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(回答先: 政治の役目とは弱者対策に尽きると思う。 投稿者 まさちゃん 日時 2005 年 9 月 09 日 13:18:33)
まさちゃん、どうもです。
お気持ちはわかるつもりですし共感もしています
共産党や社民党そしてこの阿修羅でも散見できる「弱者」を軸足に置いた政策判断を誤りや悪だとは思っていません。
しかし、近代世界の関係性に置かれた国民国家が、それ故に発生する「弱者」への気配りに注力してしまえば、その国家に属する多くのひとが“弱者”(国際比較)になってしまいます。(国際競争力の劣化:近代の革命を志向する政治勢力なら、そのような推移を望んでもそれほど非難をしません)
共産党や社民党さらにはリベラルなひとの“欠点”は、そのような視点が欠落していることにあると思っています。
政治課題としての「弱者」に赤ん坊や老人の一般性としての特性を持ち込むことには賛同できません。
それは政治の課題ではなく家族の課題であり、政治が課題とすべきは、そのような家族の課題を実行不能にしないようにすることでなければなりません。
家族が面倒を見ることができない赤ん坊や老人を国家がお金を使ってそこそこのレベルで面倒を見ることは、政治を通じてすべての国民が負うべき最低限の義務だと考えています。
これまでの投稿でご理解いただいているとは思いますが、「弱者」を少なくすることが「強者」にとっても長期的な利益になることをきちんと説明する努力が行われていないと考えています。
どうでもいいことですが、堀江氏の考え方は、ルックスの弱点はお金で補える(お金のボリューム次第では補うだけではなく引力にさえなる)ものであり、人徳がなくてもお金を出し惜しみしなければ人は寄ってくるというものだと推察しています。
「彼をしても弱者であることからは逃れられない定めなのだ」は、哲学的には了解しますが、政治的弱者論をおかしくする考え方だと思っています。
堀江氏は、死すべき存在である人はそこにおいて決定的に弱者である、しかし、生きているあいだを面白く楽しく過ごす力はお金にある、そのお金を才覚と努力でより多く獲得した人はひとより“満足”できる人生を送る権利があると考えているのではないでしょうか。
堀江氏と同じ考え方を持っている人が多いとは思っていませんが、それはそうかもしれないと考える人が増えてきたことが現在の政治状況を創り出していると思っています。
※ 議論板でいただいている疑問は、それ以降の投稿でそれなりに回答していると思っているので申し訳ありませんが省略させていただきます。
※ 10日間ほど阿修羅にはアクセスできません。申し訳ありませんが、以降のレスはそれ以降になります。
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