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(回答先: 生身で体感することが大切ではないかと・・ 投稿者 Sun Shine 日時 2005 年 6 月 11 日 14:36:45)
Sun Shineさん、Narongchaiさん、どうもです。
お2人はあちこち行かれているのですね。
なるほど、それで生身で体験した事は例えば日本(家)にいながらにして得た情報や映像からは得られないものが沢山あるとおっしゃりたいのですね。
それは体験的に明白な事実なのでしょう。
その事は私も否定しようがありません。
私もフィリピンへ行って色々と感じましたから。
マニラの都会のどまん中で夜のカトリックの神父さんの説教が行われていて500人ぐらいの人々が熱心にその説教に耳を傾けているシーンも日本にいては見られないものでした。アメリカのテレビ番組を思い出しましたが。
旅をすればそういう事が蓄積されていくのでしょう。
それは納得です。
しかしですね、
多くの人にとって海外旅行や旅はめったにできるものでは無く、そういう事無しでもその人なりの世界観は形成しているものです。
問題は旅をした経験をいかに言語化し他の人に伝えるかという事ではないかと思われます。
そうでなければ旅に中々行けない人々の世界観は旧態依然たる(あるいは誤った)世界観であり続ける可能性があるからです。
旅に中々出られない人々に旅のお勧めをする前に色々な世界を見てきた方には是非共色々なお話をお聞かせいただきたいと思います。
また、旅では無くても、多くの人が自明だと思っているであろう世界観に対して異議を唱える事になるような情報を得た場合にその事を公表する事も大いに「人々の世界観をより現実的にする事」に役立つと思います。
そういう事がこの阿修羅掲示板では日々行われていると思います。
「サウジの夜明け=絶望」というお話などは興味深く読ませていただきました。
また、お2人共珍しいお話をお聞かせいただけましたら幸いです。
>生身で体感することが大切ではないかと・・
>http://www.asyura2.com/0505/idletalk13/msg/627.html
>投稿者 Sun Shine 日時 2005 年 6 月 11 日 14:36:45: edtzBi/ieTlqA
>(回答先: Re: 非日常のものと遭遇する事によって自らの日常を相対化するという事で>すか? 投稿者 Narongchai 日時 2005 年 6 月 11 日 02:10:21)
>> Narongchai さん、こんにちわ
>そうですか、インド、中近東ですか・・・そこには行っていないんですよ。でも是
>非、行きたいと思っているところなんです。今年、行きたいと思っていたんですが、>諸般の事情で行けなくて残念です。藤原新也さんの写真を見たり、本を読んだりした>ことはありまして、非常に興味をそそられている所です。
>私の場合は、旅というのもあるんですが、生まれがアメリカ、その後、アフリカ、日>本、北欧、アメリカという具合に住まいが転々としているんです。その間にその周辺>諸国の旅をしているというわけです。
それぞれのお国柄などについてお話いただけましたら幸いです。
>ですから単なる旅人ともちょっと違うかなと思います。やはり旅も勿論いいものです>が、住んでみないと見えないことが沢山ありますよね。でも、私が前回ここで書いた>「旅のおすすめ」という文章は、恐らく大多数の人々はそんなに簡単に外国に移り住>むことはないだろうと思い、それならせめて「旅」をという思いで書いたのです。
>サウジの夜明け=絶望と言うのは、私もアメリカの大学に留学で来ていたサウジアラ>ビア出身の学生から聞いたことがあります。本当にその時は、私も「えっ!」と驚き>ました。
>それから太陽の色を塗る時、サウジの人たちは確か白く塗るんでしたか? 余りにも>光線が強すぎて、白く見えるからでしょうかね?それと北欧も確か白だったような記>憶がありますが・・?アメリカ人は太陽を黄色に塗るんですよね。日本人は、確か赤>でしたかね?太陽を黄緑に塗る所もどこかにあったような記憶がありますけど・・?
>やはり人間は五感(六感?)で感じることが大切だと思います。コンピューターの中>だけの世界は、所詮は仮想現実世界(バーチャル・リアリティー世界)であって、自>己の思い込みが支配する世界=閉じられた世界へと通じる危険性があると思います。
いえ、でもこうやってそういう体験を経られた方とお話できるのは、貴方を通じて色んな世界へ繋がっているように思えるのですが。
>世界の情報を瞬時に得られるという利便性は大いに活用するとしても、やはり人間は>生身の他者に関わらなくてはだめだと思います。
「だめだ」と言われても中々できないのですが。
せめて生身の体験をされた方のお話をより多くお聞きしたいと思うまでです。
>鏡がなければ、自分の姿が見えないのと同じで、異文化=他者にじかに触れることに>よって、はじめて私達は自文化=自分が見えてくるのだと思います。
貴方のお話によっても自分が見える部分はあるように思うのですが、コレは錯覚でしょうか?
>相手の目の動き、表情、しぐさなどに触れることによって、人間は生きていることの>実感、他者とつながりあって生きていることの実感を肌身で感じるものだと思います。これが大切ではないでしょうか。
まあ、そういう事でしたら日常的にしておりますが。
生身のふれあいとバーチャルなふれあいの両方によって人間は形成されているように思えます。
バーチャルでは何も無いという事だったらこれだけの人が集まってくるハズも無いと思うのです。
貴方もここで言葉のやり取りをしていないのじゃありませんか?
>同じ国に住んでいる他者も、実は異なる家庭文化の下に育った異文化人と思えば、何>も外国に行かなくてもそれはそれでいいわけですが、視野のスケールを広げると言う>点からすれば、やはりこれは外国に行くのに比べると、そのスケールは小さくはなり>ますよね。
それはそうでしょう。
まあ、行ければ外国に行ってみますわ。
アフガン・イラク・イラン・パレスチナ・チベット・モンゴル・東チモール・中南米・スーダン・ガンボジア・ベトナム・ウズベキスタン・ユーゴスラビア・北欧・ウクライナ・中国・韓国・北朝鮮に行ってみたいですね。
って言うかあまりあちこちに行けない以上、我々には想像力ってものも必要かと。
1冊の本からでも色々と人々の生活を想像する能力とかですね。
もし、行かなければ分からず、他人の書いた旅行記などもあまり参考にならないのなら我々が持てる世界観などウソそのものだという事になってしまいます。
そうだとしたら、それを修正する手立てもほとんど無いって事になっちゃいますね。
そういう絶望(不可知論)を確認して終わるお話なのでしょうか?