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ところで富山湾といえば米騒動発祥の地です 【富山和子】
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投稿者 愚民党 日時 2005 年 8 月 22 日 05:29:24: ogcGl0q1DMbpk
 

(回答先: 富山 公示へ動き活発化 街頭PR後援会役員会国政報告会… 【読売新聞】 投稿者 愚民党 日時 2005 年 8 月 22 日 05:21:09)

http://www.mizu.gr.jp/kenkyu/toyama5/t_rep5_5.html


富山 ところで富山湾といえば米騒動発祥の地です。米騒動はなんで海と関係があるのでしょうか。

井本 有名な米騒動、つまり大正の米騒動の以前に、一般に食糧騒擾といわれるものが近世に、商売が盛んになってくると出てきます。

 商品経済の成長の中で貧しい階層が分離されて出てくる一方で、基本消費財である穀物などが商品となり、価格が投機的に変動するようになるからです。北前船は米を主要商品の一つにするのですから、北陸では、北前船が盛んになってくる宝暦の時代から米騒動が頻繁におこるようになります。しかし、これは北前船と直接のつながりがあるということではありません。万人の命にかかわる基本消費財である食糧、ことに穀物を投機的な商品にして、その価値変動を抑えられないという、その時代の社会の構造に原因があるのです。近世後半から近代前半にかけての日本はそうでした。

 大きく分けると米騒動に二種類ありまして、一つは、大消費地帯で起きるもの。例えば、江戸や大坂の米騒動。これは純粋に消費地へ輸出した連中が、それを売るときに高く売るために起こる移入地帯型の米騒動です。大坂や江戸、そこへ入る主要街道沿いの都市に多いものです。

 ところが、日本海側で起こるものは、持ち出されるのを見せつけられるので騒ぐ移出地帯型の米騒動です。

 この型は、近世においては加賀と越前でも三国辺りまで、そこら辺が一つの中心、もう一つは新潟、佐渡あたりが中心。それからこれは面白いのですけれども山形盆地の最上川沿岸が一つ。大石田中心ですね。近世の移出地帯型米騒動はそういう所ですね。それから、細かく見れば東北の北上川沿い、九州の筑後川沿岸にもあるのですね。

 地方ではだいたい移出地帯型と言えます。ただ、これも地域の大筋として言うことで、そのような地域の中にあっても、金沢や富山・盛岡などの城下町の中心都市は消費人口が集中していますから、その都市だけで見れば消費地型と言えるのです。

 北陸の米騒動は明治になると富山が中心になる。実は、加賀藩の実高百二十万石といった米の五十数パーセントは越中の米で、能登が二十五パーセント位。つまり、加賀自身の米というのは多くはなかったのです。それを取っていって、金沢城下で殿様に気に入られている特権商人たちが宮腰、つまり金石辺りから積み出す。そういうことで金沢と加賀は近世米騒動の中心だったのです。

 ところが、その米が廃藩置県で富山県へ戻ってくるわけですね。そうすると、富山の地主が海岸地帯の商売人と提携して、海岸線から運び出すものを氷見・伏木から泊までの海岸都市の庶民が見せつけられるわけです。ですから、明治になると俄然富山湾沿岸の米騒動が発生してくるのです。それ以前は、富山県の米騒動は大したことはなかったのです。

富山 水橋に行くと海岸に、米騒動発祥の記念碑が立っています。井本水橋では近世にもあったらしいのですが、多くなるのは明治からです。特に東水橋です。

犬島 いわゆる日本列島全体を揺るがす大事件としての米騒動の一番最初は水橋だというのが説ですね。

井本 それは一九一八年(大正七年)の米騒動のことです。時代によって発生中心が動くのです。明治の前半に最も激しかったのは県西半の高岡・伏木と、その周辺の新湊(昔の放生津)、石動(今の小谷部市の核)などです。もちろん富山市など県東もありました。

犬島 岩瀬にもありましたから。

井本 そうです。水橋、魚津、滑川や生地でもありました。そして明治後半には県東半、ことに海岸都市に偏ってきて魚津が中心になりますが、大正七

 年の米騒動の時には、もう中心が水橋・滑川に移っています。最初に始まったのは東水橋、最大になったの滑川で、全国化したのも水橋・滑川のそれが伝えられたからで、魚津からではありません。

犬島 日常茶飯のように起きているのです。

井本 北陸には、関西へ運ぶにせよ、北海道へ運ぶにせよ、はっきりいって米しか商売はないのです。ワラ製品は持ち出せる。けれども関西の様に菜種をつくるとか、綿をつくるとか、そういう付加価値の高い商品開発がない。特に、加賀藩は米をもっぱら作らせて売った。それが北前船を栄えはさせたけれども、陸上の産業としては米以外のものはできなくなった。米しかないのに、その米を売るのを見せつけられて、米騒動が起きる。

