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(回答先: 「解り合うということ」「経験」について【都会暮らしさんへ】 投稿者 風のように 日時 2005 年 6 月 06 日 16:22:24)
どうも風のようにさん、長文のレス、大大大感謝っす。
ご意見は、これは俺の表現ですが、全面的に同意です。
どうも俺はここんとこ、“酔って”いるようです。
モノゴトを理性ではなく、もっと深いところで理解しようと試みているので、「理解し合う」ということの本質にまで踏み込んで考えちまっているんですね。
そうすると、過去の経験から、「あれはどうだ」「これはどうだ」って迫られてくる。
たぶんこれは、表現の問題なのかもしれない。
俺の考える「理解し合う」と、風のようにさんの考える「理解し合う」に、微妙にズレが生じてきていて(これはあたりまえです)、そのギャップに船酔い状態になっているのかもしれない。
(そのギャップを埋める言葉が見つからない・・。)
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都会暮らしさんが多感な青春時代に味わった【周りの大人たちは、無条件で俺を受け入れてくれた】という状況を、都会暮らしさんが「解り合っている」と感じたように、「解り合っている」という心の状態は、「わかってほしい」という欲求にあるのではなく、その主張をしている自分を認めてもらえる状況であり、「わかってるよ」と受けとめて貰える寛容さにあるのではないでしょうか。
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俺はどうもその、寛容さっていうか、「やさしさ」も理解のカテゴリー(変な表現でスイマセン)に入るのではないかと思っているのです。
ですから、風のようにさんのこの表現↓が、俺にはいちばんしっくりきますかね・・。
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ここで言う「解ってあげる」とは、意見を鵜呑みにするとか、相手に合わせるということではありません。意見は違えども、相手がそれを言う事(選択する事)を理解してあげる、その思考を束縛・制限せずに自由にさせてあげるということであり、これが無条件の受け入れであり、“愛”であると私は思っております。
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しょせん概念でしかモノゴトを把握できない我々ですから、こういった観念的なことを考える時、どうしても過去の経験というタンスから、思い出という古着を引っ張り出しちまう。
すでに身には合わなくなってるんですがね(笑)
いや、有難うございました。
ちょっと外の空気、吸ってきます