★阿修羅♪ > 雑談専用14 > 430.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 岩波書店と大江さんを提訴 「軍が自決命令」の記述で・・・死人にくちなし? 投稿者 rand 日時 2005 年 8 月 05 日 17:48:38)
『沖縄タイムス』2005年7月4日 「集団自決」を考える 20
命令有無にこだわり不要 前提に「逆らえない体制」
林 博史
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/paper55.htm
インタビューを記者が整理したものです。 2005.7.10記
■「集団自決」に至る背景をどうとらえますか。
「直接だれが命令したかは、それほど大きな問題ではない。住民は『米軍の捕虜になるな』という命令を軍や行政から受けていた。追い詰められ、逃げ場がないなら死ぬしかない、と徹底されている。日本という国家のシステムが、全体として住民にそう思い込ませていた。それを抜きにして、『集団自決』は理解できない。部隊長の直接命令の有無にこだわり、『集団自決』に軍の強要がないと結論付ける見解があるが、乱暴な手法だろう」
■沖縄戦で住民が置かれた社会状況や支配の構図は。
「軍人がいると住民は投降できない。投降できないとしたら、壕に隠れていて、攻撃されるしかない。あるいは、軍人がいなくても在郷軍人など軍の意思をたたき込まれた者が『集団自決』の口火を切る。」
「沖縄のような島では、逃げ場がなく、教育も徹底している。役場も軍も、そこから言われたことはお上の『命令』である。村の幹部らが『集団自決』を主導したとしても、幹部自体が国家の末端だから、『村が勝手にやった』とはいえない。軍の免罪にはならない。個々の軍命令かどうかは、必ずしも重要ではなく、住民が追いつめられ、『自決』しかないと思い込ませる状況をつくったのは軍を含めた国家だということが前提になる」
■軍民雑居や皇民化教育といった影響が大きいと。
「軍がいなかった島では『集団自決』はほとんど起きていない。移民帰りの人だけでなく、戦争に疑問を持つ人、民間人が戦争で犠牲になることはない、と素直に考える人はいた。地域のリーダーらが、『死なないで生きよう』と言える状況にあったかどうか。軍が居ればまず言えない。慶良間のように小さな島では、なおさらだ」
■沖縄戦に先立ち、サイパンでも「集団自決」で多くの住民が犠牲になった。
「サイパンも沖縄と同じ孤立した環境にあり、『米軍はひどいことをする』と事前に恐怖心が植えつけられていた。捕まりそうになったら『自決』するしかないと思わされていた。沖縄では、民家に滞在していた軍人から、日本軍の中国戦線での蛮行が伝わり、米軍はもっとひどいと思わされていた。テニアン、フィリピン、沖縄と太平洋戦争の日本軍の敗北の過程で、軍と住民が一緒にいた地域で共通に起きた現象だ」
■国から援護を受けるため、軍命による「集団自決」が強調された、との主張について。
「戦傷病者戦没者遺族等援護法(援護法)は、軍に協力したものにしか適用されない。軍に食糧を強奪されても『食糧提供』、壕からの追い出されても『壕提供』と申請しなければならない。戦闘協力者しか救済しようといないので、『集団自決』でも軍命令と言わないと、援護の対象としないという考え方だった。政府がそう言うように誘導している。国が始めた戦争を十分に反省しないで、被害者に被害者としてきちっと償わない政府の政策自体が問題であると言わなければならない」
林博史氏HP
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/
書いた本や論文などの紹介のページ
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/11books.htm
論 文 の ペ ー ジ
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/12paper.htm