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(回答先: 憑き物が「悪い憑き物」と言う事ではありません。 投稿者 考察者K 日時 2005 年 6 月 24 日 22:46:10)
Kさん、「憑き物が憑いている」という評価がいい評価なワケ無いでは無いですか?
私には憑き物が憑いていてそれを落とさない事にはどうしようも無いとおっしゃっているのでしょうから、相対的に貴方が正しいと言っているようなものだと思われませんか?当然、貴方には何の憑き物も憑いていないとおっしゃりたいワケでしょうから。
貴方は曇りの無い目で物事を考え、私は憑き物が憑いた濁った目で物事を見ているという表現になっているではありませんか?
>憑き物が「悪い憑き物」と言う事ではありません。
「良い憑き物」ってあるのですか?
これは面白い事をおっしゃる。
それはどんな憑き物?
>http://www.asyura2.com/0505/idletalk13/msg/870.html
>投稿者 考察者K 日時 2005 年 6 月 24 日 22:46:10: JjkI8nWTpj0po
>(回答先: 「憑き物落としの呪文を使ってみます。」って、ご自身が正しいと思わなけ>れば言えない事では? 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 6 月 24 日 19:26:33)
>>ワヤクチャさん どうもです。
どうも。
>Kは「天皇制度反対」が間違いとは言っていないでしょう。ただし正しいとも言って>いませんが・・・
正しいとも言わないのですか?
そこから立場が違ってますね。
>【「憑き物落としの呪文を使ってみます。」って事は私に憑き物が憑いているって事>ですよねえ。という事は私がどうかしているのであって貴方は正常だって言っている>事になりませんか?
>>Kが正しいなんて書いていないでしょう。
>書いている事と同じ事だとは思われないでしょうか?】
>Kは「憑き物が憑いている」としていますが、その憑き物が悪い憑き物だとは主張し>ていません。
そのおっしゃりようは面白過ぎますよ。
憑き物は普通は「よからぬもの」として捉えられませんか?
で、あなたはその憑き物から私を解放してくれようとしているワケですよね。
だったら、貴方にとってその憑き物は私にとって「良くない」ものとして判断されているのでは?
そうでなければお払いをする必要は無いですよね?
>Kは「君が代に反対する事」を悪いとは思っていません。(ただし、正しいとも言い>ません。)
では、全然立場が違います。
「君が代に反対する事」が正しいと言わない(思わない?)人が共闘の為にそれを取り下げた方がいいというのは当たり前でしょうね。
>ただ、方法論とすれば、別の歌を用意し、国歌変更の運動とかを法廷闘争などで行う>のが「運動家レベルの被害」は少ないはずです。
それ以前に「君が代強制」が行われているのですが。
>また、実際の卒業式などで「実力行使」する前に会議などの席で「君が代」を別の歌>に差し替えることを訴えるべきで、どうにもならなかったときは欠席するべきだろう>と思います。
もちろん、会議で主張はした方がいいでしょうね。
しかし、多数決で君が代を唄おうという事になった場合、唄いたく無い人が唄わない自由を主張してもいいのではありませんか?
そして、そのような個人の自由の主張が停職1ヶ月というような処分に値いするかどうかも問うべきです。
>何も、多くの人の前で「式をぶち壊しにするような方法論」に固執する必要はないで>しょう。
一人の人が唄わなかったら「式がぶち壊し」になるのでしょうか?
その発想の方が恐ろしいですね。
それはファシズムです。
みんなが同じ行動を取らねばならないという。
儀礼的な事に関してですらですよ。
形式ファシズムです。
貴方がファシストだと言いたいのではありませんよ。
ファシズムとはそのようにして実体化していると主張したいのです。
>しかも、その事により処分されて「そこまで頑張った事を評価しよう」的なドンキホ>ーテーのような事をしていては、仲間内では評価されても、運動としては「効果など>無いだろうし、むしろ逆効果だろう」と主張しています。
評価しないのは貴方であって、その抵抗に勇気付けられる人もいるのですよ。
現に私はそうです。
自分の意識が多数派で多数派の意識に従うべきだというのもファシズムです。
>【「君が代」を唄わないという自由が個人にあるのではないか?】
>それは、あるでしょう。しかし、「それを行うことによって、他人を不愉快にさせる>なら、それを咎める自由」も認めなければなりません。
何故不愉快になるのでしょう?
自分は多数に従って唄っているのに多数に従わない人がいるのは我慢ができないのでしょうか?
それがファシズムです。
>>そこを、認めた場合、どのような未来が予想されるかを考えて、その上で「損得」>>を考えなければいけません。
「君が代の強制」自体が既に天皇制の強制であり、国民は国家の手段たれという強制なのです。
個人にとって「君が代」の強制自体が不利益なのです。
>【「君が代」を唄わない自由が何故「国民の敵」になるのかです。】
>規律を見出す可能性があるからでしょう。
その規律とは何の為の規律ですか?
