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投稿者 ×× 日時 2005 年 8 月 30 日 04:29:04: QVkkDEqqKcOUw
 

(回答先: 徹底googleのおかげでわかりました 投稿者 ×× 日時 2005 年 8 月 30 日 03:54:41)

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8/10:弁明書  8月10日  記
今日が提出期限の「弁明書」だが、ホットイテもいい話だが、私は党に訴える思いで「弁明書」を記した。それでどうなる訳でもないが、執行部からの要求だから・・・・
弁明書
私は自民党を愛し、小泉改革を支援し、党に於いての広報本部長として「小泉自民党」に如何に国民世論を指示させるか、あらゆる手法を駆使して、努力して参りました。この弁明書は、政治倫理審査会が提出先であることに抵抗感はありますが、以下、私の所信を記させていただきます。
私は、郵政大臣を拝命し、国・地方の行革の嵐の中で、この機会に全国の郵便局ネットワークを育て、地方行政の代替窓口として、暮らしのサービスを積極的に推進して参りました。
小泉総理の信念に基づく郵政民営化は、それは大切なポリシーであり、いつの日かそうなるであろうことは、共有しております。
小泉内閣になって、その加速感は抱いておりましたが、総務委員会の理事の折、日本郵政公社法が上程され、総理の考え、党の考えを調整しながら、審議に臨み、晴れて、半官半民の、現日本郵政公社が誕生いたしました。
今後、郵政公社は向こう4年の経営形態を検証し、更なる前に向かっての改革を望んでおりましたが、道半ばで、4分社化法の民営化が登場し、心は動揺しました。郵政民営化への一里塚として、公社として、発足間もない、現日本郵政公社は、地域の拠点として、地域に信頼される生活の窓口として、高い評価を得ていると確信いたします。

さて、この郵政民営化法の党内手続きは、いくつか過ちがあったと思います。党議拘束が掛かっている、いないの議論もありますが、私は私の、拙速先行のやり方への、抗議と小さな信念での反対表明でもありました。採決のあの日、衆議院で青色票を投じる心は、賛否それぞれの議員に、筆舌に尽くし難い心のドラマがあったと思います。
しかし、立法府に身を置く者として、また、郵政行政に携わった人間として、山間へき地、離島で生きる人々の暮らしを思うとき、郵便も郵貯も簡保も、一体的民営化を望んでおりましたが、政府と私の隔たりは、あまりに大き過ぎたと思います。歴史文化、暮らしを大事にする自民党。改革を断行する自民党。官から民へ・・・まさしく時代の要請でしょう。今回の郵政民営化の党内議論に参加すればするほど、問題点は浮かび上がりました。そして感情論も飛び交いました。しかし、自民党は、こうした議論の果てに、最終最後はまとまるのが常でした。
この隔たりを埋めるべく、全ての議員と政府の努力が足りなかったと思います。
小泉総理の下、自民党はこれからも国民の期待に応える、優しい政党であって欲しいと思います。
これからも自民党員としての誇りと感謝を胸に抱き、地域のため東京のため、日本国のために、生ある限りこの身を賭したいと思います。
          けわしき道 されど わが道
     平成17年8月10日                 八代 英太  

8/12:一人ぼっちの坂道・・・・8月12日   記
パソコンに向かっていたら、雷鳴が轟いている。雨がベランダを叩いている。
今日も忙しかった。目前に迫った選挙準備のためだ。自民党への公認申請は、却下されるようだ。郵政民営化反対の候補者には別の候補者を擁立すると言う。
2年前、自民党と公明党との象徴的選挙協力で、都連会長として、多くの仲間からも要請されて、小泉総理を始め、党執行部からの懇請もあって、私は比例候補者となった。
「次の選挙は、必ず地元候補者として戦います!」と有権者に約束した。そのことは、確認書で両党の幹部が署名した。
小泉総理からも「ありがとう!君のお陰で、選挙協力は互いが可能になった・・・」と感謝もされた。
ひとりぼっちの苦しい急な坂道が続く・・・一人では登り切れない!いろいろな人たちが、私の許に集まって来て、さあ!八代さん!一緒にチャレンジしよう!と・・・負けないで頑張ろう!と・・・励ましてくれる。そう!頑張らねばならない。ベートーヴェンの言葉「苦しみの中から喜びが生まれる」・・・を思い出す。
まさしくこの言葉通り、喜びを掴みたい。みんなのために・・・
  「踏まれれば  尚強くなる 青き芝」