富山 見せつけられたのはどういう人たちですか。

井本 米を積み出す海岸線の連中が見せつけられるわけです。内陸でも集散地、例えば上市だとか、五百石だとかに、岩瀬や水橋へ持ち出す仲介業者がいる。そういう在郷町の米問屋へ押し掛けた。

富山 押し掛けるのは一般の人ですか。

井本 町の庶民、つまり米の生産者でなくて消費者です。

富山 農民ではなくて。

井本 農民が騒ぐのは、飢饉や不作の年の秋から暮れにかけてで、年貢や小作料を減らしてくれという形でした。



富山 つまり、米騒動は一揆とは違うわけですね。

井本 農民一揆、つまり生産者の一揆ではありません。あえて言えば消費者の一揆です。だから季節的も違うわけです。都市の連中は、米の値の上がる端境期に騒ぐ。

富山 女性が中心になったというのは、どういう理由ですか。

井本 海浜の男たちはカムチャツカや北海道へ出稼ぎ漁業者として、あるいは汽船の海運労働者として連れ出されている。

財布の一切を任されていて、鼻息は荒いし強い女たち。米の値段が上がる時には、彼女たちが戦うよりほかない。男はいない。男が帰ってきても「やっと北海道・樺太から帰ってきたのだから寝させてくれ」とか、「女のやることだ」と初めは逃げる。しかし騒ぎが大きくなると出てきます。

富山 米騒動の始まりは女性たち。

犬島 はい。浜のおっかちゃんたちです。

井本 特に浜のほうは女性です。しかしたとえば富山市とか高岡市のような都市部では男性が増えます。高岡の明治二三年の米騒動では男性の大集団が打ち毀す、火をかけるで、高岡の米商会所に集まる米商たちの家を軒並み壊しました。投機的な売り買いや輸出で庶民の迷惑を省みない、と平生からにらんでいる連中を打ち壊すわけです。しかしそれは大きな都市の場合です。浜と違って。

富山 浜のおっかちゃんたちとは、漁民のお母さんたちですね。

井本 層としてはそうですが、明治も日露戦争後になると別の要素が加わってきます。

日露戦争後、ポーツマス条約で有利な条件を獲得した北洋漁業が盛んになって、その基地である北海道・樺太・千島へ、移住を含めて男がどんどん出てからっぽになり、富山湾沿岸都市の人口が減るわけです。その時に、女たちが今度は仲せ(注11)として働かざるを得ない。彼女ら自身が労働者になるわけです。

土地柄は古くさいのですよ。地元では地主や網元が抑えている。だから格好を見ていると古くさいのだけれども、実は海運労働者、出稼ぎ労働者の奥さん。しかも女性自身が米や北海道魚肥を担ぐ荷役労働者になる。そういう女性仲士が生まれてくる町というのは余り大きな町ではないのです。魚津になるとかなり大きいので、まだ男手があるのです。ところが、水橋とか滑川になると女が働くよりほかない。ですか

ら、女の仲仕というのが出てきた水橋・滑川で、大正の米騒動は一番激化したわけです。

今もそうですが、労働組合が騒がなければ賃金アップしない。米の値段が上がっているのに、自分たちが担ぐ賃金は据え置き。結果としてはそれをアップさせることができたわけですが、そこは意識的な労働組合ではないので、まず値の上がる米の積み出しをストップさせる。彼女たちは理屈でやっているわけではないのですから。

富山 打ち壊しではなく、要するにストライキなんですね。

井本 破壊的なことはやりませんよ。米の積み出し阻止の集団行動です。その範囲で水橋から向こうの東では露骨な積み出し阻止です。

というのは、東海側から財閥系汽船会社が入ってきて、それに米肥という荷を奪われて、岩瀬など北前商人たちは主に北洋漁業者に転身し、米を大量には積み出さなくなっていました。ところが船持ちが少なかった水橋より東の海岸都市では、商人が米の輸出自身を中心的な商いにして、海岸線に汽船を呼びつけ、はしけで盛んに積み込むようになりました。だから水橋以東で米騒動は大きくなりましたが、岩瀬では大きくなりませんでした。

