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(回答先: 「憑き物落としの呪文を使ってみます。」って、ご自身が正しいと思わなければ言えない事では? 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 6 月 24 日 19:26:33)
>ワヤクチャさん どうもです。
Kは「天皇制度反対」が間違いとは言っていないでしょう。ただし正しいとも言っていませんが・・・
【「憑き物落としの呪文を使ってみます。」って事は私に憑き物が憑いているって事ですよねえ。という事は私がどうかしているのであって貴方は正常だって言っている事になりませんか?
>Kが正しいなんて書いていないでしょう。
書いている事と同じ事だとは思われないでしょうか?】
Kは「憑き物が憑いている」としていますが、その憑き物が悪い憑き物だとは主張していません。Kは「君が代に反対する事」を悪いとは思っていません。(ただし、正しいとも言いません。)
ただ、方法論とすれば、別の歌を用意し、国歌変更の運動とかを法廷闘争などで行うのが「運動家レベルの被害」は少ないはずです。また、実際の卒業式などで「実力行使」する前に会議などの席で「君が代」を別の歌に差し替えることを訴えるべきで、どうにもならなかったときは欠席するべきだろうと思います。
何も、多くの人の前で「式をぶち壊しにするような方法論」に固執する必要はないでしょう。しかも、その事により処分されて「そこまで頑張った事を評価しよう」的なドンキホーテーのような事をしていては、仲間内では評価されても、運動としては「効果など無いだろうし、むしろ逆効果だろう」と主張しています。
【「君が代」を唄わないという自由が個人にあるのではないか?】
それは、あるでしょう。しかし、「それを行うことによって、他人を不愉快にさせるなら、それを咎める自由」も認めなければなりません。
そこを、認めた場合、どのような未来が予想されるかを考えて、その上で「損得」を考えなければいけません。
【「君が代」を唄わない自由が何故「国民の敵」になるのかです。】
規律を見出す可能性があるからでしょう。卒業式などが台無しになる可能性だってあります。前にも言いましたが、体制側は「反体制」を歓迎するわけはありません。
学業は国家(体制サイド)によって保護されています。
良い悪いでは無く、それは事実ですし、それを支えているのは「大衆世論」です。選挙制度においては「体制(国家)を作るのは、大衆世論」なのです。
【そういう排除の仕方がおかしいという意識を持たせる事が必要なのです。】
そんな事は分かり切ってます。しかし「君が代反対」という実力行使をすれば、大衆が「意識を持ってくれる」のでしょうか?
Kは逆効果だと思います。「変人」のレッテルを貼るのは体制ではなく、自分たちと同じようにしない事に奇異を感じ取る大衆なのです。
(君が代反対行動は)【何もこれは人に強制する事では無く、その闘争を行う人は危険を覚悟の上で行うのであり、そういう闘争を支持するかどうかを今論じているのです。】
闘争をすれば「良い世界が来る」との闘争方針を打ち出した者が「教祖」だろうと思います。
【闘争を行う人は危険を覚悟の上で行う】のは確かでしょうが、昔「神風特攻隊も志願して特攻したのです」この事をどのように取られるのでしょうか?。
「危険と分かっているならば、止める方が、本人のためでしょう」
それを、後押しするような意見を書くならば
【部下に突撃命令を下す軍上層部とやっている事は大差ない。】と思います。
組織構成員の犠牲を「犠牲と考えず、美徳かのように洗脳し、組織員の犠牲の上に成り立っているような運動」は「国家のしている事と大差無い」のだと思います。
理想国家は遙か彼方でしょうが、それでも「組織構成員を大切にする」のが基本であり、組織構成員の犠牲を容認する組織には「何の期待も持てない」気がします。
【弾圧を受ければ被害で出るから主張しないのであればズルズルと支配されてしまうでしょう。】
ワヤクチャさんはどうも、君が代反対運動をしないと「何か大きな不利益があるかのように感じているようです」が、一体何が起こるのでしょう?
日本が「戦争への道を歩む」という意見も聞きますが、どこの国にどうやって、何のために攻め込むのでしょう?
仮に、中国か韓国に攻め込むとして「君が代」に反対していれば防げるのでしょうか?
戦後、天皇が「戦争を支持するような発言をしたのでしょうか?」
「どこかの国を攻め取れ」と言うような発言をされたのでしょうか?
天皇制に反対すれば、全ての不幸が解決するかのようなイメージを与えるようなご意見は根拠がないと思います。
特に
【自殺者が多発する中であまりのんびりした事も言ってられないのです。】
ですが、「君が代反対と自殺の関係」を「Kに分かるように説明してください」
【闘争する為に家庭を持たずに闘争に邁進する人がいてもいいという事です。】
この意見はあまりにも無責任だと思いますよ、ある意味では「組織構成員には人権を認めない」と言う事ですよ。もう少し、割り引いて考えても「子孫繁栄の放棄」ですよね。
更に戦術論で考えてみますが、おそらく「君が代反対」だけでは運動が実るまでには数世代掛かります。運動員は子孫も残さず運動しますので、尻窄みになる可能性も高いです。
運動員の子孫は減少、体制側は変わらずだとすれば「比率的には不利になるのです」
まあ、個々を論破するのも飽きましたので、まとめ的なKの考えを書いておきましょう。
民主的な社会に置いてはいかに民衆の支持が得られるかが全てです。
一部の人の「理想論」では現実は動きません、いかに大衆を見方に付けられるかだけが、勝負の別れ目と言ったも言い過ぎではありません。
君が代反対は素晴らしい運動かもしれませんが、理屈で素晴らしくたって大衆が理解してくれなければ「実際的な価値はゼロに等しい」のです。
ならば、戦術を作った人が間違っているのです。Kは当初から「一種の宗教であり、理屈が作り出した運動」としていますが、理念を間違っているとはしていません。戦術が間違っている。としています。
憑き物とは「戦術」に対する視野狭窄ですが、必ずしもKが考えれば「もっと素晴らしい戦術になる」とも言えませんので、Kに「Kが正しい事の証明は無理」です。
しかし、大衆という物に「背を向け」、大衆という物を馬鹿にしたような考察で、立派な理屈だけのような運動を繰り返しても「何も変わりません」
武力革命を放棄しているならば、民衆を味方に付けなければ、何も出来ないと言う現実をもっと考慮しなければなりません。
かって公務員労働者は「禁止されたストライキを行い、民衆を敵に回すという事と、大量の処分を教訓にして、事実上敗北しました」
少しは、学習能力という物を考えなければいけません。
多数派形成が出来なければ「何も変わらないのです」
屁理屈だけで世界が変わるなら、誰も苦労なんてしません。