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(回答先: 旅のすすめ 投稿者 Sun Shine 日時 2005 年 6 月 09 日 20:10:55)
Sun Shineさん、はじめまして(かな?)
貴方のおっしゃる事は真実でしょう。
まあ、しかし中々旅には出にくいもので。
お金が無かったり、仕事をそんな休めなかったりですね。
若い時に行っとけばよかったとも思いますが、若い時には金も無かったし。
とは言っても去年フィリピンに行く機会がありまして大いに色々と感じてきましたけどね。
で、もう1つ思いますのは、旅に出たら得られるものが何故日常生活では得られにくいのかな?なんて思いますね。
これは、旅に出たら自分というものをすごく意識するのに日常生活では自分はあまり意識せずにやり過ごしているという事に関係するのかな?
日常では真剣勝負で無いとか。
まあ、日常ではめずらしいものを見る機会が少ないって事も大きいかも知れませんね。
>旅のすすめ
>http://www.asyura2.com/0505/idletalk13/msg/561.html
>投稿者 Sun Shine 日時 2005 年 6 月 09 日 20:10:55: edtzBi/ieTlqA
>映画、小説、音楽、絵画などから受ける魂の震えを感じることも大切ですが、もしそ>れが可能なら旅をすることをお勧めします。パッケージツアーではない旅を。
はい。できれば行きたいものですな。
>「百聞は一見にしかず」と言うことわざの通り、実体験に勝るものはありません。体>験に基づいた上で、色々なことを考察することによって、初めてその思想が血となり>肉となるのではないかと思います。
それは言えますね。
小田実さんの「何でもみてやろう」精神ですか。
この掲示板には海外在住の方からの投稿もありますので少しは視野も広げられているようにも思いますが。
>「身体性の回復」というのはこういうことを指すのではないでしょうか。
そうかも知れませんね。
皮膚感覚の回復みたいなね。
>アメリカの深南部の片田舎から、大学にやっとの思いで入学した南部なまりの強い黒>人学生が、目を輝かせながら「うちの家族で大学に入学できたのは、自分が最初なん>だ。だから一生懸命勉強しないと、女手一つで2つの仕事を掛け持ちしながら、自分>を育ててくれた母親に申し訳ないんだ」といった時。
>マレーシアの村で、うだるような炎天下の中を重いゴムのエキスがはいったバケツを>天秤棒で担ぎながら、ふらふらと歩いている、やせこけた女性の姿を見た時。
広河隆一さんが「DAYS JAPAN」という写真雑誌を発行しているじゃないですか。ああいういい写真を見るだけでも何かありますね。
アフリカの荒涼とした原野を息子の死体を抱えて腰を曲げて歩く母親の写真なんか胸に迫るものがありました。
スーダンなんかでもああいった悲しみの光景はごく普通のものだろうと想像しましたね。
>タイとミャンマーの国境付近の村で、学校にも行けず、路上で物売りをしている小さ>い子供を見た時。
>このような時、言いようもない魂の震えを感じます。これが人間が人間であることの>印だと思います。
まあ、そうなんですが、旅行ってある意味「覗き見」みたいな後ろめたさ無いですか?
自分の目で確かめなくても、そういった事がある事は日本にいながらでも本や雑誌やテレビのドキュメンタリーで知る事ができ、知った時点でも何かできる事もあるハズなんですね。それもしないで大枚はたいてワザワザ自分の目で確認体験するというのもおかしな気もするのですが。
>先日「モーターサイクル・ダイヤリー」と言うチェ・ゲバラの青春時代を描いた映>画。を観ましたが、その中で彼も言っていました。「旅が自分を変えた」と。
でしょうね。
旅で見た事がエネルギーになっているのでしょうね。
しかし、何を見てもそこからどうするかはそれぞれ違いますよね。
その辺はどう思われます?
ゲバラには元々何かあったのでしょうよ。
だから旅でさらに変えられたのだと思います。
では、元々何があったかですね。
「貧しい人を見たら何とかしてあげたい。」なんてものかも知れません。
こういった倫理観は旅で得るものでしょうか?
ちょっと違う気がしますね。
>リアリティーに触れる事の大切さを、いまさらながら感じます。
日常生活にもリアリティーは無限にあるはずです。
旅先にだけリアリティーがあるとは思えません。
日常生活にリアリティーが持てない人が旅に出て持てるのでしょうか?
疑問ですね。