★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK10 > 133.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 東條英機がA級戦犯に値するのか? (by 1喝たぬき) 投稿者 子猫だまし 日時 2005 年 6 月 20 日 11:50:56)
石原を引っ張ると、連合国側に不利な論戦となるから、石原を引っ張るよな愚かなまねは彼らはしなかった。政治ショーの幕が破れては興行の失敗になるからだ。
石原は「戦犯は誰かと敢えて問えば、それは貴様等の方だ」とでも言いたかっただろう。
ちなみに、石原莞爾の弟の石原六郎氏は、兄に勝るとも劣らぬ天才的人物であったらしく、
東大の哲学科に入り東洋哲学を学び始めたが、
「東大には俺に仏教を教える事の出来る奴はいない」と言って、
サッサと東大を中退したとの事である。
彼のことを兄の莞爾よりも高く評価する人達もいるようだ。
なかなか痛快な人だ。知者は他人の評価なんかは全く気にしないものだ。
しかし、その様な人物をわかる人もいるのであるから、それで十分なのだ。
東条英機は自分が総てを引っ被る積りで東京裁判に臨んだと解釈するのが正しいだろう。
彼が拳銃で自殺を図ったのは、わざわざ当てるところに印をつけての用意周到なもので、
わざと心臓を外してのものであったと考えられる。
なぜ、このような事をしたかというと、東京裁判に向けて病院内で治療を受ける時間を作って裁判対策を練るためであった。
軍人は自決を銃で行なう場合には、頭を撃つ事を常識として知っていたので陸軍大将としては自決の場合には頭を撃つのが当然であったろう。胸を撃ったのは、自決が本意ではないことを示している。
野戦病院に収容されていてベッドから出られない負傷兵が自決する時は、足に引き金を当てて、手または口で銃口を頭に当てて、足で引き金を押して自決したのである。
この様な自決をした負傷兵が南方戦線では何人もいたようだ。写真も見た事がある。
従って、銃による自決は頭を狙うのが常識であった。東條の真意を推し量る事が出来ないのは想像力の欠如によるものである。
東條は「総てを引っ被る事によって」、日本国と世界に対し、「責任を取って謝罪した」のである。その事は認めるべきだと考えている。
2 81 +−
▲このページのTOPへ HOME > 政治・選挙・NHK10掲示板