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(回答先: 検察側「免訴」主張へ 横浜事件再審 刑の廃止、理由に 【朝日新聞】 投稿者 愚民党 日時 2005 年 7 月 22 日 06:27:47)
横浜事件の再審は事実認定をめぐる実質審理を行わなければ意味がない。
再審請求者は、治安維持法に違反する事実がなかったと主張しているのであり、治安維持法そのものが無効だとか“悪い”といった主張をしているわけではない。
「免訴」は、ある時点まで罪であったある行為が処罰対象でなくなったことで適用される措置であり、元々罪を構成していないと判断されて出された無罪判決とはまった異なる法手続きである。
記事のなかに、「食糧メーデーで掲げたプラカードの内容が不敬罪に当たるとされた「プラカード事件」をめぐる48年5月の最高裁大法廷判決は、免訴とされた被告が無罪を主張して上訴し、実体審理を求めることはできないと判示。免訴理由がある時に実体審理をすることの違法性を指摘した。これらを踏まえ、地検は免訴を求める判断をしたようだ」とあるが、最高裁大法廷の判決は「免訴」を一面的に理解した誤りの判断である。
「プラカード事件」で免訴が適用されたのは不敬罪そのものがなくなったからだが、それは被告が不敬罪を構成する行為をなした事実があったときにのみ意味を持つのであり、罪に相当する行為をなしていなかった場合に免訴で終わらせるのは国家機構の権力濫用である。
掲げたプラカードの内容が不敬罪に相当するのかという争いだけではなく、被告が本当にその場にいて対象のプラカードを掲示していたのかという次元の争いもありうる。掲示者と違う人物を不当に逮捕・拘束している可能性だってあるからだ。
国家機構の人たち(検察や裁判官)は、不敬罪がなくなったのにそれに抵触する事実をなしたと起訴された人の審理をするのはバカバカしいと思うかもしれない。
しかし、国家権力が国民の権利を停止して身柄を拘束したのは事実なのだから、罪を構成する事実が認定されても免訴になるとしても、起訴された罪名を構成する行為が事実としてあったかどうかの判断をしなければ法論理に反していると言える。
(不当に身柄を拘束された人が国家賠償請求を行う根拠もなくなる可能性がある)
ある時期までの罪とはいえ、被告の行為について事実認定をせずなんでも一律免訴というのは、行為の事実がないまま冤罪で起訴された人も、現在は罪を問われないとしてもかつては罪であるとされた行為をして起訴された人も、まったく同じ結末というとんでも司法判断を意味する。
免訴は、起訴の時点で処罰対象であった罪を構成する事実があったときに適用すべき措置であり、起訴の時点で処罰対象であった罪を構成する事実がなかったときは無罪の判決を下さなければならない。
司法を含む国家機構は、自分たちにとっての意味・無意味で物事を判断するのではなく、憲法を頂点とする法体系の論理に従って物事を判断しなければならない。