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昨今の雑談板・議論板の状況を鑑みると、W氏の自己主張のお仕着せが目に余る。あのやり方で彼の賛同者が増えるとでも思っているのだろうか。私も対話を試みたが、彼の盲目的なまでの政治信念にそぐわない私の主張は撥ね付けられるのみ。すぐに対話継続の気持ちも萎えてしまった。粘り強く応じたK氏へのW氏のレス内容は更に滅入るものがある。兎に角天皇制打破しか頭にないようだ。対話をするだけ無駄と判断したK氏に対し罵倒し続ける様は、T氏がかつて例えた動物の件を想起させる。このところの彼の投稿内容・表現を鑑みると、案外T氏の見立ては間違いではなかったのかも知れない。以前のW氏のスタンスはどこへ行ってしまったのか。いや寧ろ今の姿が本性なのか。
天皇制存続=右傾化・軍国主義化とは私は考えていない。例えばこう述べただけでも、W氏から相当な批判を浴びるだろう。しかしながら、現実問題として皇室の役割は形骸化している。だからこそ国民からその存在を是とされているのであって、天皇=神などと崇めている人間は極少数の極右だけであるから、今後皇室が権威を取り戻すような事態はそれこそ【極右による多数派形成】でもない限りまず考えられない。
現在事象として問題となっている『君が代強制』問題は、歌の内容が天皇制を肯定しているから問題なのではない。『君が代=国歌』だからであって、『森のくまさん=国歌』でも構わないのである。『国歌斉唱=真っ当なナショナリズム育成の一環』であることに異論を挟む余地はない。世界中の国家で当然のように行われている。しかしながら『国歌斉唱の強制』という統制行為は、個人が外的干渉を受けず自律的に精神活動を行うことを保障する憲法『思想及び良心の自由』に明確に違反する。つまり、憲法で保障された『歌わない自由』を東京都が侵害していることが問題なのである。
では何故、憲法違反まで冒して東京都はこのような措置に踏み切るのか。『統制=右傾化の傾向』なのか。私はそうは思わない。卒業式等の儀式的行事では、国旗・校旗掲揚や国歌・校歌斉唱は儀礼として受け入れられてきた極自然なイベントであった。誰もがそこに『儀礼的意味合い』以上のものを見出そうとしなかったからである。ところが、成人式における若者の傍若無人ぶりに代表されるように、近年になり教育現場の荒廃が顕著になったことで、卒業式等の円滑な遂行にも支障が出るようになったことは想像に難くない。それが公立であれば尚更である。東京都としては、『儀式の滞りない進行』を第一義に、教員に対し生徒の監督責務を全うするよう締め付けを強めたのではないか。無論、だからといってそれが『強制』を正当化する理由にはなり得ない。しかしながら、『強制』を打ち出すことによりかえって反発を引き出す結果となってしまった感も否めない。ご自由に、という状況では、『君が代』に余程の政治的信条が伴わない限り『適当に歌うか流しておく』人間が圧倒的多数だからだ。『君が代』に対する政治的信条というのも、反対する一部の人間が軍国主義と結びつけたがることによって喚起されるものであり、生徒が自律的に有していく価値観とは性質が異なる。
今回の問題は、斉唱を強制された国歌が『君が代』ということに、過剰に反応する左派の存在が大きい。そもそも『君が代』が国歌として相応しいのか、という根本的な問題が蔑ろにされながら60年もの歳月が経っているということには全く触れようとせず、徒に右傾化を危惧するのはいかがなものか。左派がなすべきは、『君が代』を国歌の座から引き摺り下ろし、復活を遂げた日本に相応しいものに変える運動をすればいいのではないか。堂々と斉唱できるものに。
と呟いてみた。。。