8/13:無所属の大変さ・・・8月13日   記
日本列島は帰省ラッシュだ。故郷の先祖の供養は大切なこと。夏ばて防止の長期休暇も、この時節は大切だ。平時なら、私もふるさとに帰って、先祖の墓参りをと考えていたが、それどころではない。無所属で戦わなければならない運命を恨みながらも、準備にせいを出さねばならない。ポスターのデザイン・チラシ・はがきの原稿・遊説カーの手配・ウグイス嬢さんのお願い。自民党では戦えないとしたら、その政策をどう訴えるか・・・・エトセトラ・・・事務所も配置換えを始めながら、地域の皆さんが助っ人で、ホコリまみれで頑張ってくれている。
ボランティアの申し込みも沢山来ているが、誰もかれもと言うわけにはいかない。考えてみれば、小泉総理以外、誰もこの事態を想像していなかったかもしれない。とすれば、てんてこ舞いは、みんな同じだ。全ての当事者は必死だろう。私もなんとしても、公示の日までには、準備万端の態勢を作らなければならない。
メディアの報道も、そんなどたばた振りを取り上げても居るが、主役はやはり小泉総理だ。
民主党は何処へ行ってしまったのか・・・とも思えるほど、埋没状態が続いている。
取材は日を追って多くなる。孤軍奮闘の私は、ただ頑張るだけだ。、これも運命か・・・・
今回の一連の件では、私も傷ついたが、政治とは非情なもの・・と諭されて、自らを奮い立たせている。
私は北区・足立区の皆さんから預かっている議員としての活動だった。その皆さんをひたすら信じて、私は、私の道を歩まねばならない。
夜、足立区の元木町会の盆踊りだった。招かれて参加したら、盆踊りを中止して、苦しい私に挨拶の場を与えてくれた。「私は、皆さんと一緒にこれからも喜怒哀楽を共有したい!・・」と声を掛けた。皆さんから暖かい拍手を頂いて、人の心、日頃のお付き合いの中から育んだ友情を感動しながら味わった。
そう!私は、地域の皆さんがきっと公認してくれると信じている。
北区でも、町会の皆さんが50人ほど集まってくれて、私の決意を聞いてくれた。毎日お手伝いしてくださる皆さんだ。今夜はゆっくり、全ての経過を包み隠さず話そうと、約1時間の決意講演となった。皆さんから激励の拍手をいっぱい頂いて、また新たな元気が湧き上がる。
これこそが主権は国民のお手本だ。明日も忙しい。頑張ろう。
   「提灯が 涙でかすむ 盆踊り」

8/14:挨拶回り・・・・8月14日  記
朝からテレビの生放送に出演し、いろいろな経過への質問があった。郵政民営化法案の賛成組みの桝添要一さんと小林参議員。反対派の荒井広幸君と私だった。バラエティー番組だったが、丁寧に郵政民営化法案採決の経過の説明をした。他にもデープ・スペクターさんやテリー伊藤さんもいたが、今や赤勝て、白勝ての様相を呈している。政治に関心が高まることはいいことだ。
お昼にいくつか取材があって、挨拶回りだ。日差しは暑い。車から乗ったり降りたりは大変だが、草の根選挙は慣れている。28年前、初めて参議院の全国区へチャレンジした時も真夏の選挙。しかも無所属だった。歴史は繰り返されると言うが、政治の原点・初心に戻った思いがする。挨拶回りの道中は、マイクを持ってキャンペーンとなる。水ボトルを抱えて、マイクを持って、町を走れば、人々から拍手も頂く。十条銀座では、アーケードの商店街を歩いたが、握手・激励を沢山頂く。うれしい。私は決して孤独な戦いではない。
政治は驕ってはいけない。
  「頑張れと 握るしわ手の 暖かく」

8/15:あれから60年・・・8月15日  記
あれから60年。節目の日を迎えて、いろいろな平和行事が行われていた。あれから60年。廃墟の中から日本は世界に類を見ない、大発展を遂げた。先人たちの汗と努力が富を築き上げてきた。
これからの60年。日本は何処へ行き着くのだろうか?

