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(回答先: それでは、どうすれば良いと思われるのでしょう? 投稿者 考察者K 日時 2005 年 7 月 31 日 07:59:29)
考察者kさん、レスをありがとうございます。
労働運動に関わったとされる考察者kさんならば、国歌斉唱の強要反対をメルクマールにして権力側による策動の一環でもある橋頭堡の構築にたいする反対運動において、現状の戦術が相当に煮詰まっている戦い方であると認識されていると思っています。もし、そう承知されているのであれば尚更のこと、考察者kさんの今までの言説が反対運動を他人事のように捉えられているように聞こえることに非常に違和感を禁じ得ませんでした。これを私の単なる憶測として一蹴されますでしょうか。
煮詰まっている戦い方とは、仲間内に犠牲を出しながら運動を継続して行かざるを得ない、展望がなく常に背水の陣に身をおいているような方法ですが、それでもそうせざるを得ない現実があります。その彼等にたいし他に方法があるのではと問い掛けることは私にはできませんし、彼等が運動の全くの犠牲者にならぬように物心両面で支えていかねばならないと思っています。
ただし、オブザーバーの立場にある人が、現状の支持だけではなく運動の将来を見据えて色々な方策を模索・検討しておく必要性は認めます。けれども、運動の当事者でもオブザーバーでもない現在の考察者kさんが運動の批判に及ぶことは極々常識的な弁別意識に反するのではと想われるのです。考察者kさんと運動の現場の人達との間にある現状認識や取り組み方のズレを距離感の問題に求めることは容易でしょう。そして、運動に関わったことがない人の批判ならば、責任意識の所在が不明なるが故に無視することも可能ですが、考察者kさんの場合はそうもゆかないだろうと考えて、僭越ながら当事者意識の如何について問い質すべく応答しています。
>問題点があれば「解決しようとしなければなりません」しかし「君が代反対運動」においては今の方法論では「解決は難しい」とKは判断しています。如往さんは「今の方法で解決可能だ」と責任を持って言い切れるのでしょうか?もし、言い切れないならそれでは、どうすれば良いと思われるのでしょう?
経営上の問題解決と政治上の問題解決とを混同されていると思います。経営上の問題では基本的に問題解決の当事者が措定もしくは設定されているものですが、係る政治的問題では先ず当事者能力の把捉の問題と解決に纏わる当事者間での主導権をめぐる問題が現出して来ます。この過程を迂回して解決策を論じるのは空虚であることを考察者kさんは認識されていないのでしょうか。考察者kさんの物言いは顧問に任じられた経営コンサルタントの経営者にたいするものとしては実効性が考えられますが、問題解決の当事者能力を有さない被雇用者側にとっては懐柔的な作為としか映らないでしょう。
>君が代強制は「国家が教育の現場に行った、労働者分裂工作」である。としても、実際に現場で「現場監督(校長、教頭)」と「将来を考えている教師」と「頑固な教師」と「PTA」という現場段階の労働者でいがみ合っていては「解決はしない」と思いますが、如往さんは「解決する」と思われるのでしょうか?
『君が代強制は「国家が教育の現場に行った、労働者分裂工作」である。』ことを一つの認識として認容されるのであれば、固より各々の問題の捉え方が一致しないことは容易に想像がつくはずです。したがって、何を以ってして問題解決とするべきかゴールも発想され得ないでしょう。現場の教師にとってはそれが抵抗運動であることは明白で策動を撥ね返していくことが問題解決への道であり、行政側にとっては広汎に実施されることが問題解決なのですから、遺憾ながらある意味ではチキン・ゲームの様相を呈しています。両者の戦略家(参謀)が心掛けるべきはゲームの継続であり、後始末でしかないのです。
>ともかく、Kの鰯頭にも分かるように解説して下さらなければ、議論に前進はあり得ません、如往さんの「政治問題との認識発言」以降の発言は「思考停止しようよ」との提案なのでしょうか?Kが間違っている可能性はありますが、議論を前進させる意志が感じられないので「間違いに気付きようがありません」
これは、私の一方的な願望といえるものです。労働運動に関わった考察者kさんなればこそ、是非とも上記のチキン・ゲームの継続と不本意ながら(教育の)現場を離れざるを得ない人達を援助していく方策の創出に心を砕いて欲しく思っていますし、それと並行して考察者kさんに固有な俯瞰的視座からの情勢分析能力を如何なく発揮していただきたく望んでいます。
また、会いましょう。