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(回答先: 投入堂は朱塗りだった? 岡倉天心の調査日記に記述(共同通信) 投稿者 シジミ 日時 2006 年 1 月 13 日 23:22:19)
鳥取 '06/1/14
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Tn200601140060.html
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▽倉吉の研究家が調査
明治時代の美術評論家岡倉天心が国宝指定のため鳥取、島根、山口の三県を訪れた巡回記録が、倉吉市の郷土史研究家で建築事務所経営生田昭夫さん(57)の尽力で見つかった。生田さんが十三日、鳥取県庁で会見し、「修験場に塗りはない」と定説のように語られてきた三徳山三仏寺の投入堂(鳥取県三朝町、国宝)の外観について「丹(に)塗り」と記述されていた内容を明らかにした。
天心は明治政府から国宝指定の調査依頼を受け一九〇三年三月二十二日から五月三日まで、三県の寺社を巡回した。その様子を、随行した漆工芸の大家、六角紫水(江田島市出身)が日記として残した。生田さんは二十五年前から探していたが、昨年夏、東京芸術大にあることが分かり、孫で所有者の六角鬼丈・同大美術学部長から複写許可を受け、鳥取県職員が県関係分だけ解読した。
「丹塗り」と書かれた投入堂は、現在は大正時代の修理後の姿で、塗装が施されておらず、研究者の間で定説のように語られている「修験場に塗りはない」が、覆ることになる。生田さんは、修理で外された化粧垂木に赤が施されていることから「厳島神社(廿日市市宮島町)のように朱塗りだったと思う」と推測している。また、島根、山口関係分の日記も「みなさんの協力を得て解読し、全体像を明らかにしたい」としている。(土井誠一)
【写真説明】明治期の寺社の写真を使い、岡倉天心の足跡を説明する生田さん