8/16・17・18・19:決断・迷い・そして・・・8月16・17・18・19日  記
終戦記念日の日から、新たな葛藤の幕開けとなった。東京第12選挙区から、戦わなければならないと、選挙準備は、8割がた完了し、まっしぐらに突入すべく態勢も整った。・・・・が・自民党の先輩同僚の仲間から、政権選択選挙の厳しい情勢の分析、私がこの地で戦い、自公連立政権の今後などなど、注文とアドバイスをいろいろ伺った。決断はたやすいが、愛党精神なら戦いは避けて、小泉政権への協力を・・・と、入れ替わり立ち代りの要請も受けた。公明党の太田さんと、2年前、二人三脚で勝ち取った議席の日から2年弱だ。あの時も、同じような自公連立の中で苦しんだように、今回も別の意味の苦しみが増してもいった。
愛党精神と言いながら、何故か自民党に歯向かっている自分をも見なければならなかった。
後援会、地域の人々も複雑な思いで、私の去就を見つめている。
私と民主党・共産党との戦いから、私と公明党との怨念じみた戦いに誘導されやしないか?
迷いは日を時を重ねるほど、増してもいった。
結果として民主党が利することになりはしないか・・・北区政も都議会も国政も、現実の政治は自公が要になっている。その各級議員の心にも影が生じやしないか・・・ひとりよがりの抵抗選挙でいいのか・・・・などなど、眠れない夜が続いた。
短期決戦の今回の衆議院総選挙は、日替わり、時間替りで、ドラマが推移してゆく。
私は冷静に成らなければならない。18日の北区自民党総務会で、率直に意見を聞こう。党本部の選挙担当の二階総務局長・友人の額賀前政調会長にも出席を願って、今回の選挙の意味、自公連立の現状認識を、総務会で説明を求め、全ての人の愛党精神の総務の人々と、私の取るべき道を聞いて欲しいとお願いした。
15時からの総務会では、戦うべし!連立を大事にすべし!八代が自民党の議員として再度活躍できるよう道はないのか?・・など発言は噴出した。
みんな、過酷な私の戦いに、心配と不安と今後への期待を吐露してくれた。
私は、私の決断にゆだねるとの決定を受けて、緊急に選挙幹部会を開き、夕方5時半に党本部を訪ねた。
武部幹事長・安倍幹事長代理・保坂都連会長代理・内田前都議会議長・二階総務局長・額賀前政調会長の前で「私の愛党精神は、変わらない。私が突進することで民主党を利することは明らかだ。自公連立は信義の要だ。苦悩したが、出馬は断念する」・・・こみ上げるものを抑えて、私は決断の報告をした。
後は、今日のマスコミ報道通りだ。この選挙は、天下分け目の戦いだろう。連立与党は勝たねばならないだろう。民主党政権は国民に混乱と不幸を招く。
今日19日。小泉総理から電話が掛かってきた。夕方会いたい。・・・とのお言葉だった。
総理官邸に17時半。総理が私を迎えて、苦渋の決断への謝意を述べられた。
私が広報本部長として、小泉改革の広報戦略のエピソードを語り合い、今後も福祉は自民党だと、力を貸して欲しいと要請をもされた。
そう、自民党が福祉政党になるために、私は励んだ。多くの法案を任されても来た。出馬断念は、複雑な思いもからむが、引きつずき福祉の自民党であって欲しい。
事務所の電話は鳴りっぱなしだ。全ての人に、この経過の説明は余りに長い言葉を要する。
  「けわしき道、されどわが道」だが、人生は
「身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあり」・・・・だ。

8/20:説明・釈明・お詫び・・・8月20日   記す。
少しばかり、落ち着きは取り戻すことが出来た。昨日総理に招かれて首相官邸に出向き、長年の私の福祉に賭ける情熱を評価してくれた。郵政法案では、総理とぶっつかってしまったが、私のライフワークの福祉に、高い評価を頂いて感激した。怒ったり感激したり、私は単細胞な人間だと思う。だから人間なのかもしれない。
車を走らせ、電話を使って、今回の出馬辞退の説明・釈明・お詫びを申し上げている。
叱られたり、理解を下さったり、声はいろいろだが、みんな政治の混乱は望んでいない。
朝は10時から、紀州神社の秋の祭事の儀式が神社の本殿で開かれて、私も厳粛な気持ちでご守護を祈願した。
人間は迷うことが多い。人間は喜怒哀楽の中で、アクセルを吹かしたり、ブレーキを掛けたり、心の葛藤は続くものだ。ご挨拶の折に私は「迷い道  神のご守護に  身をまかせ」と、一句奉納させていただいた。
空は青く、日差しは強く、この中での総選挙は大変だと思う。国会議員になって、28年。長い長い議会活動だった。政治は暮らしの全てだ。まだまだ元気であれば、政治活動も福祉活動も、この地でしっかり頑張りたいと思う。
国の政権が自公連立である以上、協力し合う事は仕方ない。ていたらくな民主党や共産党に、暮らしを任せることが出来るものではない。
どう批判されようと、国の命運を決める総選挙であれば、私心は捨てなくてはならない。
政治の節目、節目をくぐってきた私だ。
本音と建前の混同した民主党に、是非与党は勝利して欲しい。
   「汗拭う お詫び行脚に 蝉も鳴く」

