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(回答先: カミソリ後藤田氏逝く ひっそり密葬─「スポニチ」 投稿者 天木ファン 日時 2005 年 9 月 22 日 10:02:38)
後藤田正晴氏、死去
91歳 異名「カミソリ」元副総理
抜群の情報収集力と的確な判断力から「カミソリ」の異名で知られる一方、護憲派の論客でもあった後藤田正晴(ごとうだ・まさはる)元副総理が十九日午後八時五十三分、肺炎のため都内の順天堂医院で死去した。九十一歳だった。徳島県出身。密葬は親族のみで執り行われた。「お別れの会」を東京、徳島で行うが日取りなどは未定。喪主は妻松子(まつこ)さん。
後藤田氏の秘書によると、今年八月にエックス線検査で肺に異常が見つかったため入院、その後は一進一退だった。事務所関係者によると、これまで死去を公表しなかったのは「故人の遺志」によるものという。
東大法学部卒業後、旧内務省入り。一九七二年には警察庁長官として連合赤軍あさま山荘事件の解決を指揮した。退官後、田中角栄首相に請われて官房副長官に就任。七六年衆院選で旧徳島全県区で初当選し、豊富な官僚経験から田中氏の「知恵袋」として重用された。
中曽根内閣では官房長官に抜てきされ、危機管理のスペシャリストとして大韓航空機撃墜事件の処理などで手腕を発揮。八九年にはリクルート事件を受け、竹下登首相(当時)の強い要請で自民党政治改革委員長に就任、衆院選挙制度改革を目指した政治改革大綱をまとめるなど政治改革推進派の重鎮として活躍。九三年に宮沢内閣で副総理に就任した。九六年に政界を引退した。
官房長官当時からこわもてイメージが強かったが、護憲派の論客としても知られ、八七年にペルシャ湾への海上自衛隊の掃海艇派遣を主張する中曽根康弘首相に閣僚ポストを懸けて抵抗、派遣を阻止したことがある。
引退後もイラクへの自衛隊派遣に反対、自民党内の憲法改正論議には懸念を示した。
http://www.chunichi.co.jp/00/sei/20050921/eve_____sei_____005.shtml
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