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補足をかねてのレスですが、ご査収のほどを。
http://www.asyura2.com/0505/idletalk14/msg/525.html
投稿者 如往 日時 2005 年 8 月 16 日 03:00:23: yYpAQC0AqSUqI
 

(回答先: 近代:未完のプロジェクト 投稿者 馬場英治 日時 2005 年 8 月 15 日 00:48:44)


 馬場さん、いつもレスをありがとうございます。
 今回は補足をかねて少しのレスですが、ご笑覧ください。


 >「世代間戦争」と言われているのは,全共闘世代と戦中世代間の争いではありません.むしろ我々の世代ともっと若い世代間の文化闘争という意味です.若い世代は隔世遺伝的に先祖返りしているかもしれませんよ.少なくとも体制内化していることは確かでしょう.この意味では老人たちの退場にはあまり積極的意義は認められません.

 確かに若い世代の有り様から隔世遺伝的に先祖返りしているような印象を受けることはあります。特に70〜75歳代の人達の子供世代(現45〜50歳代)と孫世代(現20〜25歳代)にそれを感じます。彼等と仕事以外の話しや世界観や歴史観について語リ合おうとするとき、しばしば恰も屋上屋を架すようなもどかしい思いにさせられることがあります。我々団塊の世代の子供達も既に30歳に近くなりますが、時代的感覚的な捉え方に隔たりがあるのは仕方がないとしても、元来双方が理屈っぽいためにその点ではコミュケーションが難しいと感じたことはありません。しかしながら、隔世遺伝的に先祖返りしている世代の人々と連帯するにはどのようにしたらよいのか、難問です。

 >私はハイデガーを一行も読んでないので,ネットで探してみたのですがおもしろいものを見つけました.【ポストマルクスの群像】1〜もう一つの共産主義を検証する〜2004年1月15日号 http://www.geocities.jp/thkxp/chack/z-chack08.htmこれはどうも勝共連合の機関紙ないしジャーナルの一部なのですが,なかなかしっかり書かれているので,(反面教師的な意味合いながら)読むところがあります.

 68年頃でしたかはっきりとした記憶ではないのですが、学内から追い出された原理研(勝共連合)の活動家達が街頭で反共プロパガンダを繰り広げていました。その頃は民青と同様に東大や京大は原理研の巣窟でした。余興のつもりで何度か彼等に論戦を挑んだことがありますが、どう考えてみても整合性の微塵もない屁理屈を掲げて強弁を繰り返している相貌に哀れみ以上のものを感じることができませんでした。
 けれども、共産主義に纏わる諸々を歴史博物館に収蔵してしまうこと等は、使う向きは間違っていても頭のよい連中が多かった原理研には朝飯前のことであったのでしょう。差し詰め、ハーバーマスは博物館の学芸部長ということになるのかも知れません。

 >吉本についてもかなり好意的な評価を与えている部分がありますので,是非上掲リンクの論文を読んでみてください.これを読むと,アメリカで福音派のキリスト教原理主義者らが行っていることを,そっくりそのまま日本国内の統一教会系の工作員が実行していると実態を知ることができます.李相軒・統一思想研究院院長という名前も出てきました.余談ですが,ハイデガー自身ナチスに加担していた時期があるようですね.

 彼の妻が筋金入りのナショナリスト(=ナチス党員)であったことも少なからず影響していると想われますが、フライブルク大学総長時代のハイデガーがナチス(体制)側であったことは確かです。その時代のことをハイデガーは戦後も黙したまま封印し続けました。愛弟子であり、長年の恋人でもあったユダヤ人のハンナ・アーレントによる批判は観掛け上では婉曲なものに止まっていますが、著書『人間の条件』や『全体主義の起源』の紙背に隠された心情は第三者には本音が汲み尽くせぬほど辛辣にハイデガーの心には響いたのではないでしょうか。けれども、アーレントとは20歳ほどの年齢(とし)の差があり、哲学の師でもあった晩年のハイデガーがそれをどのように受けとめていたのか、二人の往復書簡を読んでみても具には伝わって来ませんでした。

 >ハーバーマスという名前を今回始めて知ったのですが,どうもかなり私のポジションに近いような気がします.(というより,私がハーバーマスにと言うべきでしょうが)これで見ると明らかに私は「最後の近代合理主義者」であるような気がしてきました.
 馬場さんにとってハーバーマスは既知ではないかと想っていましたので少し意外でした。私などは社会主義の正統的で最後の擁護者がハーバーマスではないかと思っています。あくまでも社会主義体制における自由なコミュニケーションの可能性の探究がハーバーマスの主題だったと理解していますので、『コミュニケーション行為の理論』(ハーバーマス)は「いずれ,私は何かを宗教の代替にしようという発想にはあまり賛同できません.」(馬場さん)を裏打ちするものとして一面では一脈も二脈も通じているのかも知れませんが、馬場さんのアプローチとハーバーマスのそれとがどのように符合するのか現時点では弁別ができてはいません。

 >「淘汰の建設的側面」というのは認めてよいと思いますが,ホッブス問題を民族浄化で補完するなんて話になりませんか?

 例示が不適切でニュアンスがうまく伝わらなかったかも知れません。多様性を許容することが生存の可能性を高めているといった意味での建設性ですので、断じて強制選択が先行するものではありません。

 >我々のオンボロトラックは辛うじて崖っぷちで転落を免れたわけですが,ともかくそれを道路に戻さなくてはなりません.乗ってる人はみんな車から降りて後ろに回り,押そうとしますが,ちっとやそっとでは動かない.そうなれば,そばを通る車を通せんぼして止めてでも,止まってもらい,手伝ってもらうしかないのではないでしょうか?ある人は車の右側に他の人は左に付くかもしれませんが,ともかくみんなして力を合わせて,ありったけの力で押せば動くんじゃないでしょうか?これが総力戦です.しかし,ガスタンクが空っぽになっていれば,ガソリンスタンドのあるところまで,さらにあと何キロも山道を押してゆかなくてはならないかもしれません.これがエクソダス50年です.

 何よりも我々は当事者意識に目覚め、当事者能力の所在を確認することから開始しなければならないでしょう。そのように人々を啓蒙していくような求心的存在はやはり必要かも知れません。けれども、エクソダス(「脱米自立」)の行程は不明、かつ道は遥か遠くに続いていくような気がしてなりません。この辺りについては、馬場さんには今後ともご教示のほど宜しくお願いいたします。

 >共同的資本主義論は最終的には一種の千年王国である「無税社会」に至るべきパラダイムであると見てよいと思いますが,あるスケールの先駆的なモデル実験が近い将来,この国で行われることになるだろうと私は確信しています.そのための与件をクリアするというのは,中々難しいだろうとは思います.要は社会に「公共性」を取り戻すということに尽きますが,何を「公共」と認めるかということに関し社会的な合意を形成するプロセスが一番難しいところですね.これは《共同的資本論》にも書いてありません. 

 何を「公共」として定めるか、どのようにして「公共」性を担保していくかという問題は重要です。しかし、それ以前に日本人には在来の「公」の概念を一旦解体し、そこから再構築をしていく手続き(プロセス)が必要ですし、そのためにも「公共性」を中核概念にして公共哲学をさらに深化させていくことが肝要と考えています。

 また、会いましょう。

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