8/24:回って・回って・回って・・・8月24日  まとめて記す。
ホームページ日記を2・3日、すっかり書き損ねてしまっていた。そうすると、全国の仲間からどうしたのか?体の具合でも悪いのか?と心配の連絡が入る。
あの出馬断念記者会見から、明日で一週間になる。総選挙の候補者フィーバーも静かになって、あと一週間足らずで、総選挙の公示の日を迎える。
私は、テレビの出演依頼や、取材記者さんの取材申し込みは、申し訳ないが遠慮して、今は、地域の皆さんに、個別に説明と、ご了解行脚を続けている。この地域の代表は、やはり国の連立のように、自公が中心であり、区政・都政・国政は一体的に責任を果たしている。
だからこそ、私は大きな重い決断をした。当初は、何故?戦えよ!の声が多かったが、今は支持者の方々も、冷静になって、大きな決断だったね!さすがだね!とお褒めの言葉をかけてくれる。
政治は一寸先はわからない。台本の無いドラマだ。
私は今後も、地域のために貢献したいし、ライフワークの福祉には積極的に取り組みたいと思っている。私の大きな決断は、きっと自民党は理解してくれる日が来る・・・・と確信している。
私が、党広報本部長の折に作製した「この国を想い、この国を創る」のポスターが私のパソコンの前に張ってある。
そう!この国を思えばこそ、選挙で与党が混乱し、民主党に漁夫の利を与えてはならない。
そう!この国を創るためにも、引き続き自民党が政権を担当しなければならない。
   「晴れやかに  笑顔戻りて  軒くぐる」 # by yashiro-eita | 2005-08-24

8/29:公示前最後の日記   8月29日  記す
明日から12日間の激しい選挙戦に、わが身を投じなければならない。18日の出馬断念の表明から10日間。なんと勿体無い日時であったことか・・・・こんな風に約束が蹴飛ばされることがわかっていたら、もっと区民と語り合えたものを・・・準備も万全を期せたものを・・・自民党執行部の甘言に乗ってしまった自らを恥じる思いだ。
もう悔やむまい!明日からは、厳しい戦い、遅れを取り戻す戦いが待ち受けている。
スタッフが昨日の出馬会見から、火の玉となって、徹夜の準備をしてくれた。感謝の言葉も見つからないほどうれしい!感激だ。
私のために、みんなが頑張ってくれている。この頑張りを明日から私が引き継いで、北区足立区を遊説しなければならない。
無所属の選挙戦は限られた範囲での選挙になるが、マイク一本あればそれで良し!の思いで走り続けたいと思う。
今日は記者会見の後、党本部に向かい、武部幹事長に離党届を提出した。安倍さんも居た。二階さんも待っていてくれた。「お世話になりました。思い出が一杯の党本部です。再び、ここで会いたいと思います。ありがとうございました・・・」なんでこんな風になってしまったのか。散りじりバラバラ・・・同じ同士が仲間が、生死を賭けた戦いに入った。迎え撃つ人も、飛び込んだ人も、心にどんな思いがあるだろう。
私のところは、幸いにして、自民党同士の戦いではない。敵は、民主党であり、公明党であり、共産党だ。
4人の中で、ただ一人が勝ち残って笑うことが出来る。
25%の確率の勝負だ。負けられない。勝たねばならない。
公選法によって、選挙中は記述はできない。今夜を以って、しばらくお休みとなる。
   「厳しさを  乗せて坂道  車椅子」
# by yashiro-eita | 2005-08-29 23:35 | 日記 | Trackback(1)

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