★阿修羅♪ > 雑談専用13 > 868.html ★阿修羅♪ |
Tweet |
(回答先: 損と分かっていながら、それでも断固として行動する人を回りは変人と見ます。 投稿者 考察者K 日時 2005 年 6 月 24 日 00:04:39)
考察者Kさん、スパルタコスポノさん、横レス失礼します。
国鉄分割民営化の時に国労に対する弾圧がありました。
その時に国労を辞めれば処分を逃れるという事が分かっていても国労に残る人が大勢いたのです。
そういう団結が必要な場合があるのです。
君が代を唄わないという闘争でも同じ事であり、処分を受けると分かっていてもココで意思表示をしなければいつ意思表示ができるのかと思い必死の思いで決行する人がいるのです。
私はそのような事を人に命令する立場にはおりません。
しかし、決起した人を「変人呼ばわり」する人々に対して「何故、変人だと思うのですか?」と詰め寄ろうと思います。
それが闘争なのです。
>損と分かっていながら、それでも断固として行動する人を回りは変人と見ます。
周囲に合わせるだけでは世の中よくなりません。
言うべき事は言わなければなりません。
>http://www.asyura2.com/0505/idletalk13/msg/848.html
>投稿者 考察者K 日時 2005 年 6 月 24 日 00:04:39: JjkI8nWTpj0po
>(回答先: 誰が変人扱いしているのですか?君が代など小中学校の卒業式にはされてな>かった 投稿者 スパルタコスポノ 日時 2005 年 6 月 23 日 21:48:51)
> Kは一部の右翼思想の政治家の視点で書いているわけではありません。
と思っていても結局同じ立場になってしまうのですよ。
「変人扱いされるからやめろ」と言う事は。
>「多くの人」と書いた時には「自分で中立と思っている庶民」を意識しています。
その庶民の意識が問題なのです。
事なかれ主義で「適当に合わせて唄っとけがいいジャン。何もワザワザ拒否するなんてどうかしているんじゃないか?」っていう問題意識の希薄さが問題なんですよ。
>処分覚悟で「君が代の拒否」をした教師には同情しますが、同情するよりも「処分が>起こらないようにする事の方が優先される」でしょう。
それは、処分に対して抗議をして撤回させるという事が大事です。
する前から「君が代を唄わないが処分をするなよ。」という運動は中々できません。
もちろん、日ごろの労働組合の活動で力を持っていれば処分をされにくいという事は言えます。
>「石原都知事を轢き吊りおろせ!」と叫べば実現する程、この世は単純ではありませ>ん。
もちろんです。
>現実というのは環境です。石原都知事を作ったのは市民です。反対派が騒いでも今現>在、石原都政は事実として行われています。
抵抗する事は大事な事です。
>少し、たとえ話をしましょう。魔の樹海の奥に「幸福の鍵」があると言う話が伝わっ>ていたとします。
>それを手に入れれば「みんなが幸福になると信じて」勇敢な人が取りに行って遭難し>ました。「彼を救助しろ!」と救助隊が行きましたが遭難しました。
>調べてみると「魔の樹海の環境は人が行って帰れる物では無い」と判明しました。
>それでも、と救助隊が行き遭難が増えるのは「良いこと」でしょうか?「悪いこと」>でしょうか?
必ず遭難するのであれば救助は不可能だという事でしょ?
こんな例え話と必ず処分があるかどうか分からない闘争を自粛する事は別です。
>Kには分かりません、答えなど存在しないでしょう。
>ただ、分かっているのは「現在はそのような環境なのだ」という認識はしなければい>けないだろう。と言う事です。
相手の力を大きく考え過ぎでは?
闘争によって力関係が分かるという面もあるのです。
>君が代反対教師を処分等と言うことは「正しくないに決まっています」そんな事は議>論の価値もありません。
でしたら正しい事が行われるように訴えるべきでは?
>しかし、実際にあるのなら「いかに不条理だろうが、環境なのです。」
>環境が現実にあるなら「環境を変化させるまでは、被害を少なくする方向で考察する>べきでしょう」
環境が実際はどうであるのかを詳しく分析する事も必要です。
1ヶ月の停職処分が許容範囲であるのであれば停職処分を受けながらアピールする事も戦術として考えるべきです。実際、やってみて支持が集まる面もあるのです。
>現在は「人が自由に振れすぎた反動期」です。規律の維持を求める世論が高まってき>ています。そのような時には「規律を乱す事」は危険です。
君が代を強制する規律がいいのかどうかの議論をすべきです。
規律一般ではありません。
>しかも、今は公務員と言う物が「虐められる世相です。」特に教師は「高給で理屈ば>かり」という偏見も持たれています。
君が代反対という理屈の何がおかしいのか?という議論が必要なのです。
単純な偏見に負けていてはどうしようもありません。
>Kの予想では「裁判でも厳しい」と思います。
君が代を唄わないだけで1ヶ月の停職処分が妥当だと裁判所が思うかどうかですね。
>Kが裁判官でしたら「処分は不当」としますが、残念ながら、Kが判決を下すわけで>はありません。裁判に勝つにしても長い期間が必要になるでしょう。
勝つのであれば成果です。
>だからこそ、悲劇は回避するように考えるべきだと思います。
君が代を強制されている事で既に悲劇は始まっているのです。
その悲劇に対抗しているのです。
>意地より、現実の不利益の方を考えるべきでしょう。
現実の多少の不利益よりも「君が代を唄わない自由」を訴える人もいるのですから、そういう人を支援すべきでしょう。
>そこを「分からない」と一部の右翼は当然として、多くの庶民すら「変人」とするの>です。
それは貴方の想像に過ぎないのでは?
君が代論議をやっていけば偏見も無くなるハズです。
>日本の多くの人が「他人に合わせる事に安心を覚え、目立つ事を嫌います。」その考>えを否定するような行動を取る人を「変人」とし、避けるのです。
そういう事なかれ主義を乗り越えていかなければならないのです。
>それは、間違いです。なんとか改善しなければなりませんが、今はまだ、改善されて>いません。
闘争の中で改善するしか無いのです。
何も無いなかでよりも議論ができるのです。
>それは石原都政も同様です。
闘うべきですよ。
都議会議員選挙とか機会はあるのですから。
>そこを考えるべきでしょうが、この前で「そのような考え方を頭ごなしで否定して、>考えもしない」ようですと、良いアイデアなんて思い浮かばず、君が代に反対してい>れば日本が良くなる。と言う憑き物に憑かれるのかもしれません。
そんな単純な発想では無いです。
多くの闘争と共に「君が代を唄わない」闘争もあるのです。