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(回答先: 現象学についての私の解釈は全く違っていたと思います。 投稿者 ワヤクチャ 日時 2005 年 6 月 07 日 21:56:29)
フッサール現象学は、御指摘のように、人間認識の枠を重視して、合理的に説明できない部分を、「エポケー」として、一時、判断中止して、意識的に合理性を持って説明できる『部分』に、焦点を持っていくことを主張しています。
つまり、意識は、「→」(矢印)で、この矢印には、必ず、「主体」と「対象」が存在する。つまり、意識自体が、「支配」と「被支配」の態様であることを、様々な生活世界の事象を用いて、説明しようとしています。
ルネ・マグリットの絵画なども、直観的には、その方向性を把握しやすい素材かと思います。
基本的に、フッサールは、歴史の相対主義や唯物論争を乗り越える基礎を確立しようと企て、一定の成果を挙げたと思われます。
その基礎に立って、フランスの構造主義、その後の、ポスト・モダン哲学が出てきます。
現在の日本の大半の知識人が、唯物史観を金科玉条のように扱っていたり、原書を読まずに、フッサールとは、ドルーズとは、とファッションのように、議論されているのを見ると、欧米は勿論、シンガポールやバンコックの大学生の方が、遥かに、哲学の面で、教養に溢れていることは、事実のようです。
現在、停滞していますが、EUの動きや、ヨーロッパの環境への態度、欧米で用いられる「構造改革」の震源は、基本的に、フッサール以降の、「認識の枠組み」を「認識する」「批判する(哲学用語としての「批判」、「純粋理性批判」という用い方の意味の「批判」(クリティーク)」流れから出ています。