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(回答先: 日さん、おひさです♪ 投稿者 都会暮らし 日時 2005 年 6 月 19 日 09:13:22)
都会暮らしさん、日さん、横レス失礼します。
>そういえば日さんは、「怒り」がご自身の行動の原点というか、エネルギーとされて>いるといったようなことを仰っておられましたよね。
>>怒りについて誤解されています。
>怒りは最悪の精神活動。
米軍によってイラクの民間人が殺される事に対して怒る事もあなたは最悪の精神状態とおっしゃるのでしょうか?
>怒りというよりは不安。
>不安があるから怒る。
人が殺されたという現実があるから怒っているのですが。
これは、「不安があから怒る」という事ではありません。
>不安は確実に現象し、ちぢこまり、閉ざし、引きこもり、走り、隠れ、蓄え、傷つけ>るエネルギー。
小泉政権に対して私は多いに不安を感じております。
彼は7年間自殺者が3万人以上になっていてもあまり気にしていないようだからです。
こういう不安を持ってはいけないのでしょうか?
不安を持つ原因が客観的に存在するのですが。
>>私憤は頭、怨恨は胸、公憤は腹で怒ります。
>俺は例えば、腐った魚のこれが頭、これが腹、これが尻尾と分類するつもりもない。
>腐った魚は、腐った魚です。
>世界は、単純です。
怒りを「腐った魚」とおっしゃるのですね。
目の前で肉親が殺されても起こってはいけないし、
娘に無理やり残酷な写真を見せる人間がいても怒ってはいけないと
怒る事は腐った魚になる事であると。
▼
イラクの悲惨な写真に公憤を激しく覚えます。
あなたの娘さんがこうなったら、怒るはずです。それは私憤でも正当なものです。
では、無関係な場合怒りませんか?
怒りを十羽一絡げに否定されないでください。
公憤を行動に結び付けられる、その習慣の中で生まれた私憤ならば、その行動もまた制御可能になります。
▲
>もういちど、田口ランディのコラムを貼り付けておきます。
>これはもちろん、俺の答えではなく、そもそも答えなんて誰も持っていない。
>http://www.melma.com/mag/26/m00001926/a00000010.html
▽
私は悲惨な事件についてときどきコメントするが、そういう時、読者から「あ
なたも自分が被害者だったらそんなエラそうな事を言えないでしょう」という
厳しいご意見をもらう。それはたぶん、私が「悲惨」から距離を置きながら、
でもアシリ・レラさん達のように「悲しみとして受け止める」には至っていな
いので、エラそうに見えるのだと思う。
イラクの犠牲者の写真を悲しみとして受け止め
同時にこのような犠牲者を生み出さずにはおかない米軍とその最高指揮官であるブッシュに対する怒りを持つという事は自然な事であると思います。
>いまだ、現世的価値観を生きる私は、どこかで「もうひとつの世界」の存在を
>感じながらそれを拒否している。
「もうひとつの世界」は私には感じられません。
この世以外の世があるとは思えません。
それを感じると言われてもどしようもありません。
上記の文書の意味が私には分かりません。
>悲惨な事件に遭遇すると、それを個として引
>き受けてしまい、被害者の方に過剰共鳴して復讐心に燃えたりしてしまう。
個として引き受けるとは何なのでしょうか?
悲惨な事件を悲惨だと思い、こういう事無くしたいと思うのはごく自然な事なのでは?
別にそういう行動を強要したいとは思いません。
同じように悲しみ怒る人々と行動を共にしたいだけです。
悲しんだり怒ったりしたく無い人にどうのこうの言いたくはありません。
また、そういう人がいるのも理解します。
でも、そういう人の存在を気にしたくは無いです。
かつての全共闘運動にあったノンポリ批判のようには。
私はイラクの被害者の写真を見て復讐心に燃えたりはしません。
戦争をやめさせたいだけであり、私自身がアメリカに自爆攻撃をかける気はありません。
あなたは何故復讐心に燃えると思われるのですか?
>そうならないために、一歩引くので、表現が中途半端になるのだ。
あなたは何故、イラクの被害者の写真を見てご自身が復讐心に燃えるだろうと思われるのですか?