天皇制を強制する為の規律なのですよ。
「国民の敵」というのは欺瞞です。
「天皇制の敵」という事を摩り替えているのです。
>卒業式などが台無しになる可能性だってあります。
「君が代(天皇制)」を強制するから台無しになるのですよ。
「君が代(天皇制)」に反対の人もいるという事を考えれば「君が代」の強制をしない事が卒業式を無難に済ます方法です。
>前にも言いましたが、体制側は「反体制」を歓迎するわけはありません。
当たり前です。
>学業は国家(体制サイド)によって保護されています。
はあ?
学業は個人が自主的に行っているものでしょう?
保護って何ですか?
義務教育の事ですか?
だったら、それは強制であり保護ではありません。
産業界の要請に応じて国民に義務として課しているのです。
この社会で生きていく上では最低限必要なものとして。
しかし、実態はどうか?
落ちこぼれは保護されておりません。
>良い悪いでは無く、それは事実ですし、それを支えているのは「大衆世論」です。
では無く、産業界であり資本主義権力が強制しているのです。
大衆世論は資本主義メディアによって操作されているのです。
>選挙制度においては「体制(国家)を作るのは、大衆世論」なのです。
大衆世論を操作しているメディアの力が絶大です。
だからここ(阿修羅)で対抗的メディアを作っているのではないですか。
>【そういう排除の仕方がおかしいという意識を持たせる事が必要なのです。】
>そんな事は分かり切ってます。しかし「君が代反対」という実力行使をすれば、大衆>が「意識を持ってくれる」のでしょうか?
そのような実力行使もまた意識化の大きなきっかけになるでしょう。
「あの先生は何故処分覚悟で唄わなかったのだろう?」って考えると思いませんか?
ただただ「変人」で済ます人ばかりでは無いでしょう。
そんなパブロフの犬みたいな人ばかりでは無いのです。
貴方は人間は「考える」という能力を持っている事を過小評価されていませんか?
私は人間の考える能力に期待しているのです。
マスコミや体制の洗脳から脱出する人もいるという事ですよ。
それで無ければ何の為にここで投稿しているのですか?
「大衆の意識は遅れたままだ。」と硬く信じているのでしたら。
あなたはその事を主張する為にここに投稿をされているのですか?
>Kは逆効果だと思います。「変人」のレッテルを貼るのは体制ではなく、自分たちと>同じようにしない事に奇異を感じ取る大衆なのです。
大衆一般というのっぺらぼうなものを想定するからおかしくなるのです。
一人一人色々な事を考えるのです。
貴方は現実では無く「大衆は奇異と感じるだろう。」という自分の頭の中の物語を信じているダケです。
で、また、貴方の言動が「奇異と感じる人」を増やすのです。
「この方が普通なんだよ。」と。
ご自身の言動自体も影響を及ぼしているのです。
貴方の頭の中にある固定観念と闘って下さい。
それが貴方の反天皇制運動です。
>(君が代反対行動は)【何もこれは人に強制する事では無く、その闘争を行う人は危>険を覚悟の上で行うのであり、そういう闘争を支持するかどうかを今論じているので>す。】
>闘争をすれば「良い世界が来る」との闘争方針を打ち出した者が「教祖」だろうと思>います。
闘争に意義を見出す人はみんなそう思うのであり、別に教祖でも何でもありません。
>【闘争を行う人は危険を覚悟の上で行う】のは確かでしょうが、昔「神風特攻隊も志>願して特攻したのです」この事をどのように取られるのでしょうか?。
彼等は「国民は国の為に命を捧げるべきだ。」という思想を信じたのです。
反天皇制運動は、「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず。」という思想を正しいと信じる者が行う運動です。
目的が違います。
>「危険と分かっているならば、止める方が、本人のためでしょう」
本人はそれを承知で決起しているのであって「生活の為にやめたら?」という意見のレベルを凌駕しているのです。
分かっている事をアドバイスされるのは本人にとっては「余計なお世話」でしょう。
>それを、後押しするような意見を書くならば
>【部下に突撃命令を下す軍上層部とやっている事は大差ない。】と思います。
そんな事より、貴方はそうやって天皇制を廃止したらいいか対案を示して下さい。
貴方は天皇制廃止に賛成で無いのであれば方法論について議論しても意味ありません。
「君が代を唄わない自由」を訴えるという事が天皇制廃止の有力な闘争である事は間違いが無く、命令するしないでは無く、どう捉えるかの問題です。
>組織構成員の犠牲を「犠牲と考えず、美徳かのように洗脳し、組織員の犠牲の上に成>り立っているような運動」は「国家のしている事と大差無い」のだと思います。
国家の強制に対して闘っているのですよ。
問題は国家の側にあるのです。
国家権力の問題を見ずに国家権力と対抗する人々のやり方の問題ばかりあげつらうのが一体どういう立場になるのかをお考えいただけないでしょうか?