犬島 畠山さんのところにも来ましたか。

畠山 はい、大正七年です。共同体的なカンパのような形で解決しました。





犬島 岩瀬では米の配分にも二種類あるのです。一つは、五大家が米を集めて、岩瀬の町役場として役場が米を分けるというもの。比較的民主的で、行政的なコントロールが働いている。
もう一つは、これは私の祖父・犬島宗左衛門(注12)が実行した面白い話だけれども、岩瀬漁業協同組合がその頃に初めてできて、初代会長、つまり組合長になった。そして、処理の仕方として「漁業組合がまとめて米を買う。だから、お前さんのところは米の値段を下げてくれ」と、私の祖父はそういう交渉をしたそうです。それで一軒崩れるわけです。一軒崩れたらみんな下げさせられて、それで岩瀬はおさまっているというのは、やはり漁民との関係があるからですね。

井本 共同体的な相互依存といいますか、お互い平生からの持ちつ持たれつの関係ではないかと思います。「あんたらが金を持っているのはわかっているよ。困っている時に助けるのが当然だよ」という意識があるのです。ですから、畠山さんのどなたかが亡くなられたとなると、供養に米を山盛りにして、葬式の棺桶が出る前に、前へ出すのですよ。そうすると、貧乏な家だと、それをもらいに来るわけです。それが亡くなった人への供養だという、そういう社会的な一つの合意があるのです。

犬島 そういうある種の秩序があるわけです。

井本 ですから、あえて米騒動という言葉を使うならば、岩瀬の場合は共同体的な米騒動でした。

富山 共同体的なもの。農村ならば、それはずっとありますね。大抵一揆の先頭に立つのは庄屋です。岩瀬という港町では、今のお話ですと町ぐるみでそういうシステム、秩序があったわけですね。

井本 町の場合にも、共同体というのはもっと調べなければいけないと思いますね。こういう時に、大きな役割を果たしていました。

富山 それは今まで続いているのですか。井本 米騒動はもちろんありませんが、持ちつ持たれつの共同体的要素は残っていますね。この犬島さんが五大家と一緒に催事を行うというのだってそういう面があります。だから、水橋、滑川から向こうのように、本当の米商人が汽船会社に米を大量に積ませているような形とは違うのです。ここ岩瀬では「旦那はんにねだるのは当然だ」という合意の習慣があったのです。

犬島 今もそれはあります。

井本 米というものに意識が高いということは共通だけれども、地域によってその現れ方が違う。

富山 五大家が連携してそういう施しをしていたのですか。

井本 例えば、じいはんが亡くなられた時の供養という時には、物持ちが一軒一軒でやるけれども、米の値段が上がって騒動が起こりかけているという時には五大家よりもっと広く申し合わせて、米の廉売券を配るわけです。もっともその頃の町長さんは五大家が代わりばんこにやっているわけですよ。だから、お役人としての町を救う役割も兼ねている。分かちがたくくっついている。その点で、まさしく共同体的です。

犬島 明治二二年に地方自治法ができます。明治憲法下における地方自治だけれども東岩瀬町という機構を持ちますので、米田さんのところも大正一二年に町長を、その五年前の米騒動の時は誰だったのかね、町長は、大正七年には。あの時には、東岩瀬町役場で米を分けた。それは、五大家が米を出したということですね。

井本 明治の前半までは岩瀬の船主たちもまだ米の荷をかなり出していましたから、馬場さんなどで騒いだということがありました。

富山 馬場屋敷を拝見したときに、館長さんがここが隠れ部屋だと、天井裏のような部屋に案内してくださいました。押し掛けてきて家屋を壊すということもあったのですか。

井本 破壊的なことはしません、脅かしをやる程度。つまり、馬場さんの旦那が上の部屋に隠れて、そこから秘かに見ていなければならないという程度の心理的な圧力はあったようです。馬場さんは明治二三年に最初の貴族院議員選挙に富山から唯一出るという様な大した物持ちでしたから、目立ったのですね。富山県の金の西の半分は高岡・伏木にあり、東のは岩瀬にあって、という調子で、そこの五大家で唯一汽船会社になっていたのは馬場さんだけだったのですから。


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(11)仲せ(なかせ)
港の倉庫と岸壁のバイ船や船との間のみならず、移出米商や農村との間をも運んだので、主として沖仲仕を意味する太平洋側の仲仕のなまったものとは、語源的にも異なる可能性がある。

(12)犬島宗左衛門(いぬじまそうざえもん)
明治四一年、「日本海之岩瀬」という新聞を創刊し、意気高く時事問題を論じ、岩瀬の産業・経済の再生と繁栄、そのための人士の結集を呼びかけ、その実現(岩瀬の商工会設立・東岩瀬港の修築・鉄道問題)に尽力貢献した。

http://www.mizu.gr.jp/kenkyu/toyama5/t_rep5_5.html

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