、半分は違うなどということは決してあり得ないのである。
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○宣伝の効果について
”この世界における最も偉大な変革は、決してガチョウの羽ペンでは導かれなかった。宗教的・政治的たぐいの偉大な歴史的雪崩をひきおこした力は、大昔から語られる言葉の魔力であった。た
○指導者の資質について
”偉大な理論家が偉大な指導者であることは稀で、むしろ扇動者の方が指導者に向いているだろう。指導者であるということは大衆を動かしうるということだからである。
”彼らは純粋の文筆活動だけに没頭し、演説によって実際に扇動的に活動することを諦めているからである。だが、こういうい慣習は時がたつにつれて、今日わがブルジョアジーを特徴づけているもの、すなわち大衆への働きかけと、大衆への影響に対する心理的本能の喪失に導くに違いない。
”立派な演説家は−文筆家が常に弁論術を練習しない限り−立派な文筆家が演説する以上にうまく書くことができる。
○知性と感情
”一定の傾向をもった書物は、たいていは以前からこの傾向に属している人が読むだけである。
”ここでは人間はもはや知性を働かせる必要はない。眺めたり、せいぜいまったく短い文章を読んだりすることで満足している。それゆえ、多くのものは、相当に長い文章を読むよりも、むしろ具体的な表現を受け入れる用意ができているのである。
”誤った概念や良からぬ知識と言うものは、啓蒙にすることによって除去することができる。だが、感情からする反抗は断じてできない。ただ、神秘的な力に訴えることだけが、ここでは効果があるのである。
○演説について
”同じ講演、同じ演説家、同じ演題でも午前10時と午後3時や晩とでは、その効果は全く異なっている。良く知られている大演説家の演説もただちに印刷されるてのを見ると、往々にして幻滅を感じる、とそこで確認されてもいるのである。
”ロイド・ジョージが、その天才において優れているのは、演説において民衆の心を自分に向って開き、ついに民衆を完全に自分の思うままに動かした、その形式や表現に示されている。その言葉の質朴さ、その表現の形式の独創性、さらにわかりやすい最も簡単な例を用いることこそ、このイギリス人のすぐれた政治能力があることを示す。
”民衆に対する政治家の演説というものは、わたしは大学教授に与える印象によって計るのではなく、民衆に及ぼす効果によって計るのである。
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