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(回答先: Re: 非日常のものと遭遇する事によって自らの日常を相対化するという事ですか? 投稿者 Narongchai 日時 2005 年 6 月 11 日 02:10:21)
> Narongchai さん、こんにちわ
そうですか、インド、中近東ですか・・・そこには行っていないんですよ。でも是非、行きたいと思っているところなんです。今年、行きたいと思っていたんですが、諸般の事情で行けなくて残念です。藤原新也さんの写真を見たり、本を読んだりしたことはありまして、非常に興味をそそられている所です。
私の場合は、旅というのもあるんですが、生まれがアメリカ、その後、アフリカ、日本、北欧、アメリカという具合に住まいが転々としているんです。その間にその周辺諸国の旅をしているというわけです。
ですから単なる旅人ともちょっと違うかなと思います。やはり旅も勿論いいものですが、住んでみないと見えないことが沢山ありますよね。でも、私が前回ここで書いた「旅のおすすめ」という文章は、恐らく大多数の人々はそんなに簡単に外国に移り住むことはないだろうと思い、それならせめて「旅」をという思いで書いたのです。
サウジの夜明け=絶望と言うのは、私もアメリカの大学に留学で来ていたサウジアラビア出身の学生から聞いたことがあります。本当にその時は、私も「えっ!」と驚きました。
それから太陽の色を塗る時、サウジの人たちは確か白く塗るんでしたか? 余りにも光線が強すぎて、白く見えるからでしょうかね?それと北欧も確か白だったような記憶がありますが・・?アメリカ人は太陽を黄色に塗るんですよね。日本人は、確か赤でしたかね?太陽を黄緑に塗る所もどこかにあったような記憶がありますけど・・?
やはり人間は五感(六感?)で感じることが大切だと思います。コンピューターの中だけの世界は、所詮は仮想現実世界(バーチャル・リアリティー世界)であって、自己の思い込みが支配する世界=閉じられた世界へと通じる危険性があると思います。世界の情報を瞬時に得られるという利便性は大いに活用するとしても、やはり人間は生身の他者に関わらなくてはだめだと思います。
鏡がなければ、自分の姿が見えないのと同じで、異文化=他者にじかに触れることによって、はじめて私達は自文化=自分が見えてくるのだと思います。相手の目の動き、表情、しぐさなどに触れることによって、人間は生きていることの実感、他者とつながりあって生きていることの実感を肌身で感じるものだと思います。これが大切ではないでしょうか。
同じ国に住んでいる他者も、実は異なる家庭文化の下に育った異文化人と思えば、何も外国に行かなくてもそれはそれでいいわけですが、視野のスケールを広げると言う点からすれば、やはりこれは外国に行くのに比べると、そのスケールは小さくはなりますよね。