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(回答先: 完全な石人 古墳から初出土(NHK) ― 磐井一族の墓と見られている「鶴見山古墳」より 投稿者 シジミ 日時 2005 年 8 月 06 日 21:08:04)
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/ne_05080604.htm
福岡県八女市教委は5日、同市豊福の「鶴見山古墳」(前方後円墳)付近から、武装した姿の「石人」1体がほぼ完全な形で出土したと発表した。同古墳は、古墳時代の「磐井(いわい)の乱」(527年)を起こした北部九州の豪族「筑紫国造(つくしのくにのみやつこ)磐井」の息子、「葛子(くずこ)」の墓である可能性が指摘されている。武装石人は主に地域の首長墓に置かれたことから、市教委は「葛子の墓の可能性がさらに高まった」としている。
石人は石を削った人の像で、古墳に装飾品として置かれた。出土した石人は、高さ1メートル58、幅78センチ。軟質の凝灰岩を削ってつくられており、冑(かぶと)や短甲などの武具がかたどられている。
古墳の前方から約4メートル離れた周溝から横たわった状態で出土。磐井の墓とされる約2キロ西の「岩戸山古墳」(八女市)などで出土した石人に比べて背丈が低く、顔の表面と両腕の一部が削られていた。市教委は、反対勢力などが倒して傷つけたと見ている。
市教委によると、石人はこれまで九州で150体以上が出土。うち何体が武装石人か不明だが、八女市を含む同県筑後地方では4体目という。
磐井の乱は古代史上よく知られた大和朝廷に対する反乱。日本書紀によると、新羅(しらぎ)と近かった磐井が、朝廷による朝鮮半島への派兵を妨害し、征討軍に討たれた。葛子は死罪を免れ、筑紫君を引き継ぐことを許されたとされる。
佐田茂・佐賀大文化教育学部教授(考古学)の話「名前が記された遺物が出ない限り、葛子の墓と断定できないが、武装石人はその可能性を高める史料。磐井直系の古墳であるのは間違いなく、乱の後も一族が地域で勢力を保っていたことが証明された」