★阿修羅♪ > 雑談専用14 > 521.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: Re: 『脱米自立』の狼煙は上がった 投稿者 如往 日時 2005 年 8 月 14 日 05:29:41)
> 馬場さん、毎度レスをありがとうございます。
こちらこそ,勉強になります.
> 待機主義とは失敬な(苦笑)。とは言え、村上龍の文脈に重ね合わせて捉えられた
> くはないとの気持はあります。但し、70〜75歳代の人々の退場は変革のための好
> 条件の一つにはなるだろうとは想っています。
「世代間戦争」と言われているのは,全共闘世代と戦中世代間の争いではありません.
むしろ我々の世代ともっと若い世代間の文化闘争という意味です.若い世代は隔世
遺伝的に先祖返りしているかもしれませんよ.少なくとも体制内化していることは確か
でしょう.この意味では老人たちの退場にはあまり積極的意義は認められません.
> そこで希望なのですが、馬場さんが『とんでもない!すでに「脱米自立」の狼煙が
> 上がっています.必死の総力戦です.エクソダス50年の始まりです.』と認識される
> 事由について、もう少し展開していただけないでしょうか。
【611F駅通り殺傷事件:その後】 http://www.asyura2.com/0505/idletalk14/msg/156.html
を私は,切迫した危機感を持って書いています.この中で私は『我々はノーリターン
ポイントを越えたのだろうか?』 という質問を発しました.私は上掲小論を綴る過程
で,2002年石井絋基衆議院議員殺害事件と3年後の小泉郵政民営化策動が完全
にシームレスに接合していることに気付きました.【2002年石井絋基議員殺害から
2005年郵政民営化までのなだらかな一本道】
http://www.asyura2.com/0505/idletalk14/msg/212.html
小泉買弁政府の郵政民営化策動が成功するということは,国民金融資産の虎の子
とも言うべき核心部が叩き売りされるに留まらず,まぎれもなく日本がもはや後戻り
することのできない水準において深く米国の謀略的世界戦略に巻き込まれることを意
味するのであり,国民経済の基幹であり血脈であるマネタリシステム全体がグローバ
リズムないし新世界秩序と呼ばれる世界支配体制の管理下に置かれることであるこ
とが白日に曝されました.これを私は『神国日本の米帝国属州化』と呼んでいます.
2005年8月8日参議院における同法案の否決は我々日本国民がぎりぎりの瀬戸際
でこの謀略に気付き,力量に勝る金剛力士を俵一本を残して退けたことを意味します.
これはほとんど元寇に際してのカミカゼに近い奇跡が起こったと申し上げても決して
誇張ではありません.「脱米自立」(対米自立とも)は明治維新体制の「脱亜入欧」に
対置されるべきこれからの国家戦略の方向を示す標語として理解されます.さて
我々のオンボロトラックは辛うじて崖っぷちで転落を免れたわけですが,ともかくそれ
を道路に戻さなくてはなりません.乗ってる人はみんな車から降りて後ろに回り,押そ
うとしますが,ちっとやそっとでは動かない.そうなれば,そばを通る車を通せんぼし
て止めてでも,止まってもらい,手伝ってもらうしかないのではないでしょうか?ある人
は車の右側に他の人は左に付くかもしれませんが,ともかくみんなして力を合わせて,
ありったけの力で押せば動くんじゃないでしょうか?これが総力戦です.しかし,ガス
タンクが空っぽになっていれば,ガソリンスタンドのあるところまで,さらにあと何キロ
も山道を押してゆかなくてはならないかもしれません.これがエクソダス50年です.
> ご指摘の通り吉本自身は『固有時との対話』と『転位のための十篇』を起点にして
> 堂々巡りを続けていると想われます。しかし、吉本的思考方法はハイデガーの考察方
> 法を幾分かは発展させていると考えています。私自ら吉本隆明を持ち出しながら恥じ
> 入りますが、吉本についてこれ以上仔細に及ぶことを避けたく、どうかご容赦ください。
私はハイデガーを一行も読んでないので,ネットで探してみたのですがおもしろいもの
を見つけました.【ポストマルクスの群像】1〜もう一つの共産主義を検証する〜
2004年1月15日号 http://www.geocities.jp/thkxp/chack/z-chack08.htm
これはどうも勝共連合の機関紙ないしジャーナルの一部なのですが,なかなかしっか
り書かれているので,(反面教師的な意味合いながら)読むところがあります.
この記事では共産主義の系譜を@体制共産主義,A文化共産主義の2つの幹からな
るとし,@はソビエト連邦の崩壊によって破産したが,Aは依然として活発な活動を続
けているとしています.Aの源流はナチスから逃れて米国に亡命したフランクフルト学
派と呼ばれる哲学者のグループで,この中にはマルクーゼ,フロム,アドルノ,ホルク
ハイマー,ハーバーマスなどが含まれます.フランクフルト学派はフッサール→ハイデ
ガーの流れを汲んでいると考えられるので,仮に吉本を日本のマルクーゼとみなすと
すれば,確かにこのフローの上に載っていると見ることができるかもしれませんね.
吉本についてもかなり好意的な評価を与えている部分がありますので,是非上掲リンク
の論文を読んでみてください.これを読むと,アメリカで福音派のキリスト教原理主義者
らが行っていることを,そっくりそのまま日本国内の統一教会系の工作員が実行してい
ると実態を知ることができます.李相軒・統一思想研究院院長という名前も出てきました.
