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(回答先: 画期的な判決、他のダム建設も見直しを! および、シアワセな日中関係ほか。 投稿者 姫子音 日時 2005 年 12 月 10 日 06:50:16)
姫子音さん、はじめまして。
今回の判決は、近畿農政局のあまりにも杜撰な事業計画の欠陥を理由としたもので、いわば投資効果などの経済性を問題としたものでした。
姫子音さんがご紹介されたアメリカの事例のように、既存のダムの「撤去」にまで至るには、「自然との共生」という視点が加わらなければならないのでしょうね。
以下は、川辺川ダムについて「川辺川利水訴訟判決について −勝利した平成の百姓一揆−」というサイトからの一部引用です。川を守りたいと願う人達の気持ちが凝縮されているように思いました。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~naoko-k/607iss.htm
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美しい川辺川とともに生き続けようと誰よりも願ったのは他ならぬ水没を決断させられた相良や五木村民たちである。
また、自らの体験として、ダムが水害を防ぐのではなく逆に水害を招くのではないかという拭い去ることの出来ない深刻な疑いを持っているのは、他ならぬ人吉を中心とする下流域の市民たちである。
さらに、これまでダム建設が豊かな漁業資源を奪い生活の基盤を掘り崩すことにつながると深刻に思い詰めているのは、戦後漁業補償を受けて球磨川本流のダムつくりに応じざるを得なかった漁民たちである。
そして、尺アユと球磨川くだりという永遠に続く自然の恵みの大事さを知り尽くしているのは、大型公共事業によってもたらされる宴会や宿泊による経済効果も知り尽くしてきた旅館・ホテルなどの観光業者たちでもある。
最後に、ダム建設により、川辺川での尺アユ釣り、カヌー・ラフティング、心が洗われるよう旅行など人生の楽しいひと時を永遠に奪われることに深刻な危機感を持っている人たちは、かつてはわが国のどこにでも存在した川辺川のような川を守れなかった多くの国民でもある。
われわれは豊かな自然が無尽蔵に残っているからこれを守ろうとしているのではない。逆にこれを失い続けてきた痛みが分かるからこそこれを守ろうとしているのである。
清流川辺川を残そう、ダムはムダという闘いは、後のない譲ることの出来ない人間たちのぎりぎりの要求なのである。
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