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(回答先: 川辺川ダム新局面・もつれ合う流れ・中(熊本日日新聞) ― かぎ握る新利水 策定なお難航も 投稿者 シジミ 日時 2005 年 6 月 03 日 20:47:19)
http://kumanichi.com/feature/kawabegawa/nagare/03.html
五月三十一日夕、東京・永田町の衆院議員会館の会議室。出張で地方分権の会合に出席していた西村久徳五木村長の携帯電話が鳴った。「今日は却下はなかったそうです。国交省から役場に連絡がありました」。村総務課長からだった。
「うん、分かった」。西村村長は電話を切り、同席していた球磨郡の他の町村長、議長らにも伝えた。ずっと気にかけていた県収用委の審理。結論が先送りされたことに、西村村長はひとまず胸をなでおろした。
●反対闘争の末
川辺川ダムが建設されれば村中心部が水没する五木村。計画が発表された一九六六(昭和四十一)年以降、離村者が相次ぎ、ピーク時に六千人を超えていた村の人口は千五百人台に激減した。
反対闘争の末、村は水没を受け入れたが、下流域で反対運動が起きる。二〇〇三年五月にはダムから水を引く計画だった国営川辺川土地改良事業(利水事業)をめぐる訴訟で国の違法が確定した。ダム事業費も大幅に増額する見通しとなっている。
収用委が結論を先送りしたとはいえ、ダム計画の見通しの厳しさに変わりはない。「今ごろになって何をぐずぐずしているのか」。出張から帰った西村村長は二日、村長室でいらだちを隠さなかった。
●宙に浮く大橋
頭地代替地の国道445号に面した生鮮食品店。レジに立つ店主の荒木幸一さん(56)は「ダム計画と村の振興がセットになっている。今の中途半端なままでは若者がいなくなる」と村の将来に不安を抱く。
三年前に水没地から移転したが、人口減で客は三分の一に。毎日、人吉市まで仕入れに通うが商品の数も減った。「せめて村民の生活に必要な頭地大橋などの整備を急いでもらわんと」
その頭地大橋。頭地代替地と水没地を挟んだ高野代替地を結ぶ生活道路として建設中だ。しかし、用地の一部が未取得のままで、収用委の結論次第では大橋建設も頓挫しかねない。ダム本体が着工できなければ、ダム予定地の河床を掘った土砂を盛り土する代替農地造成にも着手できない。
ただ、住民の思いは一様ではない。二年前に頭地代替地に新築した家で長男夫婦と暮らす女性(83)は「私らが生きているうちはダムはできんでしょう。新居での生活も落ち着いた。何も不自由はない」。
一方、頭地の水没予定地にただ一世帯残る尾方茂さん(77)は「代替農地が造られるなら移転してもいいが、ダムができんなら、できん方がよか。ずっとここに住み続けたい」と収用委の審理の行方を静かに見守る。
●下流のために
収用委の次回審理は数カ月後。その間、焦点は利水事業の新計画策定に移るが、五木村に対象農地はなく、計画策定には加わらない。西村村長は「当事者であるはずの五木村は蚊帳の外。落ち着いていられない」ともどかしげだ。
水没予定地に人影はほとんどない。草に覆われたかつての目抜き通りを時折、大型トラックがけたたましく走り抜ける。代替地隣の学校移転用地に土を運ぶ車両だ。
「村は下流の治水や農業振興のため、古里をダム湖に沈めるという犠牲を泣く泣く受け入れた。国、県、ダム反対派、そして収用委にも村の苦悩を分かってほしい」。西村村長は語気を強めた。(川辺川ダム問題取材班)
熊本日日新聞 2005年6月3日朝刊掲載