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(回答先: ヤンキー先生インタビュー<上>:ちびっ子に語る少年時代 投稿者 都会暮らし 日時 2005 年 6 月 20 日 04:49:26)
ヤンキー先生インタビュー<下>:
夢の続きは「教育改革」
堀川さん・義家さんが校長先生だったら、どんな学校を作りたいですか?
義家さん・校長になるなんて、考えたこともない。常に子どもたちと歩いていきたい。一緒にご飯食べて、授業して、遊びにいく。それが教師の原点だから。
桐木君・なぜ北星学園余市高校から横浜市教育委員にきたのですか?
義家さん・海よりも深い理由がある。教育は教師一人ではなく集団でやるものと思った。私の著書や講演活動をめぐり、教師の和が乱れていった。
私が残り続けるよりも抜けることで、みんなが団結するだろうという確信があったし、バラバラになった教師を生徒の方がまとめる存在になったという信頼もあった。
また、北星学園には全国から(生徒が)来るけれど、みんな学校というところで挫折した子ばかり。15、16歳で親元を離れて北海道に来ることもないし、北海道に来られない子もいっぱいいる。
その前に何ができるか。教育委員という立場でそういう状況を改善したかった。迷ったら原点回帰。教師を志した街、横浜に戻ろうと思いました。教育委員も現場。何も変わっていません。子どもたちには、自分で会いにいけばいい。結構楽しんでますよ。
◆過去には戻りたくない
堀川さん・もし過去に戻れたら、何をしたいですか。また、これからの目標は?
義家さん・過去には戻りたくありません。これからは、医学の勉強をしたい。今は、医療がトップで、教育、福祉と重きが置かれている。でも、横並びで連携しなきゃいけない。
思春期の時、眠れないのが悪いみたいに言うけれど、そんな時期は不安定になるのは当たり前。だけど、病院に行けば薬を処方してくれる。もっと教育と連携をとって、単に治療として接するんじゃなく、教える立場で接することが必要になってくるのではないか。
例えば、薬で抑えるのではなく我慢することが必要なら、我慢を教えたり。恩師の安達先生は福祉に進んだので、弟子は医療に。40歳になるまでの6年間で、教育現場と医療の橋渡しになりたい。
また、これからは若い先生がたくさん入ってくる。教育の夜明け。その先生たちが核になり、子どもの未来を変えていく。皆さん勉強はしてるけど、現実の子どもは知らない。自分にも伝えることがたくさんあるのではないか。教師を育てる教師になりたい。大学で教職課程を持ちたいな。でも、一番やりたいのは子どもと遊ぶことかな。
◆家庭では新米パパ
堀川さん・自分の子どもとどんな遊びをしますか?
義家さん・ただそばにいるだけで幸せ。まだ(父親)2年目の新米なんだ。帰ったら子どもは寝てるけど、寝顔を見ると一日の疲れが一瞬で飛ぶ。朝早く起きて、子どもと絵本読んだり、散歩したり家族でお茶飲んだりしている。夜は忙しいけれど、朝は自分の裁量で起きればいい。
桐木君・自分の子どもにどんな人になってほしいですか?
義家さん・優しい人。優れた人でなくていい。私と同じ言葉をしゃべれるようになってほしい。医者でも先生でも、全く別の次元で教えてくれればいい。一緒に学び合える親子になりたい。
堀川さん・こんなに忙しいのに、なぜ頑張れるんですか?
義家さん・みんながいるから。本来は怠け者で、すぐ逃げ出す。子どもを救ってるとか、助けてるとか思ったことはない。子どもたちが、何もない自分を奮い立たせてくれる。教師を仕事とは思っていないんだ。道に迷った未来の子がいる限り、常に子どもたちと歩きたい。
◆「夢は逃げていかない。自分が夢から逃げていくのだ」
桐木君・好きな本は何ですか?
義家さん・1冊だけ、本棚に入れずに机に置いてあるボロボロの本がある。「かもめのジョナサン」。小学4年生のときに父がプレゼントしてくれた。カモメは餌(えさ)をとるためだけに飛ぶ。だけど、ジョナサンは誰よりも速く飛びたかった。そして、群れから追放され、一人ぼっちに。自分が一人ぼっちだったから、勇気をくれる本だった。
桐木君・ドラマ「ヤンキー母校に帰る」を見て、どう思いましたか?
義家さん・これがきっかけになって、一人でも勇気を持ってくれればいい。情けない姿でも、励ましになればいい。
桐木君・好きな言葉は何ですか?
義家さん・16歳で里子に出された時に読んだ魯迅の短編小説の一節。「希望とはもともとあるものともいえないし、ないともいえない。地上の道のようなもの。もともと地上には道はない。歩く人が多ければそれが道になる」
未来なんてないと思っていた。望む人が多ければ希望は生まれる。誰かを大切にしよう。出会いを大切にしよう。そうすれば、道はできる。新しい人生の原点になった言葉だ。 あと、毎日起きたときに、自分に言い聞かせる言葉がある。「夢は逃げていかない。自分が夢から逃げていくのだ」
自分に言い聞かせる戒めの言葉。絶対、夢は待っててくれる。そう思いながら生きていこうと思った。
◇義家弘介さんプロフィル
1971年3月31日、長野市生まれ。生まれてすぐに両親が離婚、父と再婚した母、一つ上の姉、腹違いの弟、祖父母の七人家族で育つ。中学生のころより「不良」と呼ばれ、87年、高校を退学処分になる。児童相談所をへて里親に引き取られ、北星学園余市高校が全国からの中退者を受け入れる取り組みを知り、88年に編入。90年、明治学院大学法学部法律学科入学。卒業後は大手進学塾に就職し、99年、母校の北星学園余市高校に社会科の教師として赴任。2005年、横浜市教育委員に就任。