>理想国家は遙か彼方でしょうが、それでも「組織構成員を大切にする」のが基本であ>り、組織構成員の犠牲を容認する組織には「何の期待も持てない」気がします。
国家が国民に犠牲を強いる手段として天皇制があり君が代があるのです。
この事が中心の問題であるという事をお考えいただきたいです。
>【弾圧を受ければ被害で出るから主張しないのであればズルズルと支配されてしまう>でしょう。】
>ワヤクチャさんはどうも、君が代反対運動をしないと「何か大きな不利益があるかの>ように感じているようです」が、一体何が起こるのでしょう?
「君が代を唄わない自由」も認められない社会はファシズムであるという事です。
ファシズムに対抗しているのです。
対抗しなければ個人は国家に翻弄されるようになるダケです。
>日本が「戦争への道を歩む」という意見も聞きますが、どこの国にどうやって、何の>ために攻め込むのでしょう?
既に自衛隊をイラクへ派遣しております。
自衛隊が攻撃を受けたら反撃しようとしているのです。
それを国民が容認してくれないかと小泉は考えているでしょう。
今は無理でしょうが、序々にその方向に持っていこうとしているのです。
例えば、靖国参拝で反日感情を煽ってそれらの国民を戦争に誘導して戦おうとしているのです。
朝鮮が統一され、統一朝鮮の反日機運が高まり竹島を巡って戦闘をする可能性もあるでは無いですか?そういうネタは色々と仕込んでいってるワケです。
>仮に、中国か韓国に攻め込むとして「君が代」に反対していれば防げるのでしょう>か?
それは、全然レベルの違う闘争課題です。
私は何も「君が代反対」だけが闘争などとは言っておりません。
中国や韓国との友好関係を保つように働き掛けていく事も反戦運動の重要な役割です。
>戦後、天皇が「戦争を支持するような発言をしたのでしょうか?」
しておりません。
天皇制の問題は「国益=国民の利益」というイデオロギーを補完するものである事です。
また、戦争ともなれば国民が一致団結して戦争に協力するべきだという事を主張する為の手段と成ります。
「天皇陛下のお言葉」という形で国民に呼び掛ける可能性が大きいのです。
それに逆らう人間は非国民であると。
>「どこかの国を攻め取れ」と言うような発言をされたのでしょうか?
いいえ。
では、貴方はそういう発言を天皇がしていないから天皇制には何も問題は無いと主張したいのでしょうか?
質問が極端過ぎますよ。
>天皇制に反対すれば、全ての不幸が解決するかのようなイメージを与えるようなご意>見は根拠がないと思います。
そんな事は主張しておりません。
天皇制は国民を犠牲にする為の国家の手段であると主張しているだけです。
「全ての不幸」などという一般論を持ち出さないでいただきたいです。
>特に
>【自殺者が多発する中であまりのんびりした事も言ってられないのです。】
>ですが、「君が代反対と自殺の関係」を「Kに分かるように説明してください」
つまり、国家は国民を捨て始めているのです。
この流れは戦争を始めようとする際の準備です。
生きていてもしんどいだけだから戦場へ行ってせめてお国の為に死ねればそれでいいでは無いか?という気持ちに持っていこうとしているのです。
生活が安泰であれば誰が戦場に行こうとするでしょうか?
アメリカでも貧富の差を拡大し高失業率にする事によって兵隊になれば高給がもらえるから危険を冒して戦場に行こうとする若者を確保したのです。
社会不安を煽る事は戦争へ持っていこうとする際の常套手段です。
ですから社会的弱者の救済も戦争に反対する闘争の一環になるし、
国家の為に命を捨てるという事の欺瞞を暴露する意味の「君が代反対」も戦争反対の一環となるのです。
戦争勢力の攻撃がかなり進んでいるという事からのんびりはしていられないと申し上げました。
反戦という事で連動しているという事です。
>【闘争する為に家庭を持たずに闘争に邁進する人がいてもいいという事です。】
>この意見はあまりにも無責任だと思いますよ、ある意味では「組織構成員には人権を>認めない」と言う事ですよ。
もちろん、そんな事は命令すべき事ではありません。
因みに私は自分のこのような考え方の為に無理だと思い結婚はしておりません。
いつ弾圧にあっても悲しむ人が少ない方がいいからです。
私は自分の人権を認めていないのでしょうか?