写真を見てまず思うのは「こういう事をやめさせたい。」という事であり、復讐する事では無いのではありませんか?
>それが自分
>の限界である。事件から距離を置くことで冷静にはなれるが、うまく悲しめな
>い。のめり込むと、悲しまずに怒ってしまう。この堂々めぐりだ。
△
戦争をやめさせたらいいだけなのです。
復讐するという事は間違いです。
自分が復讐したくなると思い距離を置きたくなるというのは私には中々理解できかねます。
>俺自身もこれが限界だとしか言えませんがね・・。
>怒りに留まるのは、あなたの自由でしょうね。
留まるのでは無く、戦争をやめさせるという事でしょう?
>あなたに「そこから出ろ」とは俺は強制できない。
というか、イラクの人々の悲惨な状況に怒りを覚える人々に何故あなたは
「そこから出た方がいい。」と思えるのでしょうか?
>怒りを持てと、あなたは俺に強制できない。
当然です。
怒りは自然な感情であり、誰にも強制できる事ではありません。
>ただ俺は、怒りを選択していない。
イラクの人々の悲惨な状況に対して「怒りを選択していない。」のですね?
>それは怒りに留まれば、利己的な意味ですら自分がどうなるかを「知って」いるから>です。
どうなるのですか?
「怒りに留まる」という意味が分かりません。
留まるのでは無く、戦争に反対するのです。
>幸いなことに人間には、「怒り」の対極に位置するものを選択できる自由がある。
>その対極にあるものを人は「愛」と呼ぶらしい。
イラクの人々の悲惨な状況をもたらしたものに対して怒らない人が持つ「愛」とは何でしょうか?
怒りと愛を対立的に捉える事は正しいでしょうか?
>選択なんです。
「怒り」か「愛」の二項対立図式は正しいですか?
愛する人を殺された人の怒りをどう説明されますか?
>人は怒り(不安)に留まるか、愛に留まるかというごく単純な選択の中で生きてい>る。
そのような単純さは私の目には見えません。
その二項対立が単純な真実であるという根拠をお示し下さい。
>それぞれがそれぞれの選択を生き、それぞれがその結果を経験する。
あなたはイラクの人々の悲惨な状況に対して悲しんだり怒ったりする事を選択をせず
あなたの「愛」の世界で生きていかれるワケですか?
>社会も一緒です。
>そこに暮らす人々の大半が怒り、不安を選択して生きているなら、それは確実に現象>する。
怒りをもたらすもの
不安をもたらすもの
があるのです。
個々人の選択の問題では無いのです。
世の悲惨に目を向けるかどうかは選択の問題であなたはそういう事に目を向けすに愛の世界で生きたいワケですね。
その事を私はとがめだてする事はできません。
いや、そんな事はしても、あなたの反発に会うだけです。
あなたがどう生きようとあなたの自由だからです。
そういう事を確認してこの話は終わればいいのでしょうか?
>その現象のひとつとしては、無垢な人々を殺し、引き裂き、破滅させるという結果も>想像できる。
怒りの結果が悲惨の増幅につながるとおっしゃるのですね。
私は怒りが反戦運動を生み出し平和を実現すると思っております。
>「戦争」はその「選択の結果」の一現象でしかないと、俺は思うからです。
ブッシュが怒って戦争を始めたと思われるのですか?
ブッシュは軍需産業を儲けさせる為に9.11を防止せず9.11を口実に戦争をしたと思っております。
怒りからでは無いのです。
怒りはむしろこのようなブッシュに対して向けられているのです。
>人殺しに加担したくないから、俺は愛を選ぶ。
人殺しに対して怒っているのですよ。
人殺しに対して怒らない人は人殺しを黙認しているのです。
加担しているのはどちらでしょうか?
>都会暮らしはとっくに武装解除している、とっても安全な生き物で〜す。(爆)
戦争に反対しない人が「安全」とは?
>だからおりょうさん、早く出てきて拙者とちちくりあいませんか?(爆)
貴方、品が無いですね。