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(回答先: 少し補足させていただきました。 投稿者 如往 日時 2005 年 6 月 24 日 06:24:08)
>如往さん、レスをありがとうございました。
御指摘の村上 龍の件ですが、実は偶然にも彼がNHKテレビの「週刊ブックレビュー」に出演しているのを見たことがありまして、如往さんと全く同じ感想を持ちました。それから、田中康夫も村上 龍よりもましですが、同じような話し方をしていたように思います。
私は全共闘の人たちの演説を直接には聴いたことがなく、テレビのドキュメンタリーなどで見た程度ですが、まさにあのような話し方をタレントのみならず、一般の多くの人たちがしているのをテレビで見たり、東京の街中で聞いたりして、疑問に思った次第です。前にも書きましたように、一語一句を切り、語尾を必要以上に強調して、普通の会話でも「対話」というより「自己主張」をやっている感じなのです。子供達のインタビューなどを聞いても同じです。
それから日本の大学教授などは、言われてみれば確かに日本語で講義する時、語尾を上げて話す人が多い感じですね。小・中・高の授業風景などをテレビで見ても、語尾を必要以上に強調して、話す教師が多いようです。
江戸っ子3代目という人も知り合いにいますが、年代ということもあるのでしょうが、彼らはあんな話し方をしません。昔の日本映画の中で話されているような日本語です。ただ、東京にも山の手言葉と下町言葉とがあって、両者の間には少し差異があるということは聞いておりますので、もしかすると、下町言葉では如往さんがおっしゃるように少し語尾を流すという話し方が、伝統的にはあったのかもしれません。そこへ、スパルタコスポノさんがおっしゃるように地方の人が東京に移り住んで、必要以上に東京弁を真似しようと語尾を強調して話すというようなことになったのでしょうかね?
そしてこれは私の推測ですが、小さいときから対話に慣れていない(日本の授業は一斉授業で、生徒はひたすら教師の話を聞くというのが多いですよね。また家に帰っても、両親との会話が少なくなってきていますよね)子供達が、大きくなって、他人との対話の仕方を知らなくて、教師のような演説口調になるのかな、とも思ったりしています。
その上、下記のような”世界統一支配”からの、”メッセージ”もあって・・・と考えるのは考えすぎでしょうか(少しミステリー小説的になりますが)
・[Behold A Pale Horse](蒼ざめた馬をみよ) by William cooper P.57より
(1954年に開催されたビルダーバーグ・グループによる「静かなる戦争のための静かなる武器」の決議書から)
・Media: keep the adult public attention diverted away from the real social issues, and captivated by matters of no real importance.
・Schools:keep the young public ignorant of real mathematics, real economics, real law, and real history.
・Entertainments: Keep the public entertainment below a six-grade level.
(娯楽:大衆娯楽は、6年生以下のレベルにするように)
・Work: Keep the public busy, busy, busy , with no time to think; back on the farm with other animals.
以上、まとまりのない文章になりました。