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(回答先: 抵抗運動の課題と限界を考察します。 投稿者 考察者K 日時 2005 年 8 月 03 日 22:41:58)
>ひのきみ反対運動も同じ様な性質を有しています。
>おそらくですが、仮に「天皇制度」を廃止に追い込んだとしても、皇族の制度の維持費がなくなるだけで、国民の生活はほとんど変化しないでしょう。
>仮に「体制反対運動」であったとして、小泉政権をを倒閣して、自民党が解党したとしても、多少汚職が少なくなるだけで、大勢にはさほどの変化は起こらないと思います。
ひのきみ反対運動は、これまではっきりとした道を国民にあまり示せなかった。だから少数の反対運動にとどまり敗北していったんだ。これは全面的な新らしい日本の生活建設のための運動だから、本来日教組の先生だけの運動にとどまってはダメなんだ。旗や歌に(のみ)反対しているのだと思われた時点で完全に負けである。自分達の戦略のアピールが必要なのだ。
たとえば、右派の方は「諸君!」や「正論」や週刊誌などで新しい日本のあり方についてのアピールをしまくっている。左派はマスコミを握っていない。アピールの場がない。よって作り出す必要があるのだ。
新しい日本のシンボルとは、新しい日本の教育・外交とは、いかにあるべきかのビジョンが積極的に有権者に提示されなくては、ひのきみ反対運動は無意味だろう。石原や安部や西村、桜井よし子、井沢元彦はマスコミに出まくっている。日教組の先生は校舎で反対しても、意見が見えない。対抗的な意見・提言を世に出していくことが大切である。そうしなければ、石原、桜井、井沢に押し切られていくだけだろう。街頭に出よ、大衆の前に出よ、である。彼らに対する左派側からの反論の声がマスコミに載らない。マスコミは右派の側の主張が一方的に載るだけだ。
左派のマスコミ・教育審議会・「文部省」・「外務省」を作ろう。
国民健康保険は地方が管掌している。テレビ番組で社会保険庁が私達の社会保険料・年金保険料からべらぼうな予算の無駄遣いをしていることが放送された。国家の存在は今の私のレベルではすぐには完全に否定できないが、その役割は限りなく相対化されるべきである。逆立ちしても、中国や北ノ朝鮮のように国民の上に君臨する絶対的な存在になることは否定されるべきだろう。私は中国・北ノ朝鮮の民主化を支持するが、それは単に拷問に苦しむ人を苦しみから救うというだけでなく、国家を神に近い絶対的な存在から引き摺り下ろすという意義もある。一種の偶像否定。