余談ですが,ハイデガー自身ナチスに加担していた時期があるようですね.
ハーバーマスという名前を今回始めて知ったのですが,どうもかなり私のポジションに
近いような気がします.(というより,私がハーバーマスにと言うべきでしょうが)これで
見ると明らかに私は「最後の近代合理主義者」であるような気がしてきました.
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062743558/250-3611529-6126606#product-details
●ハーバーマス(Jurgen Habermas 1929‐)
ドイツの哲学者。近代を築いた礎石としての「合理性」をあくまで信頼し、強制や支配のないコミュニケーションによって生み出される合意こそが、真に生産的な力であると見なす。主な著作に、『公共性の構造転換』『コミュニケーション行為の理論』『新たな不透明性』『事実性と妥当』など。
コミュニケーション行為(Kommunikatives Handeln)
人間には暴力・抑圧に支配されず対話を交わし、相互理解に到達するコミュニケーション的理性の力が与えられている。近代社会は、人間が初めて宗教や因習などの非理性的な力を脱し、民主的な原理が一人立ちした時代である。だが同時にシステムの力も強大となり、計算・支配する思考、そこから生じる人間疎外も強固になり、コミュニケーション的理性の可能性は十分に実現していない。ハーバーマスはあくまでも人間のコミュニケーションへの信頼を保とうとする。相互の平等な対話によって支えられた合理性の実現こそが真の秩序を生み出す。
> 例えばマクロ的な規模での人間家畜化牧場の運営システムとして転用される可能性
> (危険性)が考えられることから、馬場さんが『共同的資本主義論』の展開を暫時停
> 止された事情について諒解いたしました。
まぁ,そんなところです.
私ずっと下請けの仕事に甘んじてきましたから,それでも構わないんですが...
> これは共同的資本主義のシステムを動かす駆動力にも関係していると想われますの
> で非常に注目している箇所です。けれども、なかなかイメージとして結実して来ない
> ことをもどかしく感じています。
まだまだ,試してないことはいくらでもあるんではないか?ということだけは言えそうです.
その意味で岡田民主党の選挙スローガン「あきらめないで日本」というのはひ弱ですが,
同感するところがあります.
> 一つの例として、「細胞のプログラムされた死」といった生命現象は淘汰説の否定
> ではなく淘汰の建設的側面を補完しているものだと捉えています。
「淘汰の建設的側面」というのは認めてよいと思いますが,ホッブス問題を民族浄化
で補完するなんて話になりませんか?
> “宇宙船地球号”は未だに実現されてはいない、つまり共有化されてはいない理念
> であるでしょう。私は殊更それに拘っているわけではありません。寧ろ、馬場さんの
いずれ,私は何かを宗教の代替にしようという発想にはあまり賛同できません.
> 疑義にたいし、1000万ともそれ以上とも謂われる犠牲者を出した粛清の事実と、
> その被害者と加害者とが共に人類であることを如何に受けとめたらよいのか、答える
> べき言葉を見出せません。また、それを人類の存在様態に因む深淵(ブラック・ホー
> ル)に葬り去ってしまうこともできません。けれども、苦し紛れではありますが、身
> 体性に限ってマトリックスに埋葬する外に術がないと思っています。
どうも,実も蓋もありませんね...http://www.asyura2.com/0505/idletalk14/msg/501.html
【お盆休みは美学で!】の中で,美輪明宏は「他者を100%信じるな」という人生訓を
開陳していますが,スターリンの陥った陥穽もそれではなかったかという気がします.
もちろん人生訓としてなら,それで十二分であるのでしょうが.
> 巡礼者菅直人は引き継いだ遺産をどのようなスキームに転化し、さらにはどんなグ
> ランド・デザインに結実させようとしているのでしょうか。馬場さんはそれが共同的
> 資本主義と限りなく重層し、あるいは共同的資本主義こそが中核的理念となり得ると
> 見込んでいるのでしょうか。(非常に興味をそそられる点です。)
巡礼者菅は私の書いたものを読んでいないだろうし,またその必要もないと思います.
しかし,私がこれまで菅について書いてきたことはすべて妥当するし,また菅自身に問
われれば「全て当たっている」と答えるはずです.これからのことは私にも分かりません.
それは日本国民全体が決めることです.すべては国民がどのような選択を行い,選ば
れた選良たちがどのように行動するかに掛かっています.
> それはほんの少し誤解をされています。けれども、唯単にDriving forceについて
> 探究するばかりではなく、馬場さんの考察がグランド・デザインに関するものへの理
> 解を深めることの重要性を意識する手立てになったことは確かです。『共同的資本主
> 義論』[Communal capitalism]についても改めてじっくりと読み、理解に努めたい
> と考えております。
共同的資本主義論は最終的には一種の千年王国である「無税社会」に至るべきパラ
ダイムであると見てよいと思いますが,あるスケールの先駆的なモデル実験が近い将
来,この国で行われることになるだろうと私は確信しています.そのための与件をクリ
アするというのは,中々難しいだろうとは思います.要は社会に「公共性」を取り戻すと
いうことに尽きますが,何を「公共」と認めるかということに関し社会的な合意を形成す
るプロセスが一番難しいところですね.これは《共同的資本論》にも書いてありません.