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(回答先: 独り言 投稿者 Carry That Weight 日時 2005 年 7 月 28 日 16:39:00)
時間が無いのと封印しているもののためうまく表現できませんが
如往さん
雑談13へのレスです。了解しました。又、お願いします。
デラシネさん
レスありがとうございます。しかしコメントできません。あなたは他者の精神分析を良しとはしなかったはずでは?その事の思い上がりをあなたに気づかされた者です。それに無視を徹底する手法、今回の件で先見の明ありと敬服しておりました。従って、整合性が崩れたと思うのですが、どの様にお考えですか?
ワヤクチャさん
あなたが闘争、共闘と仰ってもその言葉を封印している者としては困るのです。この言葉を集団に使う事、ここからも戦争が始まるからです。あなたは戦争を無くしたい。そのお気持ちが嘘で無いなら、そういう人が誤った言葉を使っている、その事を伝えたい。
議論がその出だしから躓いているのですよ。いや、議論とは古今東西にあって、どこかでこのレベル以上にされてきたはずです。つまり、ここ以上のレベルで既に決着はどこかで着いていると仮定してみて下さい。あなたは一から始めるおつもりでしょうが、それはあなたの資質からして勿体無さ過ぎます。公開の場では相変わらず様々なレベルの見解が交錯しており、多数決を取ると一票の重みが違いすぎてしまう。極端な物言いでは人もサルも同じ一票で雌雄を決している、政治経済がこの世界の現状でしょう。
あなたは連帯を呼び掛けた。それがネット上であれ、それを呼び掛けたからこそ、他の誰よりも早くあなたをいの一番にお招きしたのです。これは行き着くところ、お会いするところまで行かねば話しにならない性質のものです。そのための前段階としては色々なすり合わせで、お互いの信頼を深める場を設け、然る後、お会いするという段取りがあって当然でしょう。それなのに、あなたは議論は公開の場と言う主張(これはポピュリズムに迎合したまやかしだと思います)で、この次の展開に移行する事を拒んだ。ここにあなたの連帯への欺瞞性を指摘します。これは段階への移行なのです。
君が代、国家に関する否定運動
この運動は教職と一体のものですね。その職業以外の者の共感が多数とならぬのは、懲罰を受けても免職は無い保証の公務員の身分を保有しつつ、仲間同士の庇い合い的保身行為を共闘と呼ぶ、スガシク無い運動であるからです。
闘争を一人行なう覚悟であれば、それは決死の覚悟です。命を賭して行なう行動であれば、身体は一つしかなく、最も有効で最善な行動一本に絞りざるを得ません。となるとそれは日の丸、君が代問題ではありません。その事に焦点が絞れた、侍、或いは狼ならば、自らの命と引き換えに出来る命題にのみ全力を注ぐのです。群れる羊はわが身を集団に溶け込ませつつ、それでもわずかなリスクや危険が迫ると共闘とか持ち出して、愚だ愚だ言うのですよ。そして焦点を絞らないで何本も活動を掛け持ち、効果の得られない、「充実した忙しさ」に生きている実感を、自己満足しているだけなのです。
Narongchai さん(初めまして)
上記の通りです。
>これはねぇ、、、、こう思っちゃう自由を自ら捨てて、会社に忠誠を尽くす教育をされた方々に多い論理なんです。
日本の教育自体が、大手企業に入社後に行う社員教育を、受け入れる体質を作るのが主旨の教育なんだと思います。
ではありません