★阿修羅♪ > 雑談専用13 > 936.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: Re: 少し補足させていただきました。 投稿者 Sun Shine 日時 2005 年 6 月 25 日 10:15:44)
Sun Shineさん、レスをありがとうございます。
こちらこそレスが遅くなり申し訳なく思っています。私にとっては投稿可能数の問題ではなく、元来の遅筆と時間的制約のためどうしても即レスとはいうわけにゆきませんので、どうかご容赦のほどをお願い申し上げます。
さて、日本語は英語等と比較すると音声的には平坦な言葉と謂われています。だからと云って、日本人の誰もが語尾を上げたり流したりすることによって抑揚をつけようと意識しているわけではないでしょう。けれども、英語や独語に慣れ勤しんだ人達が日本人の発声を耳にしたとき、言葉の一語一句を切り、必要以上に語尾が上がっているように聴こえるとの感想は体験的に理解できるものです。また、普段の会話でもそうですから、少し改まったシーンでは余計にそう聴こえるのは想像に難しいことではありません。ただし、本当は断じてそれが「自己主張」の顕われでないことはSun Shineさんも多分見抜かれていることでしょう。
これは全くの私見なのですが、日本人の大学教授や教師が講義のときに語尾を上げて話すのは英語のAddressの口調を表面的に捉えた結果であると想われます。その最もよい例がテレビドラマ“金八先生”のタレント武田鉄矢の口調でしょうし、タレント片岡鶴太郎にも語尾を上げたり語尾を流して話す傾向が顕著に見られます。如何に日本語に馴染んでいても私には締りがなく聴こえて非常に気になるのですが、それを多くの日本人(視聴者)が受け入れてしまっている風潮があるのも確かです。
>そしてこれは私の推測ですが、小さいときから対話に慣れていない(日本の授業は一斉授業で、生徒はひたすら教師の話を聞くというのが多いですよね。また家に帰っても、両親との会話が少なくなってきていますよね)子供達が、大きくなって、他人との対話の仕方を知らなくて、教師のような演説口調になるのかな、とも思ったりしています。
ご推察の件には、演説口調に関するものばかりでなくて日本における教育の根本的問題が多く含まれていると想われます。早い時期から対話の仕方を学んでいくことの必要性を私も痛感しています。しかし、それには先ず現場の教師達がそれを習得していなければなりませんが、彼らも実は一斉授業で育ってきたのです。つまり、教師達が自ら対話の必要性を意識しなれば何事も始まらないでしょう。
対話の仕方を習得せずにいると成人してからも情緒的な反応を繰り返すことにもなり、そのような人達で構成される日本の将来の姿は、Sun Shineさんも杞憂さていますように、”世界統一支配”による愚民化政策が最も奏効した事例になりかねないでしょう。悲観的な見解のみで遺憾に思いますが、少なくともこうした問題をきちんと見据えることこそが対話の仕方を習得するための第一歩であると考えています。
また、会いましょう。