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(回答先: 民主党の8万人削減案の提示は正しい方向性だ 投稿者 ODA ウォッチャーズ 日時 2005 年 9 月 01 日 00:59:14)
民主党が新たに打ち出した「郵政職員、8年間で8万人削減」政策は、郵便貯金の限度額を500万円に下げることで生じる郵政事業の収益減との“整合性”を付けるために持ち出してきた考え方である。
(いちおう官である郵政職員を削減する政策を示すことで、将来不安や閉塞感を抱きつつ公的負担の増大に喘ぐ民間勤労者や自営業者の“喝采”を得たいという思惑もあるのだろう。そのような“喝采”は短慮に基づくものでしかないことは後述する)
8年間で8万人の削減であれば、パートを含め40万人近くの人員を抱えている郵政公社だから、定年退職や自発的退職による自然減や新規採用の抑制で達成できると推測する。
しかし、人員規模は、金融事業の収益によって決められるものではなく、現実の仕事量に基づいて判断されるべき問題である。
ちょっと考えればわかるが、一人当たりの貯金限度額が半分になったからといって、郵便事業の仕事量が減るわけでないことは当然として、郵便局の金融窓口の仕事量もそれに比例して減少するわけではない。
限度額の縮小と同時併行の人員削減だから、その処理のために仕事量は逆に増加する。
(管理部門の仕事量も、口座数は変わらないのだから仕事量は変わらない)
郵政金融事業の収益減少に合わせて人員削減を打ち出すのではなく、限度額が減少することでどれだけ仕事量が減少するかをきちんと調査してから人員削減を打ち出すのでなければ、民主党は政策を思いつきや騎虎の勢いで打ち出す危険極まりない政党ということになる。
帳尻が合わないからと無理やり人を減らし、残ったひとが倒れようが死のうがかまわないという考え方(仕事量を無視した人員削減はそう意図していなくともそれを意味する)は、民間企業の経営者ならこのクソったれで済むが、政党とりわけ政権与党として存続に値しない暴論である。
政党や政府そして郵政公社があれこれしなくとも、“優秀な人材”は、民間の競争社会に自らシフトしていくものである。
失業率が2%ほどで失業者が100万人程度、失業者の大半はよりよい条件の就業先を見つけるための自発的失業者という時代(高度経済成長期)なら、郵政や官公庁が人員を抱えすぎているため、民間の事業が思うように展開できないから官の人員を減らすべきという話はそれなりの妥当性を持っている。
しかし、失業率が4%〜5%の間で推移し失業者が300万人を超え、若年者は失業率が10%を超えているという現実の真っ只中で8万人もの雇用の機会を政策的に縮小する政策は愚の骨頂である。
なぜなら、就職するはずの若年者が就業できないときは親が面倒を見るとしても、親の可処分所得は変わらないのだから、国民経済の総需要は減少することになる。(25歳を過ぎた子どもが就業できない現実に置かれた親は消費支出を控えるのが自然である)
多くの親はいつまでも子どもの面倒を見続けることはできないから、就業できずに生活に困窮したひとは税金から支出される生活扶助を受給することになる。
さらに言えば、就業者の減少は、所得税・年金保険料・健康保険料の納付額減少を同時に意味する。(郵政は関係ないが雇用保険制度の危機や「年金問題」も就業者の減少が大きな要因である)
国民新党の紺谷さんがTVで打ち出していたが、「景気回復なくして改革なし」なのである。
国民多数派に痛みが伴う「改革」は、確実に日本経済を破壊していく力として作用するものなのである。
閉塞感のなかで突破口を求める人々の気持ちはわかるが、その突破口をくぐると地獄の釜が口を開けて待っていることさえあるのだ。
(但し、景気回復のための政策として財政出動増大を主張する国民新党に同調するものではない)
「郵政職員、8年間で8万人削減」という政策を振り上げた拳(郵貯限度額半減)を降ろすため無思慮に提起する民主党は、自民党以上に国民経済を破壊し国民生活を困窮化させる危険で愚かな政党だと断じる。
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