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(回答先: 東の空さん、横レス失礼します。 投稿者 都会暮らし 日時 2005 年 6 月 18 日 07:23:23)
都会暮らしさん、はじめまして。
都会暮らしさんは経験から、日本とヨーロッパの違いをご存知のようですが、
私は経験がないのでそこら辺はよく分かりません。
日本が特に個の確立をしにくい社会であるのは、そうなのだろうと思いますが、
そこら辺は都会暮らしさんから教えていただければと思います。
都会暮らしさんが個の確立の問題を日本だけのことで考えているか、世界全体で考えているかはよく分かりませんが
私の考えは基本的には世界全体です。
以下私の考えです。
人が個人として生きるという道は、個人主義者がとやかく言わずとも既に始まっています。
この道は、途中で立ち止まったり、戻ったりはできるものではないのです。
そうであれば、人はこの道の責任を引き受け、人々が尊厳ある個人として尊重しあえる社会を作っていくしかないのです。
しかし、ここには大きな障害があります。
それは、あらゆる信念、道徳的価値には、普通の理屈で考えた場合、根拠が無いということです。
誠実に考えれば単なる主観、思い込みに過ぎないと思えることです。
殺人がいけないということにも根拠がありません。
いい加減に、理屈で「生命の大切さ」などと言ってはいけないのです。
理屈は最も生命から遠い。
人が社会や宗教と一体化していたときには、こういうことは個人の問題になりませんでしたが、人が個人として生き始めれば問題になります。
この障害の本質は、おそらく道徳的価値の本当の出所を人々は知らないということでしょう。
道徳的価値の本当の出所は深い感受性をもってしか至れません。
自分の感受性に限りがあれば、感受性の深い者に教えを請う必要もあるでしょう。
もちろん最終的には自分で納得する必要がありますが。
現代の政治的立場の違いは、この道徳的価値の根拠の無さという問題をうやむやにするバージョンの違いなのではないでしょうか。
「透明な悲しみ」読ませてもらいました。
すばらしい娘さんの魂に、お父さんとして選ばれたんですね。