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(回答先: 女の肌に風景は鏡のように映っていた 投稿者 愚民党 日時 2005 年 8 月 20 日 02:33:01)
愚民党さん、ご無沙汰しております。
xxさんには割り込みレスになりましたことをお詫びいたします。
そして、これは岳麓の町を故里に持つ愚民党さんへ岳麓の都市が生地の人間からの伝言です。
「生存の継続こそが生物に科せられた至上命令であり、その中で人間が所有し得る唯一のものは記憶だけかも知れない。しかし、それもやがては消え失せてしまう。」と、そんな想いが幾度となく過ぎるこの頃です。五月に私の、八月に家内の、故郷を訪れ先祖の霊前に参じました。変わらぬ佇まいを見せていた墓地周辺とは違い、それぞれの旧市街は想像を絶するほどに滅びの速度をはやめているようでした。
遠くの方から嘗ての知人や友人の旧くなった訃報がもたらされ、その度にもっと早くに会っておくべきだったと後悔の念に駈られることが多い近頃です。中には絶交したまま修復できずに音信不通になっていた人達や恩を返せぬまま永き離別になってしまった人達がいます。想い想われ、相喜び祝う、そんな日々がありました。記憶は私のものでも、過去を共有した人々のものでもあるのです。
歩みは違えども末期の眼に向かって誰もが生きています。死が免れ得ないものならば、せめて安寧と苦しみなき最期を望まぬ人はいません。自らの運命を受けとめて耐え抜いた祖母、夢見るようにこの世に棲まわっていた祖父、闘い抜いて結局は討ち死にしてしまった父、人の人生は様々に語られることでしょう。でも、数多ある市井に棲む民の生は何処にどの様に記されるのでしょうか。
夜の黙(しじま)が支配する稜線上に立ち天空より降り注ぐ星の瞬きを望むとき、そこはかとなく彼岸に向かいつつある自分を想います。周囲は清澄感に満ち、しかし黄泉の深淵に魅入られて沈んでいくような不思議な感覚に襲われます。何れは連峰をいただく故郷の町に帰りたいと思いを馳せ、かの地だけはきっと自分を迎えてくれると念じてみても、望みが叶うかどうか定かではありません。
また、会いましょう。