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(回答先: 英治の国会報告:熊本産肉牛ハンバーグと馬刺しの祝宴,ホテルウエノパークの一夜 投稿者 馬場英治 日時 2005 年 8 月 09 日 21:53:27)
国会正門前まで戻ってみると,子ども連れやアベックがちらほらと正門付近にアプ
ローチして,デジカメを手に記念撮影している姿がありました.国会前庭の樹木は
舗道に張り出して強い日差しを遮えぎり路面に濃い影を映しています.うだるよう
な暑さの中でセミの声だけが姦しく,それに伴い私の歩みもいよいよ緩慢なものと
なって,ついに時間が停止します.傍らの案内図を見ると桜田掘が近いことが分か
りました.私は水が好きなので,有無もなくそちらに転じます.堀は私の記憶よりず
っと幅広く豊かな水を湛え,対岸は駆け上がるような急斜面の青が目に染みる中
に丈高い松が群生して紛れもない広重の描く絵巻物の世界が眼前に広がります.
右手に外務省・警視庁を見ながら進むとやがて桜田門の前に出ました.思ったよ
り小さな門ですが,堅固な構えに歴史の重厚を感じます.まぶたを閉じるまでも無
く私の眼底にはありありと彼の雪の日この橋を渡河せんとした行列が浮かびます.
橋詰めには割と大きな箱状の仮設交番があり,年配の警察官が近衛の任に付い
ていました.交番の前の舗道は清清しく打ち水され,角柱を立ち上げて蛇口を取
り付けた昔風の外水栓の水口に置かれたブリキ製のバケツには,満々と水が満
たされています.ブリキ製のバケツなど今どき,どこを探しても手に入れることは
できないでしょう.しかし,何よりもそのバケツ一杯の汲み置きの水に私は強く打
たれました.さすがは警視庁だ!そこらの田舎警察とは訳が違う.少なくともニュ
ーヨーク市警には真似はできないな,と私は頷きました.ようやく私が交番の前を
過ぎようとすると,中にいた警官は何ともなしに立ち上がって私の通過を待ちます.
私は少なくとも警視庁は腐敗していない,と確信しました.それはオーム地下鉄サ
リン事件当日の情景からも推量することができます.この日,通報で現場に一番
乗りしたのは市谷駐屯地の自衛隊化学防護隊です.彼らは防護服に身を固め,
毒マスクを着用していました.これに対し,警視庁警視総監配下の現場警察官は
何の準備もなく,有毒ガスを生で吸入して車内で次々に倒れています.これは警
視庁がオーム事件に絡む謀略の圏外にいたことを意味します.オーム事件の後
大型の補正予算を組んで都道府県警にばら撒きますが,これは一種の買収であ
ったのかもしれません.しかし,警視庁にはなお規律と使命感の余韻があります.
やがて,私は特に目指して歩いていたわけではありませんが,いつか日比谷公園
に辿り着いたので,ともかくあの日比谷野音の観客席にもう一度座ってみようと思
い立ちました.日比谷公園は自動車道路に囲繞されたそれほど大きくない公園で
すが,非常に巧妙に設計されコンパクトにいろいろな施設が詰め込まれているの
で,狭さを感じさせません.案内板に従って公園の最外周の園路を,柵外でアルミ
缶つぶしに余念のない野宿者とか鉄棒にぶら下がって懸垂を続ける上半身裸の
筋肉マンなど見やりながら独歩を進めますが,目指す音楽堂は見つかりません.
野音は多分3000人くらいは収容できるはずですから,それが消えてしまうなどと
いうのはおよそあり得ない話です.実際私は国会図書館の帰り道よくこの公園で
休憩していますが,そのときは何も意識しなくともいつの間にか野音の中に入り込
んでいました.大概観衆は5,6人多くても10人足らずでしたが,アンプを持ち込
んでギターを弾いている若者とかいろいろ見ています.一度は津軽三味線でベー
トーベンの交響曲を独演しているおじさんを見たこともあります.これはかなり腹に
染みる熱の入ったものでした.お腹もぺこぺこだし,どうも暑さで少しやられている
のかな,と思い,もう一度念入りに案内図を見て場所を確認しました.
2つ入り口がありました.ひとつは車両が何台も進入できるほどの広さがあります
が,「関係者以外立ち入り禁止」となっています.観客用の入り口は舞台の裏側に
ありました.正面から見ると日の差さない水気の多い洞窟のような感じに見える場
所です.正面から左右に分かれて両側に鎖された鉄の門扉があり,開かずの扉
のように錆付いています.締め切ったままもう何年も使っていないという風情です.
まさかこんなふーになっているとは思いもしなかったので思わずふーと溜息が出ま
した.かつて幾たびも大規模な大衆集会の会場となり,国会に向かうデモ隊の出
発点となった日比谷野外音楽堂はいまや禁断の場所になっているのです.
周到にもそれを埋め合わせるものも用意されていました.園内のあちこちに大き
なポスターが貼られていて,お持ち帰り用のパンフレットもあります.「わざと」下手
に見せるという凝ったデザイン手法で書かれた BONODORI のポスターです.「踊
れや,東京ど真ん中!!日比谷公園 丸の内音頭 大盆踊り大会」.主催者は案
の定,ヨミウリとNTTでした.パンフレットに依ると,丸の内音頭は東京音頭の元
歌だそうです.丸の内音頭は昭和不況の最中,日比谷・丸の内界隈の商店主が
西条八十,中山晋平に依頼して作ったものだそうです.昭和7年のことです.
やや途方に暮れた私の前に小さな小山がありました.池を掘った残土などを積み
上げただけのもののようで,2,30歩で頂上に達します.錐のように尖った小山で
頂上はダブルベッドくらいの大きさしかありません.私は中央の小さい石に腰を下
ろしました.真夏の太陽がギラギラに照り付けています.塩辛トンボが2匹,目の前
をジグザグに急降下すると青草の上に離れて止まりました.下の方から上がってく
る草刈器の鋭いエンジン音がセミの声に入り混じっていやが上にも暑さを掻き立て
ます.デジャビュ,確かに遠い記憶のどこかにこんな時間があったという錯覚があり
ます.私はそれがまぎれもなく1945年8月15日の感覚に違いないと確信しました.
もちろんそのとき私は生まれていなかったのですから,記憶するはずもありませ
んが,それは私のDNAに埋め込まれた原風景としてまざまざと知覚されました.
立ち上がって石段を脱力して降りてくると,小山の裾のあたりを草刈していた作業員
2人は,腰を伸ばしてエンジンのスロットルを下げ,私が過ぎるのを待ってくれました.