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(回答先: 「他人の人権を尊重しなければならない」ことを「人権の内在的制約」という。 投稿者 たけ(tk) 日時 2005 年 5 月 25 日 05:13:10)
>たけ(tk)さん ご意見どうもです。
おっしゃることは、正解でしょう。
【人権には「他人の人権を尊重しなければならない」「他人の人権を侵害することはできない」という制約がある】
と言うことは理解しています。
しかし、Kの主張は少し違ったベクトルを持っています。
超微妙な物なので、言い回しが困難なのですが・・・
【自分の権利だけ主張して、他人の権利を尊重しないのは「行きすぎた人権」ではなく「人権に関する不十分な理解」というべきものです。】
と言うのが「Kの意見に対する物」なのか?
「そのような意識を持つ(凶悪犯罪者等)」に向けられ物なのか?も微妙ですが、問題は
「一定の範囲の人たちの人権を必要以上に解釈したがる傾向がある」のだろうと言うことです。
例えが適当かは疑問ですが、例を示しましょう。
ある家族がいます。夫は「家族のために働きます。」それは「自分の時間を家族みんなのために犠牲にしている訳」です。決して、自分の快楽や目標のためだけに働いているわけではありません。
しかし、専業主婦の妻はそうは考えない可能性があります。夫は「自分のために家庭外の社会で羽を伸ばしている」という思考です。
「人は誰も自分のために働く」という意識を前提にすれば、それが例え家庭のためであっても、自己犠牲の精神などは思いも付かないかもしれません。
もし、主婦がそう思ったら、夫の物の洗濯や掃除などは「何故、私が・・・」という気持ちが浮かぶことになります。
人間には誰でも「他人の苦労は見えず、他人の庭はよく見える」という面があります。
そこで誤解が生まれ、行き違いがおきます。
そこにジャッジが入るわけですが、弱い者に必要以上に有利な判定をしやすいのもまた社会の特性です。
個人保護法というのができて、個人情報の保護がいっそう厳しくなっています。
道を尋ねられても迂闊には答えられないと言う事だそうです。
それが正当ならば「道を尋ねる人は悪い人」という確率が高いという前提がある事になります。広告メールは迷惑な情報しか来ないという前提もあるでしょう。
どうでも良いですが、息苦しい社会に向かっていく気がします。