人権を認めないのは戦争を起こそうとする勢力であり、それと闘う為には自分の生活を犠牲にせざるを得ない面があるのです。
なんせ、人の命をなんとも思っていない連中との対決なんですから。
暗殺も色々ありましたよねえ。
石井紘基さんの暗殺とかですね。
我々が一体どんな勢力と闘っているのかを知るべきです。
>もう少し、割り引いて考えても「子孫繁栄の放棄」ですよね。
子孫繁栄以前に戦争勢力の駆逐が必要なんですよ。
戦争屋が跋扈する世界に子孫を送り出す事のやり切れなさをお考え下さい。
>更に戦術論で考えてみますが、おそらく「君が代反対」だけでは運動が実るまでには>数世代掛かります。
いつ私が「君が代反対」だけしかしないって言いましたか?
様々な闘争を行いながらするのですよ。
>運動員は子孫も残さず運動しますので、尻窄みになる可能性も高いです。
世襲制の運動ですか?
貴方変わってますね。
運動は全ての人に働き掛けるのですよ。
趣旨に賛同する人全てと行うのです。
>運動員の子孫は減少、体制側は変わらずだとすれば「比率的には不利になるのです」
貴方、人をおちょくっていませんか?
まともにレスしているとはとても思えません。
>まあ、個々を論破するのも飽きましたので、まとめ的なKの考えを書いておきましょ>う。
「飽きた」のですか?
これも面白いおっしゃりようで。
貴方何かの余興で対話しているのですか?
>民主的な社会に置いてはいかに民衆の支持が得られるかが全てです。
>一部の人の「理想論」では現実は動きません、いかに大衆を見方に付けられるかだけ>が、勝負の別れ目と言ったも言い過ぎではありません。
>君が代反対は素晴らしい運動かもしれませんが、理屈で素晴らしくたって大衆が理解>してくれなければ「実際的な価値はゼロに等しい」のです。
その「大衆が理解してくれなければ」という仮定がおかしいでしょう。
闘争の中で理解者は増えていくのですよ。
>ならば、戦術を作った人が間違っているのです。Kは当初から「一種の宗教であり、>理屈が作り出した運動」としていますが、理念を間違っているとはしていません。戦>術が間違っている。としています。
でしたら正しい戦術の闘争の対案を出して下さい。
対案も出さずに運動を批判するだけではつぶしです。
>憑き物とは「戦術」に対する視野狭窄ですが、必ずしもKが考えれば「もっと素晴ら>しい戦術になる」とも言えませんので、Kに「Kが正しい事の証明は無理」です。
より正しい戦術を対案として出す事ができないのであれば何故批判できるのでしょう?
>しかし、大衆という物に「背を向け」、大衆という物を馬鹿にしたような考察で、立>派な理屈だけのような運動を繰り返しても「何も変わりません」
誰が大衆に背を向けているのですか?
君が代を唄わない自由を訴える闘争は「大衆は変人と思いだろう。」と決め付けているのは貴方では無いですか?
その大衆像が正しいと何故言えるのでしょう?
貴方こそ大衆を馬鹿にしているのです。
大衆は変人だと決め付けるであろうと決めてかかっているのです。
というか大衆一般を語るという事が既に個々人を馬鹿にしているのです。
>武力革命を放棄しているならば、民衆を味方に付けなければ、何も出来ないと言う現>実をもっと考慮しなければなりません。
何をする為に味方に付けるのですか?
天皇制を廃止する為に味方に付けるのですよ。
天皇制廃止を主張したら変人と思われるかも知れないからそれを主張せずに味方に付けて天皇制廃止ができるのですか?
目的が消えてしまっているのですよ。
>かって公務員労働者は「禁止されたストライキを行い、民衆を敵に回すという事と、>大量の処分を教訓にして、事実上敗北しました」
>少しは、学習能力という物を考えなければいけません。
公務員労働者と民衆を敵対させたのはマスコミです。
公務員叩きをマスコミがやったのです。
その結果、民衆は公務員の闘争を理解できなかったのです。
民衆同士を反目させるというマスコミの宣伝にまんまとのったのです。
だから、マスコミ以外の意見を述べる場をしてこの阿修羅掲示板があるのでは無いのですか?
そのような場で貴方は「マスコミによって操作された大衆の意識」に迎合しなければならないという事ばかり主張されているのですよ。
>多数派形成が出来なければ「何も変わらないのです」
何の為に多数派になるのかが抜け落ちた多数派を作っても意味ありません。
>屁理屈だけで世界が変わるなら、誰も苦労なんてしません。
誰が屁理屈を言っているのですか?
貴方の論理では未来永劫何も変わらないでしょう。
真に現実的なファシズムへの屈服のお誘いです。
未来永劫殺し合いをし続けるだけです。
そんな現実に何の意味があるのですか?
そのような現実では無いよりよき現実を作る為に闘争をしているのです。
対案無き闘争批判は奴